2016.08.オーヴェルニュの旅 その2
前回は、前置きが長くなってしまいました。
初めてのオーヴェルニュで、初めて訪ねたロマネスクは、ル・ピュイ・アン・ヴレLe Puy en Velayのカテドラルとなります。
ノートルダム大聖堂Cathedral Notre Dameです。
前回の記事で記したように、山にへばりついているような地形の町で、その天辺に建っているいます。と言っても、孤立しているわけではなく、旧市街の建物に囲まれて、教会全体を捉えることは、ほぼ不可能といった立地。
そもそも、教会本体は、建て増しや改築や追加や、長い時代で、オリジナルの姿はとどめていませんので、全体を捉える意味も、あまりないと言えばないのですけれど。
正直、転げるような坂道を登って、カテドラルに着いた時、いったいどうなっているのやら、その構造が全くわかりませんでした。
トップの写真は、観光局のある新市街のアクセス口の方から登ったときに出会う、本堂からの入り口となります。
この外壁の装飾、実に美しいですね。装飾的過ぎて、個人的には、若干過多かな、という印象でもあるのですが、これは、このあたりのオーベルニュ建築の特色なのだと思います。かなりあちこちの、規模の大きい教会では、必ずこういった石の寄木細工(矛盾した言い方ですが…)みたいな装飾が見られるのです。
柱頭などの彫り物のレベルの高さや、こういった外壁装飾技術を見ると、この地域におけるロマネスク時代というのは、何かすごい職人技が横行していたのですね。
フランスでは、すでに何度も書いていることかと思いますが、ゴシックの勢いがすごくて、多くのロマネスク教会も、その多くの部分がゴシックになってしまっているケースがほとんどと言ってもよいくらいです。他の地域では、例えば13世紀になっても、まだロマネスクどっぷりという土地もあった中で、フランスの多くの地域では、ロマネスクは、12世紀の終わりにはゴシックにとって代わられる感じがあります。
そう考えると、フランスにおけるロマネスクの時代は、実に短期間で、パ~っと広がって、一気に先に進んだっていうのか、一気に高い技術に到達して、次につながるステップ的な一時期だったのではないか、などという気もしてしまいます。
おっと。
フランスは、つい最近、また行ったばかりなもので、改めてロマネスクの歴史などを考えているところで…。
好き嫌いは置いといても、面白いのは間違いなしです。
ファサードを求めて、周囲をうろついて、やっとそちら側に出た時は、またもや驚愕しました。
なぜって、すごい地形であること、目の当たりに突き付けられたから。
こちらも派手なファサードですが、まず目にしたのは、このファサードではなく、後ろの方から回ってきたため、ファサードから見る風景が目に飛び込んできたので、息をのんだのです。
わかるでしょうか。長い石段があり、階段の先も、石畳の坂道がずっと続いて、すごい高低差がダーッと続いているんです。
階段を降り切ったところ。
見るからにすごい坂道です。これを降りれば、新市街になるのでしょう。つまり、カテドラルにアクセスするには、どの道を来ても、とにかく登らない限りは無理、ということなのですね。
巡礼の人たちは、この坂道を来て、さらに心臓破りの階段を上らないとお参りできないって、かなりの苦行ですよ。
でも、そうやって歩いてきて、階段を一歩一歩踏みしめて、途中で一休みで見上げたこの風景に、辛さと同時に、心が洗われる気持ちになったかもしれません。
この部分は、12世紀の名残が多く残っているようです。ただ、傷みも激しく、暗くて、じめじめした感じでした。
柱頭などが、12世紀のもののようです。一部、ちょっとビザンチン風のフレスコ画がありましたが、正確な時代は不明。
巡礼が最初にたどり着く場所だけに、全体にウェルカムな雰囲気を形作っていたスペース、と説明にはありましたが、朽ちた装飾の名残に、その様子がちょっとうかがえる感じですかね。
これ、木製のドアと思いますが、浮彫があります。かなり大きな扉の上の方にしか残っていないし、現場ではかなり薄暗かったので、よく見えなかったのですが、改めて写真を見ると、素敵な浮彫です。
オリジナルでは、しっかりと彩色されていたはずですから、今の感覚だとけばけばしいかも、ですが、当時では、輝くような印象だったのかもしれないですねぇ。
いつものことですが、写真を見返すと、改めて、現場に戻りたくなります。どこでもドアがほしい!
おっと、これじゃいつまでたっても先に進めないパターンに入りつつありますが、エンジンがあったまってないので~。しばらくは忍耐強く、よろしくお願いします。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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- 2017/08/31(木) 05:41:22|
- オーベルニュ 03-63-15-43
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タボール山でのイエスの変容の壁画
お顔が消されていて残念ですね!
長い長い階段を登ってやっとたどり着ける
聖堂なのですね!
お疲れ様でした!って行かれたのは今夏ではなかった?
ナイス・ポチ!
地元にある13世紀のチャペルはシンプルなロマネスク様式ですが
軒持ちおくりなどもありませんし、後陣も一つしかありませんが
壁画は残っています。
- 2017/08/30(水) 22:16:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
- [ 編集 ]
> Atsukoさん
ここを訪ねたのは、一年前の夏なんです。今年は、同じオーベルニュでも、違う県を訪ねています(いつ、生地にできることやら、笑)。
お顔の部分だけ、きれいにやられちゃって、ほんと、残念です。悪さというより、くだらない実務的な理由で(電気の配線とか、そういう)、わざとそこだけ削り取られてような印象も受けます。一時期の人たちは、神をも恐れぬ改修工事を平気でしてますからね~。
- 2017/09/02(土) 14:35:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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9世紀末ごろにイコン破壊運動があって
キリストの顔を消したり目を消したりということがありましたが
これは別の理由があるのでしょうか?
- 2017/09/02(土) 16:46:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
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> Atsukoさん
そうですね。でもこれはそれほど古い時代のものとも思えず、場所的には、雨漏りとかそういう可能性もあるかと思ったんです。
- 2017/09/03(日) 15:04:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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懐かしいです。95年の初ロマネスク旅で行きました。サン・ミシェル・デ・ギーユが先だったせいか、大階段をあがった記憶はあるのですが、そこにいくまでが登り坂だったという記憶はありません(50代そこそこですから体力はあったのかも)中はあまりおぼえていないのですよね。きょろきょろして慌てて走ってくっついいていく状態でしたから。大きな黒い石があって、熱病を治すとかいう話くらいしか覚えていないし、キリスト変容の絵もおぼえていませんが写真は撮っていました。もう一枚撮ったのは 玉座の聖母子、絵のスタイルは全く違うのですが、天使の衣装がビザンチン風なので、結構ビザンチンの影響が濃いのですね。ともかく建物の装飾がビザンチン風というかアラブ風ですものね。十字軍の影響で東方に対する憧れがあったのかもしれません。
変容のお写真きれいに撮れていますね。私のは暗い。
13世紀のビザンチン、といった感じ。
実はわたくし来春はByzantine狙っています。
- 2017/09/07(木) 01:30:00 |
- URL |
- yk #79D/WHSg
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> ykさん
初ロマネスクでこんなすごいところに来てしまうと、ちょっと大変ですね~。
私は、フランスは、一番後ですから、よい順番かも、と思っています。
ところでビザンチン、ふふふ、私も常に考えているんですよ。まずは週末旅行プラスアルファで行けそうな、テッサロニキを狙っています。いつ、というのが問題ですが、数年内には…。
- 2017/09/07(木) 21:42:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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