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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

黙々と歩くだけで、語れるものがある。

ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その9

アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。
ウナギの寝床状態の会場を、ひたすら先に進みます。とにかく混雑は相当ひどくて、まったくびっくりです。




ハンモック状態のオブジェに、あらゆる紙ものがくっついています。
なんか、ちょっとね、面白くて、こういうのって。ついつい見入ってしまったりします。個人の、非常に個人的なある時期の記憶とでもいったようなものを、ひっそりと覗き見るような隠匿的な感じがあるっていうか。アーティストの意図は、まったくわからないですけど。たぶん、Commonのテーマ地域です。




これは、なんだろう。内と外、みたいな?意味のない教会があるだけで、確かに区切りができてしまうの。区切りの内側に球があります。足を踏み入れてはいけなかったのかどうか、わからなかったけど、確かに、踏み込めない。常識のバリア。
この一連、間違えでなければ、Franz Erhard Waltherというドイツ人の作家さんの作品です。

私、現代美術は、ちょっとは見ているんですが、作家さんの名前って本当に覚えられなくて。それも、ひと昔前の人っていうのは、ほとんど知らない。
で、この方が、超大御所っていうのも、まったく知らず。実は、今回賞を取った方なんですね。80歳近くで活躍しているというのは、いわゆる大御所ですよね。




でも、この出世作?たぶんすごく有名な作品らしいのですが、すっごく、本当にすっごくつまらなくて、なんでこんな作品のために、これだけのスペースを割くのだろう、と思って見ていました。

今回のビエンナーレ、専門家の書いた評を、いくつか見ました。専門家には、それなりの面白さがあったりするようです。これまでの商業主義的な、つまり売れている有名作家中心の展示とは一線を画する点は注目すべき、的な。
私は、この大御所さんも知らないように、有名だろうが無名だろうが、そんなのは興味ないわけで、自分が面白いかどうか、で見てるし、ここに来る大多数はそういう人たちなんじゃないかと思うんですけどね。そういう意見って、批評家中心主義的な感じがして、どうも、いやだな。
批評って、指針としてありなんだろうけれど、基本的に好きじゃないもんで~。

この辺から、Earthがテーマのスペースに入ると思います。




たまにはね、正統派絵画も、面白いと思うんだよ、私でも。




Kananginak Pootoogook
カナダの作家さんでもうお亡くなりになったようですが、とても繊細なペン画がずらりと並んでいました。とっても素敵な絵がずらりと並んでいて、どれも好みでした。

でも、こういう作品が、ビエンナーレにあるべきなのか、というと、どうなんだろう、と思ってしまうのも確かです。
それにしても、世界中にある作品から、テーマに沿って、選ぶって、それはすごいことですね。相当の経験や知識がなければ、できませんよね。だから、どうしても、有名作家や有名作品の偏ってしまう傾向がある、というのは、わかる気はします。

これは、事前にどこかで記事を読んだ気がします。




The Play
日本人グループが、水辺を漂うプロジェクト。
このセーヌ川を流れるのは、2012年の企画ですが、元は、70年前後に、日本でやった企画のようですね。




今回は、家型のボートで、ベネチアの運河を漂ったようで、そのボートが、後程出てきますが、今になって、同じような企画を再び実施する意図が、わかりませんでした。翻意して、何か面白いことをやっているわけでもなく、ただ、今は、ビデオ撮影も容易なため、記録は膨大に残されたようですが、うーむ。




Turtle by Erika Verzutti(ブラジル、1971年生)
あ~、やっと若い人。
でもさぁ、なんかでかいだけで、面白みはない。この作品、手乗りサイズだったら、ほしいと思うけど、このサイズであるべき理由が見いだせず。




Future Fossil Spaces by Julian Charriere(スイス、1987年生)
おお、さらに若い!そして、これはちょっときれいで楽しさがありました。
これね、ウユニ塩湖の塩でできた柱らしい。それだけでも、ちょっとロマンがある。で、ところどころに、透明な水晶的なものがあって、そういうのって、楽しいんだよ。




でも、正直言って、サローネの展示的なイメージの方が強い。芸術というより、工業製品的な。
それにしても、自然の作り出す文様や色というのは、やはり美しいものですねぇ。
あ、Earthテーマね。

これも、土とか地面とか、確かにそうだけどさ。




Collection de Chaussures by Michel Blazy(モナコ―パリ、1966年生)

かなりダメになってるスニーカーがたくさん、鉢になって、植物が植えられてるんだけど。
臭そうだし、なんか、違うなって。こういうのって、会期長いから、実際に水やりして、育ててると思うんだけども、なんかここに植えられた植物、臭かろう、と、かわいそうな気がしちゃって。それもヒトの偏見かぁ。

同じ人の作品らしいんだけど、これは、おお!と感心しました。




Acqua alta by Michel Blazy

わかりにくいと思いますが、台の上に、雑誌なのか、フライヤーなのか、紙がぎっしりと相当の厚みで積んであり、その表面の一部が、水滴で、浸食されつつある、という状態です。なんだかよくわからず、近づくと、水滴の撥ねが感じられたので、水だ、とわかったのですが、え?どこから?天井?




確かに、そういうためらしい単純な装置が認められます。
それにしても、結構な高みからとはいえ、一滴ずつのしたたりが、半年近くで、これだけの浸食を起こすのか、と思うと、感嘆しました。




二作品に共通する、この作家さんのコンセプトというのが、なんとなくうかがい知れるような。いずれにしても、このような作品は、会期が長いからこそ楽しめるもので、ビエンナーレにピッタリ。これは好きでした。

そのあと、私にとっては、面白みのない作品が続きます。







で、久しぶりにビデオ作品。




Of Walkind in unknown by Koki Tanaka

調度疲れてきたころで、ちょっと座りたい気持ちもあったので、この、ビデオの後ろに置かれた写真に、興味を惹かれて、座りました。廃道巡りの記録とか、そういうものかと思っちゃったんですよね。

そしたら、確かに歩く記録ではあったんだけど、内容は全然違いました。作家さんが、自宅のある京都から、最も近い原発まで、ただ黙々と歩いていく記録。




そのところどころで、気になるものを拾って、リュックに詰めて、そしてまた黙々と歩く。原発の入り口で、終了する、それだけの記録です。福島でもない。事故を起こした原発でもない。

内容をわからずに、ただセリフのない映像を見て、考えたのは、日本人にとって近年最も強烈なカタストロフィである東北の震災と、それに続く原発事故というのは、もう絶対に、忘れることができないイベントであるのだな、ということ。そして、何を考える時でも、おそらく、その前と後、という区切りができてしまっているのではないか、ということ。現代アートでも、あの後の作品、なるほどね。あの前の作品、なるほどね。というのかな。

アメリカ人にとっては、9.11がそれにあたるのかもしれない。もうちょっと年代が上がれば、やはり第二次世界大戦なのかもしれない。

それほど多くの人すべてに共通することでなくても、個人的なイベントが、その時を境に、自分の見る世界を変えることもあるかもしれない。

淡々とした映像を見て、そういうことを考えました。
そういう時間を持てるから、だから、ビエンナーレが好きなのかもしれないと思いました。作品と向き合って、何かを考える。向き合わなくても、漠然とした思いをぐるぐるさせることって、日常生活ではなかなかできないことではないでしょうか。

まだまだ続きます。

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  1. 2017/10/16(月) 04:51:05|
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