カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その2(2016年夏の旅)
この辺りは、小さな村が続き、各村にロマネスク時代の教会があるのですが、わざわざ、目指していくほどの教会があるわけでもないのです。ただ、どうせ通り道だから、先へ進みながら、見られるところを見ていこう、という感じで、ふらふらとドライブしました。
どの教会も、入ることもできず、周囲にほとんど人もいないというようなたたずまいで、印象も薄くて、かなり忘却の彼方ですが、写真とメモで、一部、現場をちょっと思い出しつつあるところです。
というわけで、サクサクと飛ばすことにします。
まずは、セレソ・デ・アリバCerezo de Arribaという村にある、サン・ファン・バウティスタ教会Iglesia de San Juan Bautistaです。
確かすごく暑い日だったので、日影に駐車したくて、頬を寄せ合うような感じで、教会に寄り添って駐車したんでした。撮影の都合上、こういう駐車はしないんですけどね。本当に扱ったのと、教会の外観が、たいしたことないからいいや、という投げやりな気持ちが伝わってきます。
一見してわかるように、ロマネスク当時のものとしては、後陣のスタイルと、軒送り、窓装飾程度で、入れなかった内部は、15世以降に、相当手が入っているようでしたので、いずれにしても興味は持てなそうでした。
通りすがりのおじいさんに、カギを尋ねたものの、「今日は開かないよ、明日なら開くよ、明日なら…」とつぶやくように去っていったので、深追いもせず、一応得意の(?)すき間撮影にトライ。
あ、やっぱりつまらなそうですね。
この写真で、ロケーションを思い出しました。
頬ずり駐車した同じ後陣ですが、こちら側にアクセスするには、一応門扉があって、敷地内に入るスタイルになっていたんでした。門扉は、施錠されていることもなく入れるんですが、この左側の、かなり新しい時代の建物に、扉があったのでした。
他はともかく、この後陣は、美しく修復もされているし、装飾はよく残っていると思います。
この、ギリギリ薄目状態は、前回記事のアイリョンと、まったく同じスタイルですね。
この柱頭の上の部分から、ずっと帯状になっている部分のモチーフが、よくわからなくて、じっと見ていたけれど、わからなくて。
写真で拡大してみても、やっぱりなんだかわかりません。なんでしょう?
翼なのか、貝殻なのか、何かをもとにした連続モチーフなんですが、他で見た記憶のないものです。
アーチ部分の彫り物も、独特のタイプですよね。
建物は、かなりの部分が新築状態(ロマネスクに比べれば)ですが、軒持ち送りは、結構残っています。
が、傷みは激しく、マシなのは、激しくとぐろを巻いたやつとか。
動物系ですね。
それにしても、雨どいの新品ぶり!
かなり現役感ありますね。
10分強の滞在で、村を後にして、隣村へ。12.3分のドライブで、その名もセレソ・デ・アバホCerezo de Abajoへと移動です。
アリバArribaは「上」、アバホは「下」という意味なので、上セレソ村と、下セレソ村が隣り合っているっていうイメージですね。
下セレソ村の教会は、確かちょっとした高台にあったと思います。近かったけど、すんなりとはいかなかった記憶があります。
サン・ロマン・アバド教会Iglesia de San Roman Abad。
事前調査で、カギ番の名前までわかっていたのですが、聞く人もおらず、どうしようもありませんでした。
でも、親切な説明版が置かれており、ここも内部は全くロマネスクの面影がないものに変容しているようでしたので、問題なしです。
さらに、後陣すら、こんな不思議な形にされちゃっていて、見る影もないんです。
見るべきは、扉だけ。
よくぞ、この扉装飾を残してくれました、と感謝したくなるような。
それも、かなりきっちり修復されていて、保存状態は、なかなかのものです。
扉の上部左右に、はめ込まれた彫り物は、本来はどこにあったものなのでしょうか。
なんか繊細な印象を受ける彫りです。すごく細かいわけではないのですけれど。
モチーフの捉え方でしょうか。
その印象は、扉側柱の柱頭彫り物についても同様です。
壁にはめ込まれたのも、やはり柱頭の一部でしょうかね。
後陣、オリジナルのまま残っていたら、おそらく楽しい軒持ち送りがあったでしょう。残念なことです。アーキボルトの植物モチーフや、市松帯も、やはり同じ繊細なイメージ。
扉だけでも楽しめて、訪ねた甲斐がありました。
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- 2017/11/16(木) 07:14:02|
- カスティーリャ・エ・レオン
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