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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

黄金伝説のフィギュア(セゴビア3)

カスティーリャ・エ・レオン、セゴビア編、その11(2016年夏の旅)

観光局に向かう道すがらに立ち寄った時はクローズだった教会。




ロス・サントス・フスト・エ・パストール教会Iglesia de los Santos e Pastor。

観光局ですげなく、「いつ開くか?それはカギ番の人しか知らない」と切って捨てられたのですが、再度戻ったところ、今度はなんと、扉が開いておりました。
この教会は、内部に、どうしても見たいものがあったので、実に嬉しかったです。




さっき、固く閉ざされていた扉が、遠目にもはっきりと開いているのがわかり、小躍り気分で、ほとんど走るようにアクセスしました。同病の方には、その時の気持ちが、きっとわかっていただけるものと思います。
外観も興味がありますが、何はともあれ、本堂に飛び込みます。

しかし、中は、ほとんどの部分が漆喰ぬりぬりで、一瞬愕然です。




でも、外観の割にはかなりこじんまりとした後陣部分のフレスコ画は、傷んでいるとはいえ、結構残されています。




おそらく、ここもある時期以降、漆喰で覆われていた、とかそういうことではないかと思います。そのために、残された部分は、結構きれいな彩色のまま。修復も相当されているものとは思いますが、それにしても、よく残ったものですよね。




テイスト的には、13世紀以降、ビザンチン風のスタイルと思います。あんまり、ウマい絵じゃないかも、笑。




先日言及したガイド本によれば、12世紀ということですが、私には、もうちょっと時代が下っているように見えます。感覚ですけども。もしかすると、異なる時代のものが、重なっているのかもしれません。

しかし、私が見たかったのは、これじゃなくて、実は、こっち。




これ、事前に小さな写真を見て、絶対に本物を見たい!と切望していたタンパン。
確か、黄金伝説をモチーフにしたフィギュアだったはず。
黄金伝説って、検索していただくと出てきますんで、詳細は調べてください。って無責任ですが、中世やっている人なら、一度は通る道ですよね、黄金伝説。ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画が有名ですよね。
ローマ皇帝コンスタンティヌスの母親であるヘレナが、ゴルゴダに巡礼して、キリストがはりつけにされたという十字架を見つけたという伝説です。

私も、話の詳細は知らないのですが、おそらくそのエピソードをまとめて印象的な場面を彫りだしているのではないかと思います。
このエピソードが流行ったのは、13世紀以降だったのではないかと思いますが、そうすると、このタンパンもその時代のものとなるのかもね。




彩色されていた様子がありありだし、目には、ガラスとか光る石がはめ込まれていたんでしょうね。繊細な彫りで、期待通りの素晴らしさでした。
タンパンを縁取るアーキボルトの装飾的な彫りも、素晴らしいものです。




よかったなぁ、とうっとりして、他のアイテムも見ることにします。
これまた驚いたのが、これ。




こういう状態で、遺骸が、というのも、ない話じゃないので、一瞬ドキッとした展示。
木彫りのキリスト像なんですが、なんと、11世紀のものだというんです。




修復して、塗りを重ねているにしても、つやつや度がすごいですね。びっくりしました。結構等身大に近いくらい大きいんですよ。




そういえば、どの段階からだったか、正確に覚えていないのですが、途中から、カギ番のおじさんが、ガイドを始めてくれました。もちろんスペイン語で、半分もわからないのですが、ほんのわずかはわかるもので、熱心に聞いていたところ、どんどん熱が入っていって、もう、あれもこれも見せたい!説明したい!と、情熱が止まらなくなってしまいました。
そうなると、ちょっと困ってしまうんですよね。逃げられなくなる…。

幸い、いい加減立った時に、他の観光客が入ってきたので、ほらほら、彼らにも説明してあげるといいよ、とさり気に促し、やっと、また気ままな見学に戻ることができました。ガイドはもちろん楽しいし、役立つ情報をもらえることも多いですが、とまらなくなっちゃう状態まで行くと、ちょっとね~。




漆喰ぬりぬりに惑わされず、細部を丹念に見ていくと、いろんな遺構に出会える教会です。おじさんの親切なガイド、もっとメモするなり、音声とともに動画でも発動しとけばよかったんですが、この日は、日記的なメモもほとんどしてなくて、かなりの部分忘却の彼方へ行っちゃってます。
が、確か、今ある建物の、側廊部分は、あとからの付け足しで、そのために、先ほどのタンパンとか、このアーチ扉とか、本来は、外につながる部分だったというようなことではなかったかと思います。このアーチは、南側なので、南壁にある扉だったのでしょう。

今、ファサード側にある扉周りより、装飾的ですから、本来はこちらがメインだったかもしれません。ガイド本の記述をしっかり読めば、おそらくそういうことも書いてあると思いますが、さすがにスペイン語を斜め読みはできず、その上、この教会に関する記述は多くて、にわかには…。すみません。

しつこくもう一回フレスコ画にご挨拶して、辞去。




セゴビアにこんなロマネスクが?!と驚かれる人、多いかもね。

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  1. 2017/12/01(金) 07:00:32|
  2. カスティーリャ・エ・レオン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

No title

十字架発見伝説の上に彫られた、装飾的な彫り物と言う事ですが・・・・

私には何故か、ケルト文様にも見えるのですが・・・・・・
当時の一般的な装飾彫なんでしょうね?
  1. 2017/12/01(金) 07:53:00 |
  2. URL |
  3. 古道具屋<山下亭> #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

わくわく~~~壁画も残っているのですね!
いいなあ~~~~
今、勉強中で、フランスからユックリ始めようか?
とか思っていましたが、
スペインに先に行きたくなったり、悩みはじめています。
病にかかりかけでございます!
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  1. 2017/12/01(金) 09:03:00 |
  2. URL |
  3. Atsuko #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

黄金伝説は聖人たちの伝説を集めたもの、その64に聖十字架の発見があります。本(平凡社ライブラリー)はもっていても読んでなかったので読んでみたのですが、図像の意味が分かりません。天使が香炉をふっていて、Helenaと思しき冠をつけた女性と後二人、手にもっているのは香油壺?聖女の墓参りを連想しますが、横は司教?それとも涸れ井戸に入れられて場所を白状したユダ?気になる図像です。それはそれとして顔と足のアンバランスが楽しい。
  1. 2017/12/02(土) 09:38:00 |
  2. URL |
  3. yk #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

> 古道具屋<山下亭>さん
組紐模様は、ケルト起源と言われていると思いますね。いずれにしても、北から来たものだと思います。
イタリアだと、ロンドバルドに多用されますが、スペインだとゴート?この辺りは、イスラムの影響もありそうです。どの文化でも、蔓や組紐、円は、永遠を表す図像として、多用されていますよね。
  1. 2017/12/02(土) 22:42:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

> Atsukoさん
はまりつつありますね~!ふふふ、嬉しい!病気仲間、大歓迎です!
フランスもすごいですけれど、とっつきやすいのは、スペインかもしれませんよ。自分が、好きだから、押しちゃいますけどね。実は、フランスも、まだまだ、アップできてないのがたくさんあるんで、それらを見ていただいたら、やっぱりフランスじゃん!とも思われそうですけれどね。
どうぞ、ごゆっくりとお勉強、進めてください~!
  1. 2017/12/02(土) 22:45:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
  4. [ 編集 ]

No title

> ykさん
黄金伝説って、よく見るんですけれど、13世紀以降流行った話だし、詳細は興味なかったりします。というわけで、話の詳細も知らないんですよね~!
でも、このタンパンの、おそらくヘレナと思われるフィギュアが、なんだかわからないなりに、とってもヘレナのイメージなんで、おおって思ったんです。自信満々な母親のイメージ?うがちすぎでしょうか?
  1. 2017/12/02(土) 22:48:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
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No title

ご無沙汰。暫くぶりに拝見しましたがこのタンパンいいですね。
黄金伝説の流行った後と推察してるようですが、伝承が先、書物にまとめたのは後と考えてよろしいですよ。聖エレナの彫刻はそれより黄金伝説より前の時代、つまり12世紀も含めて彫られています。
例えば、ヴァルカブレーにあるサン=ジュス教会の聖エレナなんか12世紀より前でしょう。あの時代はフランス併合より前ですから、スペインの影響の方が強い時代ですよね。

ヴォラギネは口伝で伝わる諸聖人の物語を文章化したのであって、石工たちはむしろ神父さんたちにそういうストーリーを聞かされていたのだと考えてよろしいでしょう。

例えばモデナの聖堂にあるアーサー王の彫像は書物にまとまるより前の時代の物であったことが知られています。
  1. 2017/12/02(土) 22:51:00 |
  2. URL |
  3. クリス #79D/WHSg
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No title

クリスさん
お元気でお過ごしでしょうか、本当にお久しぶりです。訪問、コメント、ありがとうございます。
またまた、相変わらずの博識ぶりで~、笑。
黄金伝説って、ヨーロッパ中に広がっていたのですね?ローマ皇帝がらみだし、イタリア中心のモチーフで、ボラギネによって書物になって以降、広く普及したものかと思っていました。
巡礼も盛んだったし、口伝えによる普及は、侮れないものがあったのでしょうね。石工さんたちは、広い範囲で旅もしていたようですしね。
口伝えって言ってしまえばそんなものか、と思いますが、徒歩が基準の時代にあって、口伝えで広い範囲にまで普及するって、考えたらすごいことですねぇ。
最近、ロマネスク時代の歴史学ってどういうもんだったのか、とか考えていたので、改めて、その場に生きていたら、みたいなことに思いを寄せているんですよ。
  1. 2017/12/04(月) 22:51:00 |
  2. URL |
  3. corsa #79D/WHSg
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