2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その4
ビザンチンって、たぶん結構好きで、いつか、ギリシャのテッサロニキとか、バルカン半島の内陸を回りたいと思っているくらいなんですが、が、歴史も含めて、本当にわかってないんですよね。
この旅では、あちらこちらでガイドさんのお話を伺う機会があり、中世に関しては、まったくの素人ではない、というような心持で臨んだのですが、ビザンチンに関しては、完全な素人でした。
かといって、ロマネスクだって、数多く見ているというだけで、図像学にしても、ちゃんと勉強しているわけでもないし、本来的な図像の意味とか、そういうことは実はわかってないんです。経験と数で、なんとなくわかったふりをしているだけ…。
ということを、素晴らしいガイドさんたちのお話で、いやになるほど感じ続ける旅でもありました、これは。
洞窟教会のフレスコ画は、ビザンチンの影響が大きいため、ビザンチンの図像学ということで、お話を伺ったわけですが、では、ローマのキリスト教の図像はどうなのか、という知識が乏しすぎて、比較もできないというような状況で、なんだか、記事をアップするのも気が引ける一方なんです。
ずいぶん前に買ったビザンチンの図像がたくさん掲載されている書物を紐解いたり、日本でビザンチン美術を研究されている方の本を再読したり、なんだかそれでも図像学についての記述はなかなかないし…。
というわけで、ガイドで聞いた話や、どこかでかじったことなどを、間違いも承知で書いていますので、その辺はお許しくださいね。
さて、サンタ・マルゲリータで、長年気になっていた洞窟教会が、想像以上に興味深いものであることを確信し、ツアーが楽しくなってきたところで、次に向かったのは、サンタンジェロ洞窟教会Chiesa rupestre di Sant'Angeloです。
サンタ・マルゲリータからは、車で10分もかからない場所です。道端に、この地域におなじみのマッセリアMasseriaがあり、その向かいが目的地となります。
マッセリアは、16世紀以降に、この地域に多くあった農園のこと。荘園といった方が似合うのかしら。農園の中に、農園主の館や、農民の住居などがある施設で、今に残ったマッセリアの多くは、ホテルやレストランに転用されているようです。
そして、このマッセリア・カサルロットが、サンタンジェロの目印。
道路から入ると、いきなり穴が開いている様子です。
ここは、住居のあとでした。マテラなども、80年代くらいまで、洞窟に暮らす人がいたと記憶していますけれど、ここも、結構最近まで、少なくとも20世紀まで、人々が暮らしていたもののはず。
穴に暮らしているというと、なんだか貧しさとかそういう風に考えがちだと思うんですが、勿論そういう一面もあったとは思いますが、洞窟って、温度も一定だったり、結構暮らしやすい面もあったんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうね。なんてったって、掘れば、家になっちゃうんだから、建てるより安上がりだしね。
ま、それはともかく、この住居跡の先に、教会があります。
これは、ガイドさんなしでは、アクセスも難しいし、鉄柵もきっちりと施錠されていて、鉄柵越しでは、ほとんど何も見えません。
しかし、地味な入り口。サンタ・マルゲリータの、峡谷に張り付いたようなロケーションというスペクタクルもないし、と思うでしょうが、入ってすぐ、絶句でした。
にわかには信じられない構造が見えたからです。壁のアーチね、掘ってるんですよねぇ。
それどころか、柱を残して、全部掘ってる、ということが、すぐに迫ってくるんです。
サンタ・マルゲリータも、掘って作ったスペースだったのですが、より単純な構造な上に、ロケーションの激しさから、人工というよりも自然洞窟的な印象を受けていたと思うんです。本当は違うんだけど。
でもここは、まごうかたなく人力の建造物であることがわかるので、ゾクゾクしてしまいました。
それに、ここは、多くの洞窟教会が広がる南イタリア一帯で、唯一の二階建て構造になっているんです。
下に降りる石の階段は、結構危ない状態でしたが、まぁ何とか使用可能。しかし、一部は、完全に探検隊向けな様子になっています。
地下部分は、墳墓が目的だったとされているようです。
6つの墓が見つかっていて、四つは、とっくの昔に盗掘にあっていたそうなのですが、二つは、近代になって発見されたため、出てきたコインから、12世紀前半の墓であることが判明したそうです。
一番大きな墓でも、長さは180センチくらいということで、やはりこの時代の人は小さかったんですね。
さて、この教会も、結構フレスコ画が残っています。といっても、上も下も、傷みが結構激しいので、説明を受けても、わかりにくかったんですけどね。どうやら、本来のフレスコというよりも、石壁の上に、テンペラのような素材で描かれたために、フレスコのようには丈夫なものではなかったらしいのです。
それでも、長い間、土砂に埋まっている状態により保存された部分もあるようですが、様々な時代に起こった人による暴行や、また、湿気によりコケやカビの発生は、停めることができず、ということのようです。
今、壁の表面に見えるフレスコ画は、13/14世紀のものということですが、そういった厳しい環境を考えると、数百年もたって、これだけ残っているのは、奇跡のようなものでもありますね。13/14世紀のフレスコ画は、それより古い時代のフレスコ画の上に描かれているようですが、その重層は、知ることができません。
入り口からすぐの壁。
多分一番右側が、司教の印を持った人の姿。名前は不明なものの、司教であることは確かなんだそうです。真ん中は聖母子みたいですね。ここは、時代の異なる重層が、ところどころ垣間見えているようで、それぞれ、時代も異なるようですよ。
デイシスDeesisが二つあります。
デイシスは、ビザンチンで広く普及した図像で、全能のキリストが玉座に腰かけ、祝福のポーズをとり、その右側(見るものにとっては左側)にマリア、そして左側に洗礼者ヨハネがいるというものです。サンタ・マルゲリータにもありました。
ただ、このデイシスでは、洗礼者ヨハネの代わりに、サン・ヤコブ(San Giacomo)が配置されているんだそうです。確かに、よく見ると、そう書いてあります。
研究者によっては、もしかするとこの教会が、ヤコブに捧げられたものであったのでは、と考えられているということです。この地域でヤコブ信仰が強かったということもあるようですね。図像、意外と柔軟なんですね、洗礼者ヨハネを押しのけて、ヤコブったら。
このマリア、好き。衣もマントも赤ですね。青い衣の印象が強いんですけれど。
ケルビムが、角っこにいます。怖い顔していて、全然天使っぽくありません。
もう一つのデイシスは、相当傷みも激しかったからか、写真をちゃんと撮っていないようです。ダメですねぇ。
一方、下の教会にも、フレスコ画ありますが、かなりの暗闇で、ガイドさん(だったか、または同行者)の持つ明かりが頼りで、その上、やはり相当痛んでいて、全体を把握するのは難しい状態です。
光の当たった部分しか、認識できない暗さです。
こっちの方が、色はよく残っている感じですね。または、湿度で、色が濃くなっているのかもしれません。そういえば、湿度が高いと、壁が洗われたようになるので、色が鮮明になるというお話をされたガイドさんがいたと思います。ここもそうかも。
線がすごくはっきりしていて、かなり新しい絵なのか?という印象もあります。
これも、すっごくビザンチンっぽい。手にしているのは、きっと、イコンの発注者と絵を描いた人の名前が書かれた巻物だと思います。違うかな。
ツルツル滑る階段を、這うようにして、また上の教会に戻り、注目したポイント。
天井なんですけども、こういう装飾があるんです。
これは、ロマネスクのヴォルトを参考にしてなされたものだという解説がありましたけれど、実は私は、エトルリアまたは、同時代、つまりローマ以前の民族の文化が発祥ではないかと勝手に思っています。
というのも、エトルリアも、掘って墳墓を作る文化なんですけれど、天井に、様々な装飾を残しているんですよねぇ。ロマネスクは、あくまで建築で、掘る文化では、やはりエトルリアではないかと。
この地域にはエトルリアはいないんですけれど、同時代、イタリア半島には、多くの少数民族が散らばっていたんですよね。そしてその多くについては、あまり研究が深堀されておらず、あまりよくわかっていないこともたくさんあるんです。
この地域は、巡礼や公益のため、多くの人々が通過する場所であっただけに、石工や職人さんなどにしても、他地域との交流が、様々にあったんじゃないかと想像します。教会等の装飾に関しても、オリエントから北方まで、幅広く…。
ロマンですよ~。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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- 2018/02/03(土) 07:18:43|
- プーリア・ロマネスク
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| コメント:9
洞窟のように彫って造った教会。デジャヴュ、、カッパドキアみたいですね。面白そう。ゾクゾクします。
テサロニキから北上してカストリアをみてマケドニアという、まさにそのビザンチン美術tourに来月出かけます。それなのに北欧ロマネスク旅日記が仕上がっていません。
予習時間がなくなりそうです。(カルチャーの先生同行なので、予習、中途半端でも大丈夫か と甘い考えではいますが)
- 2018/02/03(土) 00:38:00 |
- URL |
- yk #79D/WHSg
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> ykさん
そう、カッパドキアのウフララ渓谷に似ていると思います。あそこを訪ねたのは、中世まったく興味ないころだったので、今更悔しいです。
ところで、テッサロニキ、カストリア、マケドニア、なんという素敵なルート!イースターに何もなければ、テッサロニキ(ミラノから直行便がある)だけ、行こうかと考えていたのですが、ダメになってしまったんです。うわぁ、サイトにまとめられるの、すごく楽しみです。行って、うわ~となるのもいいもんだと思うので、予習は大丈夫ですよ、きっと!
お気をつけて。
- 2018/02/03(土) 20:29:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
- [ 編集 ]
カッパドキアのキリセは条件が似ていますから
似ているとか感じますね!
デエシスの洗礼者ヨハネですが一応このかたが本式なのですが
ヴェニスのサンマルコ寺院は洗礼者ヨハネのかわりに
聖マルコがかかれています。
洗礼者ヨハネは人間の中では天使に近い人ということで
お取次ぎはこのかたなのですが、他の聖人になっているところも
あるわけです。
手に持っている巻物にはイエズスの省略文字が見えていますので
多分お祈りの言葉がかかれているのではと思います。
注文する人の名前は普通は下のほうにかかれたり
小さい人の絵をしたのほうにかいたりします。
なかなか行かれそうにも無い場所に行かれて良い経験をされましたね!ナイス・ポチ!
- 2018/02/04(日) 18:51:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
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> Atsukoさん
赤紫なんですね。
ベネチアの島にいる聖母は、どちらも美しい青なので、ビザンチンでも、私の中では、そのイメージが強いんだと思います。
ああ、あの青い聖母、またお会いしたくなってきました。
Atsukoさんは、やはりビザンチンのフレスコ画が見られる主な場所には、行かれているのでしょうか。
- 2018/02/04(日) 19:47:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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聖母の衣服は赤紫というより赤ワインのボルドー色でしょうか
私はアテネとかサンクトペテルブルグには復活大祭(正教では
復活祭のことをこう言います)にいってどのような場面でイコンを使うのかとかも拝見させていただいています。
アテネの教会には沢山のイコンがありますが、ビザンチン・イコンのあるビザンチン美術博物館とかベナキ博物館、
サンクト・ペテルブルグのロシア美術館
でロシア・イコンもはいけんしています。
エジプトのシナイ半島にあるサント・カテリンにも行っています。
スイスの美術館でロシアイコンやビザンチンイコンの
展示会があるときにもいっていますし、
エジプトのコプト・イコンも見てきました!
でも18年もイコンをかいていますから見ただけで大体何方かは
わかります。参考にするイコンの本もどっさり持っています。
- 2018/02/04(日) 22:39:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
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> Atsukoさん
描いていらっしゃるんですから、そうですよね、資料はたんとお持ちでしょうね。
ビザンチンは、建築様式も結構好きなので、いつか、バルカン半島をめぐってみたいんですよ。せめて週末プラスアルファで行けるギリシャ辺りは、近々、是非行ってみたいものです。
- 2018/02/05(月) 22:56:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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最近いろいろな旅行会社のパンフレットで
興味をひく国のツワーとかを見ていまして、、、
行ってみたい場所が増えてきて目移りしてしまいます。
6月はロンドンは決まっていますので
其の他の時期となると選択幅が少なくなります、、、
リタイヤーしているとは言え、家族が来る時は
やはりそちらが優先になりますので、、、
難しいところです。
遠いところから始めて近い場所は後にするとか
考えていてもなかなか思い通りにはなりませんね!
ビザンチン美術!素敵ですよ!
教会もこじんまりしていて好みです。
- 2018/02/06(火) 10:31:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
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> Atsukoさん
6月の旅をすでに決めていらっしゃるとは、私並み、笑!と言っても、今年は、母の介護で、今月また一時帰国だし、イースターは日本から友人が来るし、修行系の旅は、全然未定なんですけどね~。
ビザンチン、南イタリアの土踏まずのあたりにもいくつかありますが、行かれましたか?
お互い、まだまだ行きたいところが、たくさんあるみたい。でもそういうのがいいですよね。どこも行きたくなくなったらおしまいですよね~。
- 2018/02/06(火) 22:50:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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