2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その16
マテラから南下して、チェッラーテの修道院経由、プーリアの深奥にかなり入ってきたという感じで、なお、洞窟教会巡りは続いていて、目指すのはヴァステという村です。
多くの土地でそうなんですが、実際に訪ねるまでは、そこがどういう風になっているのか、まったく想像もつかないケース、多くあります。この、プーリアの洞窟教会巡りでは、まさに、出発前から想像もつかない、ということが前提だったので、なるべく事前に、地域の観光局に電話するなどして、情報収集に努めたのですが、それでもなおかつ、わからないことが多くて、この場所も、そういうところの一つでした。
っていうか、つまり、電話が通じなかったというだけのことなんですが。とってもイタリア的…。
でも地域一帯が、考古学的な公園になっていることは分かったので、とりあえず、そこを目指してみました。
戦場跡公園Parco dei Guerrieri、ヴァステ(ポッジャルド)Vaste (Poggiardo)
確かに、それらしい看板、それらしい建物、それらしい…。
考古学的な名称の付いた公園になっているようでしたが、でも、建物は、数日とかではなく、数か月とかそれ以上、開いた形跡も感じられない状態でした。
ちょっと途方に暮れた気持ちになってしまったのですが、なぜか、そういう、人里離れた場所なのに、人待ち顔に停車している車がいたので、目的の教会について尋ねてみると、ああ、それならこの先にあるけれど、わかりにくいから、先導するわ、と、明らかな一本道なのに、先導してくださる老夫婦。
そして、到着した広場。
この広場、妙に立派な駐車場もあるんですが、先導してくれたご夫婦の旦那の方が、ほら、その右手の方の奥に、教会があるよ、と、示してくれ、彼らはそのままあと戻りました。
残された我々は、その、示された右側を確認したのですが、見事にクローズ。取り付く島もなく、クローズ、です。
一同絶句で途方に暮れましたが、しばらくしたら、仲間の一人から、あそこからなら、入れるのではないか、という提案が。
確かに、メインの鉄扉は厳重にカギがかけられている上に、乗り超えるなど考えることもできないほどの状態でしたが、脇の方は、割と土手とか普通な感じで、いざとなれば、あれ、ここは土手だったので、乗り越えてはいけないとは思いませんでした、とか言い訳もできそうな状態でした。
というわけで、土手登りして、目的の洞窟教会にアクセスです。
なんか、異常にシンプルな建物。これかな?と疑心暗鬼で近寄ります。
サンティ・ステファニ教会Chiesa di Santi Stefani
これだった!
11世紀につくられた洞窟教会です。
なんか、換気のためかなんかわからないんですが、窓が開けられていて、そこから、一部覗き見ることができたんです。
肉眼では、ほとんど認識不可能でしたが、自分のデジカメの解像度マックスでは、結構撮影できていました。
だからと言って、実際に内部に入って、アーチを見上げるのとは、全然違いますけれどもね。
それでも、土手を上ってきて、よかったな、と満足感、達成感がありました。実際は、不法侵入以外の何物でもないのですけれど、笑。
ここね、一体の入り口に、鉄扉があって、カギがかけられていましたけれど、その中に、この洞窟教会をはじめとして、先史時代っぽい遺跡っぽいものもいろいろあるんです。
でも、説明版を読むと、先史まではいかなくて、ロンゴバルドとか、そういう時代の8世紀前後のあとがいろいろあるようでした。
なるほどなぁ、と思いながら、最初の土手をよじ登ってきた方に戻ると、なんか、知らない車が止まっています。
何もない場所ですから、我々以外に、他の人がいるわけもないので、もしかして、不法侵入が通報されて、警察でも出張ってきたのか、とにわかに緊張し、しばらく隠れるように様子をうかがっていたのですが、らちが明かないので、仕方なく、土手を降りたところ、なんと、最初にこの場所に案内してくれた夫婦のうちの、夫の方が、別の車で、戻ってきていたんです。
なぜかというと、わざわざこんなところまで、地域の教会を見学に訪ねた我々が、どうにも気になったらしいんですよ。実際は、イースターの、ご飯会の準備とかに駆り出されるのが面倒で、妻に対して、手伝わない言い訳を作っていた様子が濃厚でしたけれども。
いずれにしても、やばいなぁ、と不安になっていた我々を笑い飛ばして、いやいや、この辺りは、歴史が複層的にあるので、どうせなら、いろいろ案内したいと思って、と、またもや、車で先導して、このヴァステ地域の歴史を語ってくださいました。
この一帯が、考古学公園になっているのは、確かにそうなんです。先史時代の「兵どもが夢のあと」とでも言った、戦いの広場が、すごい範囲で広がっていて、ところどころに、墓だったり、住居跡だったり、いろんな遺跡が発掘されているようなんです。
彼にとっては、それら地元の遺産を、明らかな観光客である東洋人に、見せたかったんだと思います。わざわざ車で先導してくれて、ここはどうだ!みたいなかんじで、示してくれました。
この、果てしなく広がる草原で、そういった場所に案内された時には、有難迷惑半分、地元愛への敬意80%という感じで、楽しくお話を伺うことができました。
この後どうするんだ、と尋ねられたので、我々は、中世の洞窟教会を目的にしている、と言ったところ、それなら、是非俺の町にも来てもらわないと、と、当初の目的の一つであるポッジャルドまで、先導されてしまいました。
しかし、これは、イースターの日曜日です。このポッジャルドでも、イースターのイベントで、村の中心地は封鎖されています。それでも彼は、自分の顔で、我々の車も含めて、侵入禁止の場所にまで、アクセスしていくのには、こっちがおろおろしてしまいました。
というのも、この村にある洞窟教会は、まさに村の中心地の広場地下にあることがわかっていたので、封鎖状態では、アクセス不可能だったんで、ついていくしかなかったんです。
Poggiardo, Museo degli Affreschi della Cripta della Santa Maria degli Angeli
ポッジャルド、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会クリプタのフレスコ画博物館。
ここも、事前に電話で様子を聞こうと思ったのですが、電話は通じず、ただし、博物館となっているので、通常の開館時間にはオープンしているはず、と思っていたのですが、実際にアクセスしたところ、およそ、毎週のように開いているような様子はありませんでした。まぁ、そういう状態なので、クローズしていても、仕方ない、と簡単にあきらめがつきました。
無理やり侵入禁止の場所に入り込んでしまったので、長居するわけにもいかず、早々に退散しました。なんせ、警官が、不審な様子で、近づいてくるのが目につきましたから、アワアワしました。
それにしても、楽しかったです。
こういうことがあるから、イタリアにはまったんだよね、俺、と久しぶりに懐かしく、自分がなぜイタリアにはまったか、という原点を思い出した経験でした。この頃、こういうことは、なかなか起こらないけれど、南はやはりまだあるんだなぁ、とか。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
インスタグラム
スポンサーサイト
- 2018/05/21(月) 06:47:10|
- プーリア・ロマネスク
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0