2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その17
ドキドキの不法侵入の後、またまたクライマックス、到来です。
自分が言い出しっぺで、修行仲間まで巻き込んでしまったけれども、あまりに地味なのではないか、と、旅の直前まで、そして実際に仲間と同流するまで、くよくよしていたんですが、旅が始まった途端に、クライマックスの連続で、よくもまぁ、これだけのものが隠れているもんだ、という驚きと興奮に包まれまくり、よくぞ、これを企画した、オレ!と、今でもびっくりしてしまいます。
なんせ、ビザンチンだったり、プレロマネスクだったり、洞窟だったりするから純粋にロマネスクというカテゴリーから外れるところばかりなので、せめてイタリア語媒体にアクセスできないと、なかなか情報そのものにたどり着くことすらできない現実がありますし、情報も少ないので、本当に訪ねる価値があるのかどうかもわかりにくい。そのため、私自身も、そのあたりで、ためらいはあったんですよね。
それでいて、ロマネスク病の人だったら、そこからのつながりで、絶対に興味を持てる場所の目白押しなんですから。
というわけで、今回訪ねた場所もまた、予想を軽く上回るすごいものがありました。
でも、住所を頼りにたどり着いた場所は、こんなにしょぼいんです。
カルピニャーノ・サレンティーノの村の中心広場に建つ、サンタ・マリア・エ・クリスティーナ教会Chiesa di Santa Maria e Cristina, Carpignano Salentino。
旅の前にいろいろ調べた中に、この教会を管理しているグループの電話番号にはたどり着いて、事前に、オープン情報を聞いていたんですが、いつでも電話してくれれば、大丈夫ですよ、というように記憶していたので、たどり着いた時、閉まっているのは想定済みで、すぐに電話してみました。
そしたら、ちょっと困惑した感じで、モグモグと、「え、今ですか?」と。
考えたら、この日は、イースターの日曜日。それも、お昼前の時間でした。「事前に電話したとき、現場にたどり着いてから電話くれればいい、と言われたんですけど…」と言いながらも、もしかして私の勘違いかも、と気弱に思い至ったのは、イースターという背景があったからです。
でも、先方は、「わかりました。誰か行ける人を手配するので、しばらく待っていてくださいね」と言ってくださいました。
村の中心っぽいのに、限りなく地味な広場の日陰で待つこと、ほんの10分足らずで、おじさんが、カギを持ってやってきました。正直疑心暗鬼だったので、狂喜乱舞の気持ちでしたよ。
おじさん、大変親切で、会うなり、どの程度の説明が必要なのか、要は、我々の基本知識はどの程度あるのか、ということを聞いてきて、かなりプロな感じです。それでいて、比較的最近、日本から学生さんの団体とか、その他、二組ほど案内したけど、言葉が通じなくてね~、ほんと、困ったんだよ~、なんて、お茶目な感じもあって、すっごく好感度高かったです。
鉄扉を入り、この、新しい上物から入場します。地下に、フレスコ画があるはずなんです。
我々は、ロマネスクを中心に結構現場をあちこち回っているので、ロマネスクを中心に、そこそこの知識はあると思っています、なんて言ったんですが、あとから恥ずかしさに打ちひしがれる気持ちになりました。おじさんの説明は、本当にすごくて、特にビザンチンの知識、そして、ビザンチン芸術がここに遺された時代の、この地域の歴史や状況など知るわけもないんですから、要は、まったくの無知と変わるところがなかったわけなんです。
結構長い階段を降り、つまり、結構な地下レベルだと思うんですが、ビザンチン時代の礼拝所に足を踏み入れた途端、絶句しました。
これね、現場の方が、より鮮やかで、狭いスペースにびっしりなんで、圧倒されるような迫力なんです。
そして、おじさんの説明は、ノンストップ。イタリア語ですから、私は同行者に通訳しないといけなくて、頭も口もフル回転で、自分の気持ちもノンストップでした。
あとから、あれだけの素晴らしい説明、すべて動画に収めればよかった、と大後悔しました。とても、メモする余裕もなかったし、通訳する分、理解には務めたものの、インプットからアウトプットという感じで、結構スルーもしてしまって。あれだけの説明を現場で聞けることは、そうないと思うので、実に実に大失敗だったと思います。
説明を聞いたり理解したりする方に忙しくて、写真すら、あまり撮影していないんですから。
現場で見学するときは、割と、まっさらな気持ちで見る方が好きで、事前に知識を詰め込むよりは後付けで調べる方が好きなのですが、結局、キリスト教のこと、図像学のことを、実は全くわかっていないというか、実についていない、という事実も、わかった感じです。ビザンチンの図像学、というのもありますが、基本的に、図像の宗教的意味、聖書的意味で、深くとらえることはなかったんだろうと思いました。
表現されているその芸術性が好きで、現場を歩いているので、宗教的観点からは、結局見ていないということですね。まぁ、それはそれなんですけれど。
例えばこの聖母子像。
聖母がキリストの昇天をとどめるために、肩を抑えているんですよ、と。キリストは、もう昇天の準備万端で、ふわふわ浮かんじゃう状態だけど、まだ原罪を取り除くという契約書を手に持っているから、それをちゃんと決済するまでは昇天しちゃダメ、と。
押さえてるよ、確かに。ふーん、そういうことなんだ~。
それにしても、なんかこのマリア、しゅてき~。
光背にも背景にも、真珠が点々で、とってもビザンチンな様子です。
キリストも、宝石キラキラ。
ここは、ちゃんと五本指。
そして、キリストは聖書を、自分の言葉である聖書を見せつけるように持ち、聖職者は、言葉である聖書を、絶対に素手で持たずに、高価なストールで包むように持ちます。
殉教者は、胸に抱え込んで、自分は聖書の言葉通りに行動します、という自己主張をするそうです。
教会が捧げられている一人、クリスティーナさん。彼女も殉教した聖女なのかな。
これ、面白いです。右手に持っている十字架は、木で作られたもの。切られてしまった木は、ステイタスとしては死んでいるものですが、なんとこの十字架、芽吹いているんですね。で、復活を表しているんだそうです。わ~、芽吹いた十字架なんて、見たことない~。っていうか、たとえ見たことがあっても、きっと気付いてないです。
それにしても、豪華な衣装です。
時代が違う人を表すにも、当然この時代の衣装を着けさせるような話もありましたが、どこでどの聖人の話をした時だったか…。
他でも聞いたように思いますが、ビザンチンの場合、発注者や画工の名前が必ず記されるので、背景がよくわかるということで、ここにもしっかりといろいろな記載がありましたよ。古文書が読めると、こういうのは楽しいでしょうね。
なんか、がっかり。この百倍もお話は伺ったのに、忘れちゃうし、写真もちょっとしかないし。
デイシスの一部。
この地下スペース、このビザンチン部分と、もう少し時代が下って、ロマネスク・ゴシック時代のスペースに分かれています。
この地域一帯は、ビザンチン文化が浸透していて、時代が変わっても、キリスト教とビザンチンは共存していたんだけれど、どんどんキリスト教がのしてきて、ビザンチンは少数派となり、迫害されるようになり、それで、このビザンチン部分は、塗りこめられていたんだそうです。そのために、保存状態も良く、残された、という、今となっては結構な幸運に恵まれた、ということにもなりますが、なんだかスペインの、キリスト教とイスラムの話にも通じるような歴史だと思いました。
確かに宗教が共存できた時代があったのですよねぇ。いつから、こうやってお互いが非寛容になってしまったんだか。聖職者個人個人に追うところも大きいのだろうと想像します。キリスト教で言えば、教会の力が強大になるにつけ、という流れもありますよね。
新しい方のスペースは、やはりフレスコ画も新しくて、ビザンチン部分とはかなり違います。
ビザンチン部分の方が、圧倒的に好みでした。
でも、ガイドしてくださった方は、どの絵についても、これでもか!という説明の嵐で、本当に素晴らしかったです。
イースターのランチが待っていますから、最後の方は、おそらくご家族から電話が入って、申し訳ない状態でした。それでも、結局1時間半超にわたって、アテンドしてくださいましたよ。もう純粋にびっくりでした。だって、かなり狭いスペースなので、説明なしだったら、おそらくあっという間に見学終了で、思ったよりすごかったね、程度で終わっていたと思うんです。
それが、2時間近くが、まさに一瞬としか感じられない時間を過ごさせてもらって、おじさんは、まだまだ話したりない様子だし、こっちも、本音はまだまだお話を伺いたい気持ち一杯でした。
いつかまた、是非訪ねたい場所の一つです。いつまでも、あのグループの人たちが、しっかりと管理してくださることと思いますし、きっとチャンスがあることでしょう。でも、一人じゃ行きにくいかもね~。今回は仲間がいて、よかったです。
このイースターの日曜日、実はクライマックスの連続なんです。本当にすごい一日だったな。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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- 2018/05/23(水) 06:08:30|
- プーリア・ロマネスク
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素敵な時間を過ごされましたね!
でも、、、実際に公に書かれているサイトでも
ビザンチンの解釈と全く違う解釈をカトリックのサイトで書いていてガッカリしましたので、説明が必ずしも正しいとは言えないこともあります!カトリックではもの凄く大切にされている
『絶えざるお救いの聖母」このイコンはローマにありまして
カトリックの信者さんたちはカトリックのものと思われていますが
幼子イエズスのサンダルがとれていて紐で繋がっています
これは実際はこれから起こることに対してそのことを認めるという
ユダヤ人の伝統なのですが、カトリック・サイトではその1本で
つながっている紐は私達を救ってくださる望みの紐などと書かれていました。ガイドさんの説明が必ずしもビザンチンの考え方と
一致しているとは限りませんから、、、
知らないと思われる必要は全くありません!
その時代を反映して破壊されたり塗り込められたりとかありますが
正教とカトリックはそれほど乖離はありません、、、むしろ
プロテスタントとカトリックの乖離のほうが大きいです!
- 2018/06/06(水) 06:42:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
- [ 編集 ]
> Atsukoさん
本当に素敵な時間を過ごしました。あんなに夢中になって、ガイドを聞いたのは初めてかもしれません。
確かに、ガイドの解説が100%と正しいとは限りませんね。解説書もしかりだと思います。一方で、教義がすべてではないかとも思います。その土地ごとの歴史もありますし、土地や時代で、変わるものもあるでしょうからね。
大切なことは、その土地にある遺構を、土地の人々が本当に慈しんで、イースター当日の呼び出しにも、喜んで駆けつけてくださるという、そういう気持ち。それが、善きこととして伝わってきたことが、嬉しかったですね。言葉の問題があり、難しいと思いますが、Atsukoさんのような方に、是非訪れてほしい場所ではあります。
- 2018/06/10(日) 18:33:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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