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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

集客は重要ですからね(ブリンディジ3)

2017.04.プーリアの洞窟教会巡り、その28

ブリンディジ、懐かしのサン・ベネデットを愛でた後は、これまた懐かしの教会です。




サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ神殿Tempio di San Giovanni al Sepolcro。

この独特の形、勿論聖地の模倣です。起源はとっても古いのですが、時代時代にいろんな手が入っていて、オリジナルの残り方は、ばらばらになっています。そのあたりは、失礼ながら、サイト「ロマネスクのおと」を、ちらりとご参照くださるとありがたく、ペコリ。

実はこの再訪で、最も期待していたのが、地下の遺跡発掘の進み具合を見ることでした。




非常にわかりにくい写真ですが、これ、教会の床面に開けられた穴で、地下の一部をのぞけるようになっています。このブログの左側の書庫にある、プーリア・ロマネスクから、過去ブログ記事を見ていただくと、7.8年前に行った際、修復の終了予定が、2017年になっていたことが記されています。

ところが残念なことに、修復された部分も、このように、工事用に開けた穴だけを整備して、一部除けるようにしているだけで、今後も公開されることはないというお話でした。
この地下部分には、ローマ時代の家屋の遺跡があり、床モザイクが発見されたそうなのですが、発掘可能な範囲は狭く、公開のために整備するほどのものではなかったということらしいです。

残念でしたが、そんなお話をしたことから、係員の方が、他にも多くの解説をしてくださり、面白い訪問となりました。瓢箪から駒、的な。

一番興味深かったお話は、中世時代に作られたオリジナルの構造のことです。




サン・セポルクロですから、聖地の建物同様に、円形をしていますが、円形でも、東向きに祭壇が作られています。それが、上の写真の奥の方の部分になります。後陣になっている様子がわかるでしょうか。

この、中央後陣が、今のメイン・エントランス(トップの写真に見えるもの)からは、左側、つまり入り口が北側にあることとなります。
一方で、この祭壇の正面、つまり西側に、もう一つ扉があるのです。




今でも閉ざされることなく、あります。ただし、鉄柵で囲われて、裏庭へと通じているだけで、外に通じているのは、北側の扉だけとなります。




裏庭が菜園のようになっていますが、もはや左右から、他の建物が押し寄せていて、街並みに埋もれた空間です。
井戸がありますから、修道院教会だった時代もあったのかしら。

庭側に、もう一つ、閉ざされた扉が見えますね。どうやらこれも、もともとあった扉のように見えますが、残念ながら、これについては、お話を伺っていませんでした。

話を戻しますと、後陣をまっすぐ見る、西側の扉が、実は本来のメイン・エントランスだった、ということなのです。
しかしながら、聖地を目指す巡礼をはじめ、商人や村人が通過するのは、もっぱら、北側扉からアクセスが近い街道であったため、どうしても人目に触れやすく、結局実を取って、北側扉をメインにしたということなんです。

それで、装飾も増やして、ふさわしいものにされたと。

今では無用の長物のようになっている西側扉、妙に装飾的なので、不思議だったんですが、謎が解けました。




相当時代の古い、超浅彫りですが、とても好みの彫りです。
ま、これじゃ目につかないわな~。それも奥まっているわけですからね~。

二つの扉の詳細は次回。

おなじみのロマネスクは、こちらへどうぞ。
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  1. 2018/07/15(日) 02:39:36|
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