2016.08.オーヴェルニュの旅 その55
この日は、リオンRiom郊外に宿泊の予定でしたが、あまりに早く見学が終了してしまったので、もうひと頑張り。
事前の調査では、18時45分まで開いているはずのモザMozacに向かいました。
モザは、リオン郊外の町、といった位置関係で、リオンから真西に10分程度のドライブです。リオンの街並みが続いている状態で、違う町というような感覚ではなく、いきなり町に入り込んでしまい、これが果たしてモザなのかどうかも定かではなく、位置関係を理解するために、とりあえず目についた駐車場に入り込んでみました。
結構大きな駐車場で、隅っこで、くつろいでいるファミリーが目につきました。
ナビもスマホもあるのだから、自分でちゃっちゃと調べればいいのですが、人が目につくなら、私は聞く方を優先するタイプ。田舎に行くことが多く、通りすがりの人がいなくて、尋ねることもままならないケースが多いことによる、飢餓感や危機感みたいなものがあるのかもしれません、ちょっと大げさですが。で、このときも、車のまま、ファミリーの近くまで寄せて、ここがモザであることと、教会の場所を尋ねたんです。
そうしたら、家族内でああだこうだと相談した挙句、私のフランス語がかなり不自由なのを気遣ってくれたのか、お父さんが、「よっしゃ、ついてこい!」と、やおら傍らにあった車に乗り込み、先導してくださったのでした!
そういえば以前、ど、の付きそうな田舎で、通りすがりのおばあさんが、「先導したる!」と言って、徒歩で車の先導をしてくださったことがありましたっけ。今回は車なので、まだしも気楽でしたが、それにしても、超の付く親切心です。ありがたいことです。
ちなみに、いわゆる純粋なフランス人ではなく、移民の方々でした。
あっという間に教会到着。
モザMozacのサン・ピエール教会Eglise Saint-Pierre(9:00/18:45)。
最近端折っていた実用情報ですが、住所は、Rue d'Abbayで、教会の前に、公衆トイレがあったと思います(このとき、かなりギリギリだったので、とっても助かりました!)。
説明版をざっと見ると、創建は7世紀で、8世紀に聖オーストルモアAustremoin(正確に読めません…)のレリックが運び込まれたことで、規模が拡大し、修道院になったようです。11世紀には、クリュニー傘下に入るそうですから、ブイブイ言わせていた存在だったのでしょう。残念ながら、15世紀に地震により、中世の建物は損壊し、再建されたのが、この姿ということらしいです。とはいえ、内部の一部には、創建時や12世紀ごろの建造物が残っているのです。
中世の姿が大きく失われたのは寂しいばかりですが、それでも、常に現役の存在であったことは間違いないですね。だからこその変容。
それにしても、フランスで、地震情報って初めて見た気がします。オーベルニュは火山跡で有名ですから、もともとはそういう地域であるとしても、有史以前の話でしょうから、15世紀に地震が引き起こされる要因ではないはず。
私の住まう北イタリア、ロンバルディアやベネトあたりの教会まで損壊した最も最近の地震と言えば12世紀(北東部の一部では近代にも発生していますが)ですから、15世紀というと、結構最近な気がします。
でも、そういうことは置いといて、ここで見るべきは、内部の柱頭です。
このように親切な説明もありましたが、取り急ぎ写真は撮りますが、現場では、あるものを、心の赴くままに見る!のが、私の流儀。
入り口は側面の方にありますが、本来のファサード側から後陣。
かなりつまらない構造ですよね。あまり期待できない的な、笑。
でも、目の前にいきなりこれですから!
テンション上がる。
12世紀、ロマネスク時代、身廊の柱を飾っていたもので、アトランティスの柱頭Chapiteau des Atlantesまたはライフ・ツリーの柱頭L'Arbre de vieと称されているものです。それが、床置きされているんです。
ここの柱頭は、一般的にモザのマエストロの作とされていて、確かに、カベスタニーの匠的な、ここの特徴みたいなものがあります。かなり写実的ですよね。それでいて、姿勢がロマネスク的な変なスタイルだから、かなり気味悪い、笑。
それも、このでかさですから、気味悪さもど迫力で迫ってきます!
お隣には、キリストの復活の柱頭が置かれています。床置きはこの二つだけ。
マリアさんたち、ずらりと。
本当にしっかりとした彫り。目には、石が入っていたのでしょうね。
しっかりきっちり、でも、三頭身。
柱頭は上に向かってカーブしているし、そもそも見上げるものだから、下から見ると、こういうプロポーションでもありなのかな。でもやっぱり三頭身だな~。
反対側では、兵士が居眠り中。
スペースを本当にうまく活用していますよね。下から彫っていったら、足りなくなっちゃったから頭を曲げたわけではなく、このスペースで無理なく表現しようとして、こういう図になっているはず、当たり前か。
それにしても、鎖帷子の細かい彫りには、感嘆します。消しゴムハンコですら、細かい規則的な彫りがうまくできない身からすれば、カチカチの石に、このような細かさでパターンを彫るなんて、驚異意外の何物でもありません。
プロだから当たり前、とはいえ、こういう高い技術を持っているからこそ彫れる、逆に言えば、いくら要望があっても、彫れないものは彫れない、というケースもあるはずだと思うんですよね。
単純な植物文様とか大好きで、そこにしか出せない味のようなものを感じますが、やりたくてもそれ以上できなかった石工さんだったかもしれないし。
この柱頭のお気に入りは、この方。
なんと美しい切れ長まなこのイケメン天使。一糸乱れぬ御髪には、若干、ポマード感がありますが…。
ちなみにこちらの柱頭は、15世紀に損壊した12世紀の教会身廊にあったはずのもので、19世紀になって、クリプタで発見されたもの、とありました。クリプタは、埋まっちゃったとかそういう話だったと思います。
さて、その他の柱頭はどうかというと、床置きになっている柱頭よりは小さいと思います。ものによって、同じような手だな、というのと、これは、弟子かな、と思わされるものと、混じっています。
大きいのは、内陣入り口とか、なんか特別な場所に置かれたものなのですかね。
やはり、写実性、そして植物モチーフの多用、その辺が特徴なのかな。
素晴らしいので感動しましたが、この辺りは、個人的には、盲目的に好き、ではないかもね。
柱頭の加えて、もう一つ見るべきは、身廊に開けられた小さな扉のまぐさ石を飾る12世紀の浮彫です。
中央に聖母子、(聖母の)左には使徒ヨハネ、右にピエトロ、そして初期教会が捧げられた聖オーストルモアAustremoinがいる図。
ピエトロさんは、常にカギを携えてくれているので、わかりやすくて、助かります、笑。それだけ重要視されたアイテムなんでしょうね、天国へのカギ。
これは、12世紀の教会を創建した当時の修道院長が、聖母、そして初期オーヴェルニュの守護聖人であった聖オーストルモアの守護を祈って、捧げたものであるとされているようです(解説版、超斜め読み)。
ピエトロさんの並びにいる、聖オーストルモアAustremoinで、ひざまずいて彼にすがっているのが、修道院長らしいですよ。
きょうだいがクリュニーの重鎮だったとか、ありますので、おそらくこの修道院長も、相当やり手だったはず。ひざまずきながらも、なんかこう侮れない狡猾そうな様子が見られると思ってしまいますが、うがちすぎでしょうか。
その後ろにいる人物については、不明のようです。
使徒ヨハネの側については、誰も特定できないようです。
皆、聖職者の衣装を身に着けているので、それなりに地位のある方々、または、司教とか聖人になった方とか、そういうことかな。修道院長、抜け目ないですからね。金の臭いっていうか?そんなこと言うと、罰が当たるかな。
確か扉を出た左側の壁に置かれていたと思いますので、お忘れなく。
実は、ここまで、右側身廊の柱頭を見て、右側身廊から、一旦扉を出て浮彫鑑賞をしています。本堂に戻り、左身廊側の柱頭もありますので、記事が前後する感じですが、もう一回続きます。
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- 2018/12/30(日) 19:29:35|
- オーベルニュ 03-63-15-43
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