2016.08.オーヴェルニュの旅 その75
メイエールから、北東方面に9キロほど、10分弱のドライブで、次の目的地に到着です。
オートリー・イサールAutry-Issardsの三位一体(トリニテ)教会Eglise de la Triniteです。
この村、道沿いに、家が立ち並んでいるだけの、本当に小さな村で、全体がすごく開けていて、見晴らしもよくて、集落としてのまとまりがあまりない感じなんですが、清潔感にあふれ、なんという愛らしさか、と感心してしまうようなたたずまいを、全体に醸し出しています。
教会前にあるカフェが、村で唯一のお店という様子でしたが、何ともチャーミング。
村の社交や交流は、すべてこの広場で行われるのだろうなぁ、という様子です。
フランスの村でよく目にする、自立図書館も。
この自立図書館、結構古そうなたたずまいのものから、こういった新しい建物まで、フランスでは、本当によく目にします。
こういうレベルでの文化度?なんと言ったらいいのかな、一般に浸透した文化っていうんですかね。アートにしても、とっても人口に膾炙しているというか、ギャラリーの数は、都会田舎を問わず、どの国よりも多いのではないかと思うし、そういうベースが一般的にあるな、とよく思うんです。
イタリアは、ベネチアのビエンナーレとか各地の箱モノで、現代アートに接する機会はあるのですが、フランスに比べたら、田舎でのギャラリー比率はとても低いはず。本も、都会の中心部に大書店はありますが、それ以外の本屋さんはほぼ絶滅している状態です。好きな人は好き、それ以外は興味がなくて、何一つ接したことがない、みたいな両極端文化だと感じるのですが、フランスは、もっと緩やかに、一般的に生活に根差しているイメージです。そんなことないのかな。買いかぶりかもしれませんが。
おっと、また脱線です。
目的は、リンテル(フランス語での各所名称、なかなか身につかないのですが、せっかくフランス編だし、イタリア語よりもフランス語が基本となっている方も多いようなので、なるべく、フランス式に行きたいと思います)。
遠目にも、おお~!と興奮が押し寄せてきそうな彫り物です。
アーモンドを支える大天使、向かって左がミカエル、右がラファエルです。
なぜ、だれかわかるかというと、なんと光背に、しっかりと名前が刻まれているんですよ。
わかるでしょうか、ミカ坊。そして、ラファ坊。ミカ坊ラファ坊ってお茶目なコンビっぽいですが、大真面目な顔してますよね。
支えているアーモンドには、当然キリストがいたはずですね。これは、彫り物ではなく、絵が描かれていたもの、と説明にありましたが、この状態で、そこだけ絵、というのは、変ですよね。一方で、土台となっているアーモンドがしっかりと残っているのに、キリストが彫り物であったとしたら、きれいさっぱり取れちゃうというのも変な話なのは確か。
不思議な状態です。
アーモンドがかすかに赤いのは、当時の彩色の名残ということです。
天使たちの後ろ側に、変なものがぶらぶらしています。
これは、この時代の教会内部で使われていたオイルランプではないか、とされているようです。それにしても、変な形だし、左右で微妙に違うのも不思議。アーチごとにランプというのも、すごいですね。本当にそれほどたくさんの明かりをともせるような立派な教会へのあこがれかもね。
下の部分に、文字が彫りこまれていて、そこに、発注者又は製作者の名前らしい、Natalisというのが認められています。フランス語のクリスマスNoelの翻訳的な名称だとも考えられているとか。だとしたら、何?という説明ですが、いずれにしても、この時代、名前が残されることはまだ少なかったので、貴重な資料的価値がある文字列だと思います。
リンテル部分は、勿論修復もされている賜物ではあるでしょうが、結構よい保存状態です。しかし、扉脇の柱頭の方は、相当溶けてしまっていて、残念な状態です。
凝灰岩ですかね?雨風には、比較的溶けやすいタイプの石。これは残念です。でもこれだけ残っているなら、修復で結構自然にきれいにできるのではないかと思うんですけれど、予算の問題でしょうか。
後陣の方に回ります。
オーベルニュらしい、背の低いどっしりとした鐘楼が、印象的です。ここでも、半円アーチと三角アーチの組み合わせですね。これはもうお約束なんですね、この辺りの。
全体に地味な印象ですが、目を凝らして観察すると、色々見えてきますよ。
縞々というか、ミシュラン的なボコボコの身体はともかく、魚的な無表情な目が、にょろにょろを髣髴としてしまう三人組。イソギンチャク的とも、笑。
愛を語らう鳩サブレのカップル。
ふっかふかのドーナツにも見えますが、どうやら永遠的な蛇みたい。
こんな細部までアップしていると、つい時間がかかってしまうんですが、最近取捨選択も難しくて、ついつい。いろんな意味で断捨離必要だと思うんですが、やはり写真は多くあった方が、行きたいという気持ちをそそりますよね。
というわけで、また二回分になっちゃいました。続きます。
最近はまっている写真サイト。ロマネスク写真を徐々にアップしています。
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- 2019/02/04(月) 01:38:38|
- オーベルニュ 03-63-15-43
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| コメント:4
ええっとミカエルとガブリエルだと思います。V の文字が見えています。
キリストの左右は普通ミカエル(聖なる戦者)そしてお告げの天使ガブリエルが従っています。
ラファエルはトビト記に出てきますが
特にキリストの側には出て来ないと思います。
- 2019/02/03(日) 20:03:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
- [ 編集 ]
> Atsukoさん
残念でした~笑。これは、確かにラファ坊なんですよ。文字が見えにくいかもですが。
ロマネスクでは、このアーモンドを支える天使の図、というのは非常によく見られるものですが、ことさらにその名前を記しているところは、珍しいように思いますが、いずれにしても、キリスト教的には、三大天使として、ミカエルが若干別格、次いでガブさん、ラファさんは、ほぼ同格、というような位置づけのようですよ。一方でビザンチン世界では、ラファさんは不在のようですね。
天使というのは、どの宗教でも登場する存在で、実に面白いですね。でも、種類が多すぎて、なかなか覚えられません、笑。
- 2019/02/04(月) 23:06:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
- [ 編集 ]
まあ!そうですか?
祭壇障壁でも天使や聖人の並び方が決まっていますので
ビザンチンでは考えられませんでしたので、、、
例えば御とりなしのイコンではキリストが真ん中で
聖母マリアと洗礼者ヨハネが普通ですが
ヴェニスの聖マルコ寺院では洗礼者ヨハネの場所に
聖マルコがかいてありましたから、、、
そういう違いとかがあるのでしょうか?
- 2019/02/05(火) 09:23:00 |
- URL |
- Atsuko #79D/WHSg
- [ 編集 ]
> Atsukoさん
深く知らないのですが、ビザンチンは制約が強いように感じます。お約束がたくさんあって、それが連綿と続いているっていうのか。
西洋のキリスト教の方にももちろんお約束はたくさんありますが、ロマネスクあたりでは、ずいぶん緩いように感じます。というか、教会宗教として広まる過程で、逆にお約束が強くなるとか、そういう歴史もあるのではないでしょうか。
ロマネスクの時代は、礼拝堂に毛の生えたような教会が主で、バチカンに連なるようなヒエラルキーは、特に初期の頃はなかったと思うので、だからこそ、変なものたちが跋扈することができたのかな、などと思っていますけれど、どうなんでしょうね。
- 2019/02/05(火) 23:10:00 |
- URL |
- corsa #79D/WHSg
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