2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その28
押しつけガイドしていただいたこともあったのか、地味なのに、予想外にツボにはまったトゥーロン・シュル・アローのあとは、時間も押し迫ってくるし、次の目的地に直行のつもりだったのですが、小さな村を通り抜けがけに、道沿いの教会が目に入ってしまいました。
サン・ロマン・スー・ヴェルスィニーSaint-Romain-sous-Versignyのサン・ジャン・バプティスト教会Eglise Saint Jean Baptisteです。
上の写真で言うと、右の方から来て、左手前の方向に向かうところだったんですが、この教会を認めて、この、撮影している場所が駐車場という絶好のロケーションだった上に、確か駐車場にはトイレもあったんじゃないのかな。
で、正直、やれやれ、という気持ちがあったのですが(こういう小さいところまで見ているときりがないのはわかっているので)、でも、このときは停まる気持ちになりました、なんでか…笑。
近づくと、こんな感じで、新しいし、これは期待できないな、と思ったものの、ここまで来たんですから、一応一通り見学。
そういう、かなりどうでもいい状態なのに、教会は開いているのが、ある意味皮肉…。
それにしても、きれいにされちゃって。
ファサードは、もともと何もなかったんですかね。これほどすっきりというのも、珍しいほどの断捨離状態ですね。
外のイメージ同様、中も、すっきりです。
天井も床も新しくて、天井なぞ、漆喰ぬりたてかと見まごうような白さです。
石積みの壁そのものは、おそらくオリジナルなんでしょうけれどもね。
目を皿のようにして、何かないものか探しましたが、ロマネスク当時のものは、壁そのもの以外は、見あたりませんでした。
トゥーロン・シュル・アローの教会で、おじさんに教わったばかりの知識をもってすれば、ここは、本堂の窓も、この後陣の開口部も、派手に拡張されている様子です。
真ん中のお像が置かれているものが、本来の大きさなんじゃないですかね。両脇のは、おそらくステンドグラスを入れるためとか、そういう理由で拡張されたのではないかと。
現場主義で仕入れた知識も、蓄積していけば、それなりのものかもしれないですね?すぐ忘れちゃうのが、私の問題ですが…笑。
ちなみに、お像は、教会が捧げられている、洗礼者ヨハネみたいですよ。
ラクダの革的なお召し物ですね。私の中では、「ヨハネと言えばラクダの革」。お像でも彫り物でもフレスコ画でも、ラクダの革の表し方が、妙に気になるタイプです。だって、ラクダの革なんて、当時は、普通の人があまり目にすることがなかった素材だと思うんで、多くの人が想像だけであらわしているわけですよね?そういうところに興味があって。
最後の頼みの綱は、これ。
石積みがそのままだし、何かあろうと目を凝らして、軒持ち送りですね。
大騒ぎするようなものではないけれど、やっぱり痕跡を見つけると、嬉しくなります。
他に見るべき大物があったら、ここまでは観察しないよなぁ、といった小さなものたち。ほんの一握りのフィギュアの中で、秀逸はこれかな。
小さなやつが叫んでいます。
なんか、ちょっと嬉しくなっちゃう子。こういう時、バカみたいなんですが、「この子ったら、待っててくれたんだわ」みたいな感覚になっちゃうんですよ。で、危うく通り過ぎないでよかった、と胸をなでおろす、みたいな。
これは、ロマネスクの病気にかかっている人にしか、おそらくわかってもらいにくい感覚だと思うんですけど、どうでしょうか。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2019/09/13(金) 05:30:25 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
| コメント:0