2018年8月、フランス中部(ブルゴーニュ、オーベルニュ+α)の旅その44
ブルボン・ランシーで無事トイレを済ませ、向かったのは、この数年来、いろんな形で、フランス・ロマネスク中心にお世話になっている、在オーベルニュの友人宅です。ブログの縁で出会い、2015年以来、スペインやイタリアでランデブーしたり、お宅にお邪魔したりの交流を続けているロマネスク病の仲間です。
記録が長丁場になってしまったので、うっかり忘れそうになっていますが、このときの旅では、初日に虫にやられて、全身、肉体的な意味での病気のような虫刺されの水膨れ状態になっていて、毎日辛い思いをしていましたので、友人宅に宿泊して、他の人の眼を気にせずにくつろげるだけでも、実にありがたいことでした。
この旅では、五泊もさせていただく予定にしていたので、ちょっと図々しいかな、と思ったのですが、結果的には、本当に助かりました。
大歓待を受けた到着の翌日は、アドバイスも受けて、オーベルニュのロマネスクの見残しを消し込んでいく行程を作り、一人で回りました。
まずは、Jussatです。

ジュサJussat63の教会。検索しても、名前が出てきません。また、ジュサといっても、実は、Randanという土地の名前となるようです(Rue des Suchets, Randan)。墓地にある教会です。
ところで、ジュサの後に記した数字ですが、これは、県をくくる数字となります。
昨年くらいから、意識するようになりましたが、フランスでは、この県の数字が、多くのくくりとなっていて、これを認識するかしないかで、便利さが全然違います。
例えば、車のナビで地名を入力すると、同名の土地がいくつか出てくるケースが、結構あるのですが、この県番号を知っていれば、ほぼ間違いなく正しい場所を選ぶことができる、などです。これまでは、同名の土地が出てくると、どうにも困ったものですが、仕組みがわかってから、ずいぶんと動きやすくなりました。
州のくくりは、近年大きく変わってきて、例えば、ロマネスクを求めて動く場合のバイブルであるゾディアックで使われている州のいくつかは、今では統合されてしまって、よくわからなくなっているのですが、この県レベルのくくりは、昔から変わらず、ということだと理解しています。
なので、くくりという意味で、今後は、この数字を入れていきたいと思っています。ブログのカテゴリも、これに沿って、整理したいと考えています。考えてはいますが、さて、実現はいつになることやら、笑。
63は、正確には、オーベルニュ州のピュイ・ド・ドーム県となります。
話を戻します。
ジュサの町から、さほど苦労しないでたどり着いた墓地ですが、なんだかクローズっぽい高い門扉で(写真に見える緑のやつ)、がっかりしかけましたが、そこは墓地ですからちゃんと敷地には入れました。
でも、教会の扉は、固く閉ざされていました。

午前中半ばですから、普通だったら絶対に開いている時間なのに…。
仕方ないので、周囲を丹念に見学します。

全体に、軒持ち送りがあるようです。
後陣側にも。

しかし、駐車場との壁が、後陣に限りなく近くに設けられているために、後塵全体を捉える写真がとれません。駐車場スペースは、すっごく広くて、そこまで広くする必要もないと思うし、ここに壁を作る理由も、よくわからないのですが、墓荒らしみたいなことでも、過去にあったのでしょうかね。

オーベルニュ特有の鉋屑モチーフが多かったですが、いくつかは、それ以外のものもありました。

全体にとってもシンプル。顔や動物の頭部ですけれど、大き目の石に、さらりと一筆書き風の彫り。
後陣を取り巻くものは、見事にほとんど鉋屑。

鉋屑も、しかしいろんなバリエがあり、時代によって、石工によって、ということだと思いますが、丹念に見ていくと面白いものがあります。これは、イタリアには来ていないモチーフと思うのですが、スペインでは見られますね。きっと鉋屑モチーフを研究している研究者の方、いらっしゃるんでしょうね。いるのかな。ちょっと飽きそう、笑。
側壁の上の方に、不思議な構造物かありました。

なんだかわかりませんが、あとの時代に、横っちょに、変な構造物をくっつけていた跡かな、と思ったり。
最後に、恨みがましく扉を。

扉の両脇に、一対の柱と柱頭がありましたが、いずれも、かなりシンプルなモチーフで、時代の古さを感じさせます。
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- 2019/11/17(日) 00:58:19|
- オーベルニュ 03-63-15-43
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