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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

よくぞよくぞ待っててくれました(ピウロ)

(2019年10月訪問)

この辺りに出かけた時は、友人と一緒だったし、明日どっか行こうよ、と唐突に出かけたこともあって、あまりちゃんと調べてなかったんです。で、キアヴェンナの洗礼盤のところで、あら、こんなものがあるんだ、とびっくりして、足を延ばしました。

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アウローゴ・ディ・ピウロAurogo di Piuroのサン・マルティーノ教会Chiesa di San Martinoです。

私が気付いてなかっただけで、ロマネスク的には、それなりに有名なはず。私が愛用しているJaca Bookのロンバルディア・ロマネスクの本にも、ちゃんと出ていました。
ただ、この辺りは、いつか行かねば、と思っていたものの、いきなり訪ねることになっちゃったんで、事前に調べもしなかったんですよね。ここだけを目指すのはちょっと辛い場所なので、キアヴェンナで絵葉書を売っていたおかげで気付くことができて、本当に感謝です。さらに、とりあえず、あるものすべてチェックする自分の宝探し習慣に感謝です、笑。

実はこのあたり、山中で、小さな村が続くのですが、Piuroだけでは出てこないんですよね。今は、スマホで教会の名前を入れれば、ナビゲーションアプリが自動的に連れて行ってくれますが、ナビやグーグル・マップのない時代、たどり着くだけで大変だったろうな、というような場所です。

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道は簡単で、キアヴェンナの洗礼堂の人が口頭で教えてくれた通りで、村までは、ナビを見るまでもなかったのですが、教会の正確な場所はちょっと迷いました。

トップの写真で、奥の方に、もう一つ鐘楼が見えるのがわかるでしょうか。ピウロと思って、路肩にあった駐車場に入った村の、鐘楼なんです。鐘楼は結構古そうなたたずまいでしたが、本堂は絶対に違うし、スマホを確認したら、まだ先に進め、というので、半信半疑ながら、先に進み、結局、目指す村が、川向うということがわかりました。

美しい山々をバックに、絵画的なたたずまいで、なんでこんな素敵な場所、今まで調べてないんだ、オレ、と、大いに反省しました。
なんといっても、このロマネスク感バリバリの鐘楼は、うっとりしますよねぇ。

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それに比して、教会本体は、遠目にも、かなり修復が激しいことがわかると思います。
実はここ、1618年に、激しい土砂崩れに襲われて、かなりの損害を受けた村だそうなんです。教会は、その多くの部分が、幸いにも損壊を免れたものの、無傷というわけには、行かなかったこと、また、村人にとっては常に現役の教会であったことから、度重なる修復や改修を受けたことから、外観は、ロマネスク部分がほとんどなくなってしまったということなのですが、この鐘楼は、ロマネスク的には、ほとんど無傷ですよね。

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天辺の三角屋根まで見えると、全体にすっきりと細い感じになります。
ずっと二連窓が続いていますが、上に行くほど、ちょっと広くなっているようにも見えますが、どうでしょうか。アップで確認しても、同じサイズに見えます。
それにしても、石の質感と言い、素朴な装飾と言い、久しぶりに、美しいロンバルディアの鐘楼にあったな、と思いました。

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二連窓の中央に置かれた小円柱の、かわいらしい渦巻き柱頭。何とも愛らしいシンプルさです。シンプルながら、それぞれ微妙に違うんです。

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ちなみにこの鐘楼、ファサードに組み込まれて立ち上がっているスタイルです。

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逆光で見にくいですが…。本堂がほぼ新しくなってしまっているのが残念です。
このスタイル、この後訪ねる著名教会と同じなので、そちらで記すこととしますが、アルプスの向こう側でよく見られるClocher-porcheとなります。

思わず長くなってしまいましたが、実はここを訪ねた目的は、これじゃなかったんです。鐘楼は、おまけみたいなものだったんですが、思いっきり食いついてしまう美しさでしたから、期待が高まります。

しかし、あいているんだろうか、という杞憂がありましたが、幸い、お掃除の人がいらしていました。

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一見すごく新しいし、目的のアレがどこにあるのかもわからず、え?ここじゃなかった?と焦りました。ぐるぐる見回して、右上のアーチの上に気付きました。

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こんなところに~!これは、あれか、もともとの構造がないがしろにされて、新しい構造になっちゃったけど、フレスコ画は消されずに無視されちゃったというやつか。アオスタの教会がそんなのでしたよね、確か。
この部分は、オリジナルでは南壁に当たる場所。福音書家ヨハネのエピソードが描かれているようです。
後陣に近い方のアーチ部分。

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西側のアーチ部分。

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1700年代に作られたヴォルトで、多くの部分が隠されてしまっていますが、11世紀と考えられているフレスコ画。
最初のやつは、エルサレム入場らしいです。
二番目のやつの、左端は、文字が見えるので、ラザロの復活ぽい。
その他、姦淫の許しとか、盲人の快癒とかあるのですが、わかりますか。

ファサードの裏側部分にもあったようですが、これはもうほとんどわかりません。
人々が横並びで正面に向かって立っている様子からは、ビザンチンのイメージ(ラベンナのモザイクのイメージ)も感じられますが、どうでしょうか。

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これが、後陣側から、南壁、ファサード側の眺めです。

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今、向こう側に新しいスペースを作ってしまったために、壁が壊されて、アーチになっちゃったわけですが、オリジナルの教会は、ここに壁がある一身廊の小さな建物だったのです。そして、この壁全体に、このようなフレスコ画があったと。素晴らしいですよね。手前の方にも、わずか残されたものがありますから、壁も後陣も、フレスコで覆っていたのでしょう。
研究によれば、チヴァーテのフレスコ画と同じマエストロがかかわっているということ。確かに同時代、距離も近いですから、さもありなん。

北壁は、教会が捧げられたサン・マルティーノの生涯ということですが、かなり難しい。

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今は、石壁がむき出しとなっていますが、勿論こちらも、上にべったりと漆喰が塗られていたものです。修復で、フレスコ画見つかったので、全部はがしたのでしょうが、それでも、これだけしか救えなかったのですね。残念です。
これだけで、サン・マルティーノのエピソードだとわかったのは、この、むち打ちのシーンがあるかららしいです。

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サン・マルティーノは、カロリング時代、ロンバルディアで人気のある聖人だったようです。なぜかというと、どうやらサンタンブロージョと同時代の人で、親交があったとかそういうことらしいですが、どうなんでしょう。

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残念なところもあるわけですが、それにしても、よくぞこれだけでも残ったものだし、見つけてくれたもんです。1970年代の修復で見つかっていますから、かなり最近なんですよね。そこで発見されて修復されて、この姿ですから、今見るべき丁度よい時だったのかもしれません。

たまたま開いておりましたが、いつも開いているとは思えません。でも、お掃除されていたのは、ご近所の方っぽかったので、鍵は村にありそうです。声をおかけしたのですが、非常に迷惑そうで、ほぼ無視されました、涙。何かお話を聞ければ、と思ったのですが、インフォメーションなら、そこに冊子があるから、とすげなく…。
確か、絵葉書はありましたけど、リゾート系の冊子しかありませんでした…。

ここね、そういう土地なんですよね。近所に、立派なあれが。

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アクアフラッジャの滝Cascate dell'Acquafraggioという有名な滝があって、これは結構観光地になっているようでした。特に興味がないので、車窓から撮影したのみです。

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  1. 2020/03/29(日) 20:48:30|
  2. ロンバルディア・ロマネスク
  3. | コメント:2
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コメント

いいですね。こういう塔 ごっつく素朴。アンドラとかイタリアよりスイス(ネグレンティーノ、ジョルニコ)でみました。
この教会の残された壁画はそれでも身廊からみられるのですね。
目のあたりなど顔を見るとチバーテと関連があるというのも納得がいきます。
アオスタの絵とは傾向が違います。
アオスタは完全に天井裏、梯子を上がった観たのも今は遠い思い出です。
これを見るために 96年のスイス旅行の際 グラン・サン・ベルナールを越えました。(HPあり)
パスポートをひらひらさせながら国境を抜けたことも懐かしいです。
  1. 2020/04/01(水) 03:16:26 |
  2. URL |
  3. yk #C8Q1CD3g
  4. [ 編集 ]

Piuro

ykさん
アオスタ、印象的でしたよね。すっごく探して、最後にえ?天井裏?と驚愕したのを覚えています、笑。
ここは、規模が小さいですが、やはり修復の際に発見されたということで、結構近年まで、隠されていた分、部分的に色が鮮やかなのかも。それにしても、失われた部分が残念ですが、よくこれだけでも残ったという気持ちにもなります。

ロケーション的には、確かにスイス的かもしれませんね。石積みの様子は、まさに山の教会です。スイスのカントン・ティチーノには、よい教会がたくさんありますよね。
ただ、この鐘楼ファサード組み込みは、フランスの影響が大きいということで、こんな田舎の土地がかつて、フランス等につながる道筋にあったということがわかる証拠で、ちょっとびっくりしました。
  1. 2020/04/03(金) 17:28:03 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

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