(2019年10月訪問)
グラヴェドーナGravedona続です。
サンタ・マリア・デル・ティーリオ教会Chiesa di Santa Maria del Tiglioです。
全体に、縞々のツートンカラーとなっています。灰色の石が、Moltrasio産で、白は、Musso産の大理石。どちらもコモ湖周辺の土地ですから、地産地消と言いますか、加工できる石が豊富な土地だからこそ、コモの石工集団が発達したのでしょうね。
ところどころに、白の代わりに、ピンクがかった石が挿入されているのですが、これが、装飾的なものなのか、どうなのか。全部がきっちりと同色で縞々よりも、デザイン性が高いというのか、アクセントになっていると思います。この、違う色の挿入で、縞々感は、かなり薄まっていると感じますので、それが意図するところだったのかどうか。
それとも、あれですかね?ロマネスク建築では、度々出会う、あえての不完全性ってやつ?一辺が歪んでいたりとか、神の完全性を侵さないように、あえて不完全なものを作るっていう。
この鐘楼、35メートルもあるのだそうです。
昔は、この辺りに、背の高い建物もなかったでしょうから、ランドマークとしては、とても目立つものだったのでしょう。
でも、それなら、湖側に建てた方が、より意味があったのではないか、と思ったりもします。
これ、後陣側ですが、ほら、湖のほとりなんですよ、すぐに。
湖側の後陣は、こういう様子です。
あ、でも近いと見えない鐘楼も、湖上からは、ちゃんと見えるから、それなりにランドマークであったということかな。
後陣側も、ちゃんとツートンカラーですが、とっても控えめで、渋い縞々ですよね。
縞々というと、なんといってもトスカーナはプラートやピストイアなどの、白と緑の激しいやつを印象しますが、あれは、ああいう石があるからこそああなったということなんでしょうね。
さて、正面側に戻りますが、鐘楼は、上部が八角形となっています。段毎に、サイズの異なる開口部があるのは、ロマネスク仕様ですが、今ある姿は、16世紀前半頃のもののようです。確かに、開口部が、ロマネスクのものだったら、もうちょっとバランス均衡的ですよね。これ、一番上の二連窓のバカでかさに比べると、その下の二連窓が、ちっちゃすぎで、ちょっと変。
この、ファサード組み込みの、スタイルは、フランスのブルゴーニュ地方やアルザス地方によく見られるもの(Clocher-porche)で、この土地が、それらの地域と深くつながっていたことの証左とあります。前回紹介したPiuroも、変容が激しいとはいえ、同じスタイルでしたよね。
アルザスなどは、もっとドイツ的に、西構えの日本鐘楼ドカン!というタイプも多かったように記憶しますが(早く、アップしたいものです、涙)、ブルゴーニュあたりだと、確かにファサード鐘楼一体型、というスタイルは多かったような。
なんせ、Via Regina上にある村ですから、フランスやドイツの様式が日常的に入ってくる土地ではあるわけですね。
白い帯の部分に、よく見ると、浮彫があるのがわかるでしょうか。
ケンタウロスとか、鹿とか。
これらは、どうやら、この辺りで見つかったものを、はめ込んだらしいです。ローマのものがあったり、初期キリスト教時代のものがあったり。
これなどは、おっぱい?
大きな切り石にポツンとある感じで、もともとどういう状態であったのか、まったく分かりませんね。軒持ち送りなどに、こういうものがあったことはありますけれど、これ、部分だけを大きな石に張り付けているのかなぁ。
では、入場します。
ほぼ四角な感じで、上部にマトロネオ的な構造物があります。もともとは、初期キリスト教時代の洗礼堂だったと考えられており、それを基本に作られたがために、こういう四角構造。一部、その遺構が見られます。
例えば、床です。
かつては、床面がモザイクで覆われていたのですね。初期キリスト教時代には、よくあるスタイルです。
彫れば、もっと出てくるのか、すでに損壊が激しいのでこれだけ見せているのかは分かりませんが、いずれにしても、床面全域がこうだったことは間違いないですね。
今よりは、一回りも小さい建物だったようですが、それにしても、手間暇のかかる、つまり金のかかる洗礼堂を作っていたということです。
この床面モザイクは、1900年代の修復で発見されたそうです。
さて、マトロネオのような構造物ですが、どこからアクセスするのか。
これは、入り口のある西側壁となりますが、どうやら、この壁の中に、階段があるようです。それで、マトロネオや鐘楼へのアクセスができたそうです。確かに、厚みが半端ないですよね。ちょっと面白そうですが、公開はしていないので、今でも使用可能なのかどうかは不明。
実は、勝手にマトロネオと呼んでいますが、この構造の目的は、実は不明だそうです。おそらく建築学的に、石の重量を拡散軽減する技術的な必要から作られたのではないか、と考えられてはいるようですが。確かに、信者のためのスペースとしては、高すぎますし、実用性が感じられないです。
壁面にあるフレスコ画は、ほとんどが14世紀以降のもので、私はあまり好きではないのですが、ちょっと興味深い話があったので、記しておきます。
上の写真ではなくて、東側の後陣側のフレスコ画だと思うのですが、聖母子とマギが描かれています。
下手な写真で、判別しにくいと思いますが、これは、結構後の時代の再建フレスコらしいです。なんかマギが持っている贈り物が、浮き出しになっていて、変ですよね。
オリジナルのこのフレスコ画が、描かれた時なんでしょうか。二日間にわたって、輝き続けた、という伝説があり、この逸話は、当時の多くの史書に記されているそうです。
東側にあるとはいえ、本当にこの場所にオリジナルがあったとすると、マトロネオ的構造で光が邪魔されるため、自然に明るい場所ではないはず。今は、ライトがあてられているので、変に光っちゃってるくらい、まさに輝いているわけですが、当時は、ほとんど真っ暗だったのではないかなぁ。でも、もしかすると側壁の窓から、光が当たる時間があるのかもしれないし、そういう伝説には、理由があるような気がするんですよね。
上の方の西壁右側の壁面には、木製のキリスト像があります。
これは、12世紀の作品ということです。立派な彫り物ですよね。でも、実際にここにあったものかどうかは、分かりません。
植物モチーフの立派な柱頭がいくつかありました。
アーカンサス系は、コモのサンタッボンディオSant'Abbondioとの共通性も感じられるということですが、そちらは次回、紹介しますので、確認してみてくださいね。
つくづく、まだまだ行かねばならない場所がたくさんあることよのぉ、と感心しています。
また、昔に訪ねたっきりの教会は、写真も陳腐化しているので、再訪するべき、と感じました。そういうわけで、つい最近、サンタッボンディオにも行ってきた次第なんです。
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2020/04/05(日) 02:08:51 |
ロンバルディア・ロマネスク
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