(2019年1月訪問)
この際、なかなかアップする暇がなかった、ちょいとマイナーなご近所も、一気にやってしまいますね。長期休暇の修行以外にも、時々は、ふらふらとご近所に行っているんですよ。実際、訪問できていない場所は、まだ沢山あるのですよね。
自分が持っている数少ない紙の資料だけでも、丹念に見ると、ここもあそこも、まだ行けてない、と焦るほど。
今回の記事も、そういう場所の一つです。
カソレッツォCasorezzoのサンティ・サルバトーレ・エ・イラリオ教会Chiesa di Santi Salvatore e Ilarioです(住所Via San Salvatore, Casorezzo、鍵は、地元お住まいのアントネッラさんが保管しています。電話番号持っていますので、必要があればご教示します)。
見るからに、わざわざ、なぜ?というお姿ですよね。でも、愛用のJaca Bookロンバルディア版に、堂々と写真入りで掲載されている教会です。
いつものように、くだらない前ふりから、笑。
お天気の良い週末に、ふと行こうと思い立ちまして、おおよその場所だけ調べて出発しました。正確な住所は不明だったので、すぐには分からず、何人かに訪ねながら、何とか到着。村の北ハズレに当たります。教会の南側に市街が広がり、北側には草原が広がっています。
たどり着いたものの、扉は固く閉ざされていますし、何も書かれておらず、途方に暮れて、周りをぐるぐるしていました。すると、青年が、犬の散歩に来たのです。トップの、後陣左に見える人です。
慌てて近づき、カギのことを訪ねると、今日は日曜だから人がいるのでは、そこの扉をたたいているといいよ、と。え~、そんなことあるかなぁ、と疑問に思いつつ、何度もノックしたものの、まぁ、当然な感じで、応答はなし。
犬を遊ばせている青年に、再び、いない様子を伝えると、それなら、町の教会に行ったら、何かわかるかもよ、と教会の場所を教えてくれました。
せっかくのお天気なので、車はそこにおいて、徒歩で、教えてもらった道を教会へ。6、7分でしょうか、町の中心に普段使いの教会がありました。
鉄柵が閉まっていのですが、呼び鈴を押す間もなく、丁度人が出てきて、「あれは我々の管轄ではなくて、カギ番がいます」と、カギ番さんの電話を教えてくれたのです。
サン・サルバトーレ教会に戻りながら早速電話をしてみると、「すぐ行きます」と言ってくださいました。嬉しくて、超速足で戻りましたが、結局20分くらい待ちましたでしょうか。アントネッラさんではなく、旦那さんが車でやってきました。
今考えると、昼時で、おそらく奥さんはランチの準備中だったと思います。どこでもかしこでも、我ながら図々しいことをやっているなぁ、と反省中。一年遅いですが、笑。
ここからが本題ですね。
先ほど、どんどんとノックした扉をくぐり、後陣側から入ります。
そう、目的は、フレスコ画だったんです。だから、入らないと、まったく訪ねる意味がなかったため、この日は、しつこく頑張って、カギを求めたのでした。
トップの写真でわかるように、教会の建物はもうほとんど変容してしまって、往時の面影はないも同然なわけですが、そうはいっても、もともと小さな教会であったことに変わりはなさそうです。それでいて、ずいぶんと立派なフレスコ装飾がなされていた様子なのは、ここもまた、立地的にはコモ湖畔にも通じるものがあります。つまり、ミラノからフランス方向へと通じる交通の幹線に近いということです。
1990年代の発掘により、今の後陣が、17世紀に西向きにされたことがわかっています。教会の創建は11世紀とされていますが、両壁は、そのままで、後陣と入り口だけが交換されたというもの。壁は、今は内外とも漆喰ぬりされてしまって、そうは見えないのですが、漆喰の中は、11世紀の石積みそのまま。
鍵番さんは、ガイドもしてくださったのですが、このタイプの小さな開口部がいくつかあるのですが、これらのために、フレスコが残ったのではないかということを話してくださいました。
外側は、一応透明な板が張られていますが、密閉ではないですね。
今ある後陣は西向きなので、そちらから入って右の壁が南となり、それで、南壁に遺された最も古いフレスコ画の意味が分かったということです。
その南壁のフレスコ画、なんといっても、このエリザベツご訪問が、大変良い保存状態で残されています。
フレスコ画が二段で描かれており、赤い帯で区切られています。この赤は、もしかするとすごく鮮やかだったのかもしれないですね。
物語は、南東の上から、つまり、今の入り口寄りの上の方から、ということになりますが、そこから始まり、受胎告知、エリザベツご訪問、ベツレヘムへ向かう場面、生誕場面、マギの図。下の段は、今の扉近くから後陣へ向かって、ほとんど欠落していて正確な内容不明な図(マギの夢とも考えられているようです)、神殿奉献。その後、幼児虐殺、エジプト絵の逃避、神殿でのジェズなど、続いていたと考えられていますが、残念ながら、ほとんどは、ほんのわずかの部分が残されているだけです。
これが、エリザベツ訪問の真下にある神殿奉献で、この二場面だけが、よく残っています。
聖母から差し出されたキリストを、恭しく抱き取ろうとしているのがシメオンさん。ヨゼフが差し出すつがいのハトは、生贄。右の方にいるのは、預言者アンナさんらしいです。忠実な再現図っていう感じですね。人物それぞれに、ちゃんと名前が記されているのも、すごく真面目な画家さんって感じ。または、あれか?ビザンチンの影響があるとか?
今の後陣寄りにも、壁は残されているのですが、もうほとんど内容がわからない状態です。
わずかに残っているのが、この部分ですが、ベツレヘム?何でしょう。
下の方は、ほとんどシノピアだけが残っている様子ですから、剥落しちゃったのでしょうかね。残念なことです。絵の上に傷が浸かられているということは、上に漆喰が塗られていたことだと思うのですが、古い絵が守られることなく、かぶせられた漆喰とともに持って行かれてしまったんでしょうかね。
一番西寄りの部分には、神殿らしい絵が見えます。
これだけの情報から、色々解明する研究者は、やはり偉いですね。
さて、これらは南壁ですが、北壁の方は、西側上から始まり、エルサレム入場などの受難のストーリーが描かれていたようなのですが、もうほとんどの部分は欠落していたことに加えて、16世紀のフレスコ画となっています。
その一連の場面からはみ出す絵もあり、時代が違ったり、いろいろあるようなんですが、下のは、13世紀のもの。若い聖人が十字架を持っていますが、これは、傷もないまま残っている様子からすると、下に、11世紀のフレスコ画があるのかもしれませんね。
その右上にあるのは、一層下の部分で、おそらくこの部分が11世紀ではないかと。なんという集積。
こちらも、11世紀のものが、かろうじて残っています。
場面の縁取りの様子などからも、時代がうかがえるようですね。確かに、時代によって違ったりします。色使いもそうですね。
数は少ないながら、じっくりと拝見したいフレスコ画だったんです。でも、カギを持ってきてもらっているし、それも昼時でしたから、カギ番さんのことを考えなければいけなくて、思う存分というわけにいかないのが、辛いところ。
また、お話をしていただく以上、きちんと聞かせていただきたく、そうするとぱしゃぱしゃと撮影ばかりしているわけにもいかなくて、実はあまりよい写真も取れませんでした。こういう時、一人での見学は、制約が多いです。
この教会に関連して、同時代のフレスコ画がある地域の教会情報も見ましたので、ある日思い立って出かけてみたいと思っています。ある日思い立ってお出かけできる日常に、早く戻りたいものです。
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2020/04/11(土) 20:22:31 |
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