オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)2
Museumの記録は、訪問時系列無視で、記事の都合でまとめていきたいと思います。
まずは、アムステルダムと言えばここでしょう、という博物館になります。

アンネ・フランクの家Anne Frank Huis(www.annefrank.org)です。
昔アムステルダムに来た時も、何はなくとも、という気持ちで、ここは真っ先に見学しました。しかし、そういう行動も、今や昔です。今は、ほとんどのMuseumで、予約必至となっており、ここは今回、最も予約に苦労したんです。
予約については、同行の友人と協力して、実際の旅よりもずいぶん前から、どこは必要か、いつ取るか、他とどう組むかなどの研究をしておりました。ただ、あまり早く予約してしまうと、行動に制約ができてしまうため、早すぎる予約はダメ、という認識で、それでも一応、予約サイトは度々チェックしていたのです。
が、出発の2週間くらい前でしょうか。多分12月に入ってすぐくらいのタイミングで、このアンネのお家の予約が、いきなり満員となってしまい、滞在中どの日についても、もう空きがなくなっていたのです。
驚愕でした。
昨今のオーバーツーリズムは、イタリアだけの問題ではないということなんですね。それに、考えたらクリスマス休暇で遊びに行くのは、俺たちだけじゃないだろう、と反省しましたが、とにかく後の祭り。
ただ、アンネの家の予約システムはなかなか素晴らしく、当日券を残していてくれているのですね。キャンセルなども含めて、毎朝Availableなチケットが、9時から予約可能となります。そのため、2週間以上にわたり、仕事を始める前に、毎朝サイトを訪問しては、チケットを確認しておりました。そして、幸い、出発の数日前に、何とか二枚ゲットできた、というものです。
現地で、やはり驚いたし、なるほど、チケットがそれだけはけるわけだよ、と思いました。

この建物の裏側の部分に、アンネ一家は隠れて暮らしていました。昔は、ここから直接入るようなシステムだったと思うのですが、今は、この建物を右側に行き、一家が毎日その鐘を耳にしていたはずの教会の方に回り込んだ場所が、チケット売り場であり、入り口となっているのです。
右側の、ガラス張りの地上階が、エントランスです。

この方向に進むと運河で、右に曲がって数軒目がアンネの家となります。
ガラス張りビルの向かいが、教会です。

この教会そのものに興味は持てませんが、当時もここにあって、この教会の周囲ではいろんなシーンが展開されてのだろうし、その中で、隠れ家が見つかって、連行されていくフランク一家の誰かが、最後にこの教会を見たかもしれないし、などと思うと、歴史の舞台であることが、ひしひしと感じられて、感慨深いものでした。
エントランスからは、まず、事前学習的な展示コーナーができており、さらにいろいろと考えさせられるものでした。オーディオガイドも入場料に含まれており、日本語もありますから、説明は分かりやすいですし、一人でどっぷりと集中できます。

左側が運河に面している、トップの建物部分で、フランク一家は奥の部分に隠れていたのですね。オランダの住居建物は、今もこういうスタイル、いわゆるウナギの寝床的なのですね。ファサード側の窓や扉に税金がかかるとか、そういうことがあったのでしょうかね。

写真の展示も、とてもたくさんありました。この、エントランスの場所と家を見終わってからアクセスする部分。
ここでは、こうなるずいぶん前、近所の人の結婚式がアンネの自宅近くであり、結婚式の動画撮影をした中にたまたま写り込んだというアンネの姿があり、ほんの数秒の映像ですが、非常に生々しかったです。実在なのに、多くの現代人にとっては二次元の世界の人、みたいな印象が強いだけに、映像の持つ力って、こういうのかな、とも思ったりしました。

這いつくばるようにしてしか登れないような、狭くて急な階段。
ただこれは、隠れ家だから、というわけではなくて、オランダの家の構造がこういうものだったのですね。
この他にも、簡易台所の流し台などがあり、驚きましたが、当時のオランダ人の平均身長は、今の日本人並みか、もっと小さかったくらいだそうなんです。流し台など、私でも腰を痛めちゃうわ、という高さでしたよ。
そのくらい小さい人たちだったから、階段もこういったサイズだったようなんです。アパートの入り口も、同じような状態です。
今のオランダ人は、男性の平均身長が190センチほどもあるんじゃないですかね。昔、健康促進のため、水道水にカルシウムなどの栄養剤を入れた、とか聞いた気がするのですが、検索してもそういうことは出てこないのです。急激に身長が伸びた理由、自然淘汰が主な要因となっているんですが、ちょっと待て。戦時中に、平均160センチに満たない人たちが、いきなり戦後50年程度の自然淘汰で30センチも伸びますか?
なんか、怪しいです、オランダの身長、笑。
それはともかく、階段は転げ落ちるような角度ではありますが、各部屋はまぁまぁの広さがあるのです。ただ、複数の人々が、音を出さないように生活するのは、本当に息がつまるようなものだったでしょう。
そして、感じるのは、助けた人々のことですね。
仕事仲間などが中心となって、計画して実施したわけですが…。私だったらできたのか…。思うのは、やはりそこです。
私が感じたのは、同僚が友達が殺されてしまうかもしれない、それは嫌だから、かくまおう、というすごく自然な感覚で始めてしまって、もしかしたら最初は、それほどやばいこととは思わない思いつきだったのではないかと。だからこそ、結局見つかったのは密告なわけですが、何らかかかわった人が、現実に震えあがって、もう我慢できなくなったということなのではないかと。
身近な人が殺されるかも、というとき、何かしないと、と思うことは自然だと思うんです。そして、このような前代未聞の蛮行に対して、結果としてとんでもないことになる、と本当のところの想像ができなかった可能性もあるかと、思うんです。
ナチは不思議ですね。
見つかった時も、この場で殺すこともせず、協力者に対してもたいした罪に問わず、フランク一家を強制収容所に連れて行っただけ。だからこそ、アンネの日記が残されたのですね。ある意味緩い。そのあたりは、常に不思議に思うこともあります。
で、旅を終えてから、積読になっている「わが闘争」を引っ張りだしました。でも、また最初の数十ページで、挫折して、再び積読になっています。
それと同時に、今年は、この流れで、アウシュビッツに行こうと考えていました。もう、今年は無理になりましたが、海外に出られるようになったら、絶対に行くつもりにしています。負の歴史は見ておかねばならないです。
それにしても、アムステルダムは、アンネのおかげで、なんだかすごい観光資源ができちゃって。その上、人権的な求心力持っちゃって。アンネ・パパのおかげです。観光はともかく、アンネがいなかったら、歴史は勿論として、強制収容所に対する知識や理解や認識は、かなり違うものになっていたのではないでしょうか。

館内は、よくわからなかったんですが、撮影禁止だったようです。他の見学者に注意されたので、撮影はやめましたが、でも、館内には書いてないし、係員も注意するでもなく、なんだかアバウトな国。
そういえば、入り口でも非常にアバウトで、予約時間とかかなりいい加減な感じで入れたり、クロークの受付の行列があるようなないようないい加減さだったり。オランダ人って、なんだか色々分かりにくい人たちだと思いました。
ユダヤ関係では、もう一つ、こちらも訪ねました。

国立ホロコースト博物館Nationaal Holocaust Museumです。
ちょっと町はずれで、美しい住宅地にあります。
ここは、非常にまじめな博物館で、展示も地味ながら頑張っているのですが、本当にまじめで、撮影の気持ちにはなりませんでした。
主に、当時のユダヤ人の子供たちが、どういう扱いをされたかということをメインに展示していました。昨日まで普通の生活をしていた子供たちが、ある日突然集められて、列車に詰め込まれて、そして、強制収容所に入る前に全員殺されるという、戦慄の事実を、淡々と。
疲労困憊の状態で、でも、見られるところは見よう、と頑張って訪ねたのですが、行ってよかったと思います。
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- 2020/04/15(水) 02:33:24|
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