オランダMuseumツアー(2019.12.クリスマス休暇)8
エッシャーにしろ、ミッフィーのディック・ブルーノさんにしろ、また、ミッフィー関連で、レオレオニさんもオランダ生まれだったことを知りましたが、オランダって、意外に、というのも失礼ですが、著名アーティストを輩出しているのですねぇ。考えたら、日本の鎖国時代とか、オランダが唯一の外国だった時代があったりもするんですよねぇ。
その頃のオランダが、いかに豊かであったか、そして、チューリップが有名ですが、繁栄の象徴として、投資投機が盛んだったということで、ひいては、芸術家を養う余裕があったということなのでしょう。
まさにそういう時代のアムステルダムに生きたのが、この人ですね。
レンブラント博物館Museum Het Rembrandghuis。彼の住まいが、博物館になっています。
ここも、昔は、普通にお家に入る感じだったと思いますが、今はちゃんと、お隣に美術館らしい扉と受付スペースがあります。そして、ここも、それなりに見学者が多く、私の見学時、今だったら、ソーシャル・ディスタンスを保てないくらいの人がいました、笑。
当時、かなりブイブイ言わせていた巨匠のひとりだったようですが、その割には、お住まいは結構こじんまりとしています。上は、中二階、階段の途中に開けられた窓から、玄関ホールを見下ろしたところ。玄関ホールは天井が高くて、雰囲気はあります。
オランダは、とにかく、窓が大きいですね。
レンブラントの時代も、現代も、ほぼ同じような作りで、通りに面した壁は、ほとんど窓、それも、カーテンすら吊るさずに、丸見え、というお住まいも多いのが、驚きます。
イタリア的視点だと、まず、不用心、と思ってしまいます。
アンネの項でも触れましたが、当時のオランダ人がいかに小さかったかは、このお家でも分かります。やはり台所が分かりやすいのですが、調理台の高さは、アンネの家同様に、日本人にとっても低すぎるくらいでした。
驚いたのが、ベッドです。
男性二人が経っている場所がベッドなんですが、箱型で、とても小さいんです。なんと、この当時の人たちは、横たわって寝ることはよくないので、背中は立てて座った姿勢で寝たんだそうです。これは、本邦初の知識でした、笑。
昔と違うのは、どの美術館でも、オーディオガイドがあって、大体チケット代に含まれているということです。それも、日本語が必ずあったと思います。どこか一カ所はなくて、イタリア語で聞いたような気も…。ここだったかも。
私の好きなレンブラントは、なんといっても銅版画なんです。奥様のサスキアさんをササっと描いた銅版画が大好きなんですが、もしかすると、ここで出会ったのだったか。
30年ほど前の訪問のときに、あまりに好きで、小さなポスターを買って帰ったことは、よく覚えています。探せば、今も押し入れに入っていると思います。
以前来たときは、もっと版画の展示があったように思うのですが、今回は、絵は少なくて、より当時の生活の再現的な展示になっていた気がします。まぁ、私の記憶ほどあてにならないものはないので、当時からこんな感じだったのかもしれません。
ただ、銅版画にずっとあこがれていて、もうずいぶん昔になりますが、教室に通って、三年ほど楽しんだんですけれど、あの憧れの出発点は、ここだったのではないか、と思うんですよ。
銅版画は、薬品を使うし、刷るためにかなり大掛かりなプレス機がいるので、よほど豪邸でもない限り、自宅でやるのはちょっと骨なんです。通っていた近所の教室が、職業訓練コースみたいのに組み込まれてしまって、週に3回も通うのは無理でやめざるを得なかったんですが、あれは本当に楽しかったし、自分には合っていたように思います。でも、趣味を長く続けようと思ったら、やはり一人で自力でできるもの、とならざるを得ないですね。自画自賛状態で恥ずかしいですが、自分の作品を家に飾っていたりします、笑。
さて、上階の方は、アトリエです。
自分が働く場所があり、さらに上の方には、工房の弟子たちのスペースがあります。中世~ルネッサンス時代のように、工房で、多くの作品を仕上げていたらしく、弟子たちの力量は重要でした。
ガイドで、結構面白い話を色々聞いたのに、ほとんど忘れちゃってます。レンブラントに興味のある方は、是非現地で、ガイドを聞いてくださいね。レンブラントのレッスン料は安かったとかなんとか言ってたような。でも、理由を忘れてしまいました、笑。
興味深かったのは、たくさんのオブジェ。
本当にすごい量の、いろんな種類のオブジェが所せまし、なんです。やはり絵を描くための資料として、稼いでいる人ほど、こういったオブジェへの投資を怠らなかったとか。やはり当時は写実絵ですし、現物を再現すればするほどの時代ですから、目の前にマチエールがあることが、非常に重要だったのでしょうね。
貝などの海もの資料など、あきれるほどの量でした。
彫刻類に加えて、模写するための絵も、どっさりと綴じられていました。
将来絵で身を立てたい若者は、こういったものがたくさんある工房を、基準に選ぶ人もいたかもしれないですね。考えたら、本一つだって、簡単に買える時代じゃないし、今そこにあるモデルさんとか、食卓以外は、正確な資料がなければ、描くのも大変なことですからねぇ。
今と違って、照明も、ほぼ自然光がメインですから、いろいろと工夫したそうです。
上は、レンブラント自身が、作業するときに一番よく使用したスペースだったと思いますが、窓の位置、そして、光をうまく反射させるように、白いカーテンというか、幕というか、そういうものをレフ版のように使うとか、そういったことがすごく考えられていたようですよ。
そういうことを考えていると、当時の画家の暗闇と光の表現力が卓越していることも、なんとなく、そりゃそうだよね、って気がしてきます。
というわけで、アムステルダムの産んだ巨匠のひとりでした。次回、もう一人。
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2020/04/24(金) 02:00:20 |
海外旅行
| コメント:2
イギリス湖水地方の ダヴコテージに行ったとき、Wordsworthは背が高くて生涯横になって寝ることがなかったとか、で小さな箱型のbedを見たことがあります。
ベルゲンの鰊小屋だったかの家(たぶん雇われた漁師たちのが住む)ベッドルームも箱型で押し入れみたいに、戸が付いた蚕だなでとても小さかったです。
少し前まで北欧の人といえども背はひくかったらしいですけれど。
2020/04/24(金) 06:02:01 |
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yk #C8Q1CD3g
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ykさん、謎ですよね、北の人たちの身長の激しい伸び具合。戦後以降急激に伸びたのは、栄養なんでしょうか。日本人の体格もずいぶんと変わっているようですが、それにしても、平均身長が30センチや40センチ伸びるというのは、どうにも理解しにくいことです。ポイントで知りたいことって、検索しても、出てこなくて…。今でも、ネットがすべてではないですね、笑。オランダの歴史には、いろいろな意味で、興味が沸きました。
2020/04/26(日) 17:59:29 |
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