2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その9
このエトルリア起源の古い町にある、もう一つの中世の教会が、こちらとなります。

サン・ピエトロ教会Basilica di San Pietro。
様式は、サンタ・マリア・マッジョーレ教会と、とてもよく似ています。起源も同じようなもので、エトルリアの神殿があった場所に建てられているらしいです。
ただ、このファサードは比較的新しい、と言っても、12世紀終わりごろから13世紀ですが、もうゴシックがそこまで来ている状態のものらしいです。というのも、教会のファサードを含む前部分は、地震で崩壊しちゃったらしいです。
北部に住んでいると、うっかりしますが、イタリアは地震国なんですよね。特に、中南部では、大規模な地震も起きていますし、特に中部では、近年、数年おきに、比較的大きな地震が繰り返し起きています。その震源が、徐々に北上している様子もあって、嫌な感じだなぁと思っていますが、このトゥスカニアのあるあたりは、そこそこ被害を受けている地域の一つかもしれません。
とはいえ、13世紀初頭の建築がそのままあるのですから、そうはいっても地震リスクは低いと言えるのでしょう。
テイストにゴシックが入っていることもあるのでしょうし、また、あまりに装飾的で、サンタ・マリア・マッジョーレ教会もそうですが、あまり私のタイプではありません。それでも、ここ、ロケーションがいいんですよね。町を見下ろすような丘の上なんで、いかにも神殿にピッタリ。教会周りは、時代が下っても、神殿の時代とあまり変わらないような状況で残されていますので、神聖な空気というか、結界的な雰囲気もあります。
すごい装飾的なバラ窓です。

時代的に、コスマーティ大活躍だったのでしょう。あちこちにコスマーティ・モザイクがはめ込まれています。これは、ローマって感じがします(コスマーティは、北部の方には来ていないと思います)。
バラ窓の両脇に二連窓、という独特のスタイルですが、向かって右側の周囲は悪魔的なモチーフ、左側には、天使や聖人のモチーフで飾られているのだそうです。確かにそうみたいですが、テイストがあまり好みの彫りではなかったので、写真、ほとんど撮っていませんでした。
以前訪ねた時に、山ほど撮影しているはずだという気持ちがあったせいもあるんですけれども。
一方で、このファサードで、私が大好きだった奴ら。

扉の、一番外側のアーキボルトなんですが、めっちゃくちゃかわいい浅浮彫が並んでいます。
大理石のすべすべ感も魅惑的で、手が届くところだったら、絶対になぜなぜしちゃうやつです。
左側に動物や狩りの場面、右は、なんとなく農民の毎月のお仕事的なモチーフになっているような。

とにかくかわいくて、これは、ついつい何枚もパチリ。
右側の小さい扉のリュネッタには、こんなうにょうにょしたやつら。

ライオンに挟まれて、ダニエルさんかと思いきや、蛇がいるし、真ん中のフィギュアは、なんだかもう、うにょうにょしているだけで…、笑。
アーチ型に置かれた、太めの縄目模様がよいですね。この彫り物は、もしかすると、古い時代の教会にあったものだったりするかもしれないと思います。テイストが古いですよね。
外観については、このとき、ほとんど撮影していないのですが、今更説明を読むと、7/8世紀の古い建造物の名残は、この、側壁と、後陣部分に残る、とありますので、こちらもご参考に。

浅いつけ柱とアーチのリズムも美しい側壁です。

この建物も、かなり研究対象になっているようです。というか、トゥスカニアは、町として興味深いので、多くの研究者がいろんな切り口の研究をしている感じで、美術史的にも、色々混ざり具合が、決定的な論を決めかねる要因になっていて、それがさらに研究を呼ぶ、みたいな感じ。
もともとは、コモの石工集団がかんでいて、中世のかなり早い時期にこの辺りに来たその人たちが、後に各地に広がっていく、いわゆるロマネスク様式を、ここで実験的にやってみたんじゃないか、という説があったようですが、今では、いやいや、そうではなくて、単にこの教会に、アーチ装飾や、ヴォルトではなく木製天井と言ったロンバルディア・ロマネスクをを取り入れた、まさにロマネスク様式の具現化だ、という説が有力だとか。
研究者によれば、ノルマンの影響も見えられるそうです。
サンタ・マリアの項でも言及しましたが、ここは、中世の巡礼の道の途上ですから、勿論文化や文明の通り道で、まざくるのは宿命です。
中はどうなっているかというと、かなり印象的なんですよね。

非常に装飾的なコスマーティの床モザイクが、かなり良い保存状態で残っています。
わたし的には、コスマーティは、すり減ってなんぼ、っていう装飾なんで、あまり保存状態が良いと、さほど訴えてこないんですけどね、笑。
内陣部分にも、かなり良く残っています。踏みつけを、ずいぶん以前から禁止したのでしょうかね。

わたし的には、踏みつけてなんぼ…、なんだけどな、笑。
一部、フレスコ画が残っていますが、さほど好みじゃなかったのと、傷みが激しいので、あまり注目しなかったのですが、12世紀とか、結構ちゃんと古いもののようですね。

古いやつは、ビザンチン・テイストの入ったローマ派のフレスコ、とありますが、確かにそういう感じ。でも、加筆修正の疑惑も大きいというか…。
内陣スペースでの私の関心は、もっぱらこっちに行ってしまってまして。

古い教会の遺構ですよねぇ。もう大好物なもんで、これはスリスリしましたです。我慢できません。
みつあみも、波型も、人生の木型も、あるだけで幸せなもの。
ディテールをのぞくと、若干がらんどう的な教会ですが、高い壁を支えるアーチと円柱は、注目ポイントかも。

見るからに、の再利用円柱、再利用柱頭です。だからバラバラ。
太さも高さもタイプの違う柱を再利用って、かえって大変にも思えるのですが、中世では、これは当たり前に見られますね。リサイクル方向に、技術が伸びていたんでしょうかね。石材だって、古代遺跡から切り出しちゃったりしているし、無から色々作っていたエトルリアやローマとは、違うカルチャーなんだと、改めて感じます。
エトルリアと言えば、その石棺が、ドカンと置かれていたりもするんです。

ここは、ローマ遺跡も出てきますが、それ以上にエトルリアが出てくる土地です。エトルリアの遺跡は、ローマ人に徹底的に破壊されちゃったんですけど、それでも定住していたわけですから、出てきますわね、いろいろ。
ここは、神殿もあった場所ですし、教会の外にも、石棺がたくさん並んでいます。

も一つ、内部の見どころは、12世紀のクリプタですが、このときは入れなかったようです(覚えてない、笑)。残念ですが、探せば、以前の写真があるはずなので、よし。
最後にもう一度、一番のお気に入りを愛でつつ、お別れです。

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- 2020/05/16(土) 02:30:46|
- ラツィオ・ロマネスク
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