2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その11
このときの旅で、最後に訪ねたロマネスクは、こちらです。
ヴェトラッラVetrallaのサン・フランチェスコ教会Chiesa di San Francescoです。
たずねようとしたわけではなく、傍らを通過したので、ちょっと寄って行こうか、ということになりました。この教会、以前の旅でも、ここを目指すというより、脇を通ったので、せっかくだから見ていこう、ということになったような覚えがあります。
カステル・サンテリアとは違って、妙に縁があるというのか…。
訪ねた時、ちょうど結婚式が終わったとか、どうやらミサの直後とかだったみたいで、多くの人がいました。気にせず中へ。
構造は古いし、雰囲気はそれなりにありますが、ロマネスク的な遺構は、少ない教会です。
とはいえ、いくつかの立派な柱頭は、きちんと見るべきものです。
正統派ロマネスク、っていう感じですね。
これも、超正統派アーカンサス。写実に過ぎて、芸術的な面白さという意味では、ちょっと薄いかも。
こんな細かい彫りのフィギュア系もありますが、肉眼では全然見えないですよ、勿論。
上の方のは、ちょいと楽しい感じですけれど、全体としては、ごちゃごちゃとりとめのない柱頭で、どうですか。この石工さん、すっごくちゃんとした技術を持っていた人なんでしょうけど、創造力というのか、クリエイティブな部分には、あまり重きを置かない人だったのかなぁ。
で、ここに立ち寄ったのは、プリミティブな感じのクリプタを再訪したかったからなんですが、クリプタをのぞいたら、真っ暗でした。
イベントが終わったのに、中でおしゃべりに余念のないおばさんたちがいたので、明かりがあるかどうか尋ねると、ちょっと待て、と言いながら、手をたたき、大声で誰かの名前を呼ばわるのです。一応教会の中なんですけど、構っちゃいない…。
すると、名前を呼ばれたらしい子供が、順番にやってきて、「知らん」と。最後に司祭さんが登場したので、おばさんは、司祭はどこにいるんだ、と聞いていたらしいですね。で、迷惑そうに現れた司祭さん、うんざりした様子で、はいはい、と灯りをつけてくれました。
きっといつも、
傍若無人なことをされているんだろうなあ、と思わずクスリとしてしまいました。おばさんは、どこでも強し。
古いクリプタですが、ちゃんと使われてきて、だからケアされています。
天井の一部にフレスコ画がありますが、少なくとも今残っているものは、それほど古いものではない様子です。それでも、古色蒼然として、退色は激しいですが。
古いフレスコ画が上書きされているのかもしれないなぁ。暗くて、よく見えない写真ですみません。
上物にある精緻な柱頭との違いに、愕然とするほど、プリミティブな柱頭の彫り物。素朴で、よい感じです。時代的には、10世紀以前とかかもしれないですね。
やはり、記憶通り、なかなか趣のあるクリプタで、再訪の価値があったのですが、しかし、参ったのは、子供たちです。クリプタに明かりがついたら、数人が駆け込んできて、暗闇すら楽しみながら、追っかけっこです。
落ち着いて、脳内タイムスリップどころじゃなかったのです。さっきのおばさんと司祭さんのやり取りを見ても、おそらく、ここはそういう教会で、住民が好き放題にサロン的に使っていたりするんですかね。司祭さんも、発言力なさそうだし…。
しかし、少年の一人が、祭壇のところに立ち、右手を挙げて「ハイル・ヒットラー」、と叫んだのには、仰天しました。
そのポーズで、壁に写る、手を挙げた自分の影を見ているんで、「意味わかってるのかな?それは、ダメなことだよ」と注意したんです。小学5年生くらいですかねぇ。「分かってるよ、冗談だよ」と平然と言います。「冗談でもやったらダメなことだよ」というと、「分かってるって、大丈夫だよ、冗談なんだから~」と言いながら、走り去っていきました。
なんだろうなぁ。
やはり、歴史がそこにあるということなのかなぁ。こちらでは、極右的な若者が、ハーケンクロイツを使ったり、ネオナチみたいな動きは常にあると思うので、そういうのが子供にも見えるということなのかなぁ。そしたら、なんかちょっとかっこいいとか思っちゃうのかなぁ。もしくは、親が、家庭が、なんかあるんかなぁ。珍しい東洋人がいるし、ちょっくら決めポーズしてみようとか思ったのかなぁ。
すっごく考えちゃいました。こんなの初めてだったんで。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2020/05/18(月) 00:43:39 |
ラツィオ・ロマネスク
| コメント:0