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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

エトルリアと中世の思わぬ共通項(ソヴァーナのエトルリア・ネクロポリ)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その12

またまた、すっかりさぼってしまいました。
在宅勤務継続中で、普通に通勤しているときよりも、時間の余裕があるはずなんですが、勤務時間を終えて会社のパソコンを消した後、自分のパソコンを改めて立ち上げるのが、限りなく億劫になってしまって…。
おそらく、仕事環境が劣ることもあるのでしょうが、毎日かなり忙しいのですが、通勤していると、会社を出てしまえば、完全に切り離して、自分のパソコンは自分の世界、となるのですが、そこのところだけは、どうも切り離しにくいっていうのか。
ま、怠け者の言い訳です、笑。

さて、2017年の旅、後半は、エトルリア巡りとなります。

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まずは、小さな村に二つも教会があったSovana近郊のエトルリア遺跡、”Tufo(凝灰岩)の町”考古学公園Parco Archeologico “Citta' del Tufo”です。村から車で5分足らずの場所、上の地図で、左側の方にあるPの先の一帯です。

かなり広大な敷地に、点在している墳墓を公開しています。要は、ネクロポリですから、当時の生活の場は、今のソヴァーナのある場所だったのではないか、と推察します。

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とても緑が多く、起伏のある土地で、緑の隙間に、色々なタイプのお墓があります。当時も、こういう森のような場所だったのでしょうかねぇ。立派なお墓が多いのですが、木々や岩に隠されているというのか、守られているというのか、誰でもが訪れることは想定していない様子なのです。死者の町ですが、隠里的な。

Tufoの町、とある通り、この一帯は、地盤がトゥフォという凝灰岩です。上の写真の岩肌がそうですね。この石は、地下にある本来の状態では柔らかく加工がしやすいが、切りだされて空気に触れると固くなるとか、確かそういう性質のものではなかったでしょうか。
いずれにしても、この一帯は、地面がすべてこの岩でできているので、Sovanaの町も、掘れば、岩なのです。
それで、いわゆる切通的な道があります。

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細くて、先が見えなくて、あるだけでスペクタクルな道。インディ・ジョーンズ的な、ワクワク感を覚えますよ。
人がいる方が、スケール感が出るかも。

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こういう中に、お墓が、これはおそらく切り出されているんでしょうねぇ。

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エトルリアでは、石棺の上に、その中にいらっしゃる方が横たわる彫り物が施されるのが通常ですので、上の写真では、金網の向こうに安置されているのが、石棺でしょうね。傷んではいますが、横たわった姿が、見られます。ずいぶんと立派なお墓ですから、有力者のものだったのでしょう。

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お墓のどこかを飾っていただろう彫り物が、さりげなく置かれています。
翼を付けた悪魔とされている彫り物です。蛇のような竜のような下半身だから、悪魔なのかな。

こちらは、多分Ildebrandaの墓と呼ばれる、非常に大きくて立派な、墓というよりは一つの建造物です。

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柵の向こう側、石が面白く切り出されているところにはアクセスできないのが残念です。イルデブランダとは、まるでロンゴバルドの名前のようですが、なぜかというと、発掘した考古学者が、中世ソヴァーナの有力者の名前をささげたとかそういうことらしいです。そういう紛らわしいことはやめてほしいですけど、笑。

この墓は、公園の中でも最も立派なものであり、エトルリアの墓としては、最も重要なものの一つであるということらしいです。
作られたのは、起源3世紀から2世紀、エトルリアの歴史としては、比較的新しい時代となりますね。
説明によれば、やはり、墓は、岩から直接切り出されているということです。もともとは、岩が、多色のストゥッコで覆われていたようです。エトルリアでは、派手目の色で絵を描く文化がありますから、かなり派手な装飾がほどこされていたらしいです。隠里どころか、ですね。

地下に、降りることができるようになっています。

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この地下が、まさに棺が葬られていた場所となります。上の建造物は、エジプトで言えばピラミッド亠いことですね。柱が12本もある建造物ですから、どれだけの有力者だったか。

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このお墓スペースは、紀元前4世紀のものとされているので、上物は後付けのようです。ここには、フレスコ画などの装飾は残されていなかったそうですが、天井に、幾何学模様が施されているのがわかるでしょうか。
これ、この旅の数か月前に、プーリアの洞窟教会巡りをしたときに、複数の場所でお目にかかった装飾ですから、アッと思いました。プーリアの方が、時代はずいぶんと後なのですが、岩を切り出して教会にするという発想は、このエトルリアの、ネクロポリ作りと共通するものがあります。この天井装飾、当時の誰かが、エトルリア遺跡からインスピレーションを得たのでは、と思ったりもしたのですが、エトルリアは、南部では見られないので、ちょっと無理がありますかね、笑。数世紀のときを置いても、人の考える装飾は、同じようなもんだ、ということですかね。

比較的地味な遺跡ではありますが、緑の中のウォーキングは気持ちよく、起伏があるので適度な運動にもなり、ソヴァーナを訪ねた際は、ちょっと足を延ばす価値はあると思います。このときは、先を急いでおり、あまり奥地まで行けなかったのが残念だったので、再訪を願っています。

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