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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

なぜ現代まで生き延びられなかったのか。たまには歴史を真面目に考えたよ(ヴルチ)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その14

イタリアに住んでいるからには、遺跡とのかかわりは日常茶飯事。ミラノですら、掘ればローマの遺跡が出てくるお国柄です。実際にメトロ工事の際、あちこちから出てきちゃうんで、大変だったとかそういう話がたくさんあります。ローマも、いつまでたってもメトロが拡張できないのは、遺跡が原因ではないか、と思います。
イタリアに来た当初は、やはりローマやルネサンスが、興味の対象であり、あちこちの遺跡を見に行きましたが、エトルリアというのは、前にもふれたように、ずいぶん経つまで気付かなかったし、イタリアに来る前は、私にとっては未知だったので、存在していなかったも同然。観光地としても、まったくチェックが入っていませんでした。
しかし、興味が出ても、華やかな観光施設となっているローマ遺跡と違って、エトルリアの遺跡は、地味なものが多いし、アクセスも良くないので、簡単には行けないという現実もありました。

2020 etruria 174

こんな感じ。コロッセオとかポンペイとか、やはりかないませんよねぇ、笑。

2020 etruria 175

ヴルチ、自然考古学公園Vulci, parco Naturalistico Archeologicoです。

ここは、以前この地域を回った時は、時間が足りずに寄れなかった場所です。
かなり広大な土地に、かなり地味な遺構が点在していて、相当地味なんですが、それが、民間経営の施設であることに、大変驚きました。
実は、ここを訪れたのは、多くの博物館がクローズとなる月曜日だったかと思うのですが、夏季であることから、開いているはず、という思い込み(ホテルの人も、開いていることには太鼓判を押してくれた…)、他の有名遺跡に向かったのです。そうしたら、見事に定休日でクローズとなっており、このインターネットの時代に、なぜホテルの人の言うことをうのみにして、ネットで調べなかったんだ、と自分たちに腹を立てつつ、急遽プランBとして、向かったのです。

そうしたら、受付には、めちゃくちゃガタイがよくて、それを本人も十分以上に自覚している、あたかもアメリカ人のセレブ御用達パーソナル・トレーナーみたいな兄ちゃんがいて、「うちは民間だから!」と異常に自慢げに説明してくれる、不思議な考古学公園です。開いているのは何よりですが、民間ですからね、それなりの入場料をとられたと思います。

金を払って、炎天下のウォーキング。こういうのって、ちょっとストイックというか、何してるんだっけ、俺?という気持ちになりがち。それも、本当にだだっ広くて、やっとたどり着くと、あるものが地味…。

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(こういう門の一部が、上の石積みとして残っているらしい。)

このヴルチという土地、もともとエトルリアの民が定住して、繁栄していた町なんですが、ローマにやられちゃうんです。エトルリアは、ローマ以前にいた人たちなんですが、強大になったローマが、次々と定住地を征服破壊、乗っ取るというそういう歴史なんですよ。
詳しくは知らないんですが、エトルリアは優れた民で、今やローマの代名詞となっている道とか、水道とかは、エトルリアの民がやっていたことを、ローマが踏襲した、ということらしいです。勿論、ローマは、とんでもない勢いでとんでもない領域まで帝国拡大を実現し、その広範な土地すべてに道や水道を作ったすごさはありますが、アイディアは、人まねらしいんです、笑。
で、ローマは、そういう経緯もあるからか、エトルリアのものは、徹底的に破壊したんだそうですよ。証拠隠滅的な?だから、この遺跡に残っているものも、ほとんどローマの遺構で、それは、実際に訪ねるまで知らなかったので、ちょっとがっかりしました。

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小さな凱旋門的な門が、遺構をベースにして、再建されていました。)

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それにしても、考古学者の想像力というのは、すごいもんです。このゴロゴロの、円柱の輪切りとかから、こういう壮大な建物が建っていたんだ、すごいよなぁ、と感動できる人たちですからね。
私なんて、想像力が乏しいもんですから、コロッセオくらい残っていれば、うんうん、と思えますけれど、このベースの階段と、円柱輪切りゴロゴロでは、あ、なんかあったんだろうね、くらいしか思えないし、すごいよなぁ、と感動はできません…。

エトルリア人は、テラコッタで、装飾的なものを作るのが得意で、上の想像図で、屋根の上に置かれた馬とか、レリーフ的なものは、テラコッタでした。こういう想像図に使われるのは、要は、そういうものが、たくさん発掘されているのです。
後日記事にしますが、考古学博物館に、そういったもののいくつかは展示されています。テラコッタで作ったとは思えないほど、でかくて、また繊細な焼き物で、彼らの技術の素晴らしさには仰天しますよ。

その、考古学者の卵たちが、地味に発掘作業にいそしんでいる現場がありました。

2020 etruria 182

お話を伺ってみたら、アメリカのデューク大学の調査隊で、20人くらいの若者が、数年にわたって、来ているということでした。また、ボランティアで、各国の人々が参加しているのだそうで、お話をしてくれたのは、やはりボランティアで来ているスウェーデンの若者でした。
実は、考古学をやりたいと思ったことがあるのですが、こういう風景を見ていると、絶対無理、と思います。

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ドムス、つまりお家の遺跡などもあります。美しいモザイクが残されています。こういうものは、掘れば、もっともっと出てくるのではないか、と思います。土地は広大だし。ただ、マンパワーがいる作業ですし、おいそれとはできないのでしょうし、どこでもこれだけの形あるものが出てくる保障はないわけですよね。学生のボランティアとかは、ありがたいマンパワーなのかもしれませんね。

ドムスの先には、興味深いものがありました。

2020 etruria 184

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再現図とともに。ミトラ神の像が安置された部屋です。
ミトラはオリエントが起源と言われておりますが、よくは知りません。これは、儀式を行う部屋なのだと思います。寝そべって飲み食いしているのは、これもローマと同じですよねぇ。

ミトラは太陽神で、キリスト教以前のローマに深く根付いていた太陽神信仰で、実は大変興味を持っているものです。
この旅の後、同じ年の12月にローマを歩いたのですが、その際、ミトラ教の礼拝堂のガイドツアーに参加しました。当然、それもいまだに記事にできていないのですが…。それで、ミトラ教を改めて認識したわけです。キリスト教が、ローマ人のミトラ教信仰を利用して、コンフリクトが起こらないように、キリスト教に改宗させようとして、ミトラの祝日をキリストの誕生日にしたりなどの工作をしたらしいなどのお話が、大変興味深くて、その後度々情報を求めたのですが、ネットではほとんど出てきませんし、書籍も、一般書籍はイタリア語でも見当たらないのですよ。金にもならない世界なので、研究者も少ないということなのでしょうが、ミトラ教にしても、エトルリアにしても、またエトルリアの同世代、要はローマ以前の各地の民族についての研究は、ローマ研究に比べるとあまりにおざなりになっているようで、ちょっと寂しいですね。

ちなみに、現場に置かれていたミトラの象は、勿論レプリカです。こんなのが出てきた日には、みな興奮の極みだったでしょうな。

公園の奥の方には、素晴らしい渓谷がありました。

2020 etruria 186

公園に沿って、ずっと川が流れています。だから定住地だったのですね。でも、なぜ、ローマ以降は、定住がなくなってしまったのか、不思議ですね。旅をすると、あれもこれも知りたいことが次々と出てきますが、優先順位が中世なので、こういったことは後回しになってしまって、3年たった今でも、調べちゃいません( ;∀;)。

さて、この後、確か、公園内にあった施設で、簡単なパスタ・ランチをしたはず。

2020 etruria 187

定番ちゅうの定番、トマトのパスタですが、これはうまかったなぁ。
で、公園を後にするわけなんですが、実は、公園の外、つまり無料で見学できる場所に、本来求めていたものがあったんです…。

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草原のただなかに、ドンと。この地下がいかにも求めていたエトルリアの遺跡でしたよ。
この部分は、2011年11月が発掘開始ということなので、ずいぶんと最近整備された遺跡です。一帯に、25もの墳墓が発見されたそうです。一部が公開されています。

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ワクワクするような石の扉とか、地下に降りていく階段。

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中は地味ですが、ここでも、天井装飾が見られました。

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線も円もとても正確で、びっくりしますよね。エトルリア人、すごいなぁ、やっぱり。

それにしても、この無料部分見なかったら、エトルリアを探してヴルチに行った価値はないも同然。見逃さなくてよかったです。
ローマはもういいや、という人は、ヴルチの有料公園に入るよりは、こちらがお勧めです。

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  1. 2020/06/01(月) 02:12:33|
  2. 旅歩き
  3. | コメント:4
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コメント

地下におりるところ、墓地ですか?
昔(2003年)ウイットビーからピッカリングに行ったとき、 castleというのがあったのでいってみました。岩しかないような状態、それなのに結構ピクニック的に人がきていて、ちょっと不思議でした。なにもないところなのに、結構な入場料をとって面白くもないのに、と。歴史を しっていなければ廃墟って意味がないですよね。子供にとっては面白い遊び場。
トマトのパスタ、美味しそう。私は安い缶詰でつくるせいか、感激するような トマトパスタはできません。トマトだけではものたりないので ベーコン、エリンギ、オリーブとかいろいろ いれます。今度 ちょっといい缶詰をかって、 トマトだけのsimpleなのを作ってみましょう。 
そのためには町にでかけなければ。2か月以上電車、バスにのっていません。
  1. 2020/06/04(木) 01:51:43 |
  2. URL |
  3. yk #C8Q1CD3g
  4. [ 編集 ]

山上都市

テヴェレ流域やトスカーナの山上都市には、昔からかなり興味がありました。
ピティリアーノや近くのSoranoには縁がなくて行けませんでしたが、LazioのCalcata,Caprarola,
Civita di Bagnoregio, Poli, San Gregorio da Sassola などへは、だいぶ昔の話ですが行っ
たことがあります。山上都市ブームの前でしたので、Calcata や Civita には住人は少なく、芸術家
が住み付いているてな話を聞きました。
corsa さんは住人の暮らしぶりや、複雑な住居の構造まで見学出来てさぞや面白かったでしょうね。
私は、山上都市の戦慄的な佇まいと、共同体としての村の成り立ちに興味を抱いていましたが、写
真の被写体としての魅力も絶大でした。

 
  1. 2020/06/04(木) 08:43:20 |
  2. URL |
  3. ほあぐら #-
  4. [ 編集 ]

トマトのパスタ

YKさん
記事を書きながら、このパスタはおいしかったなぁ、と思い出していました。暑い中、酸味のあるシンプルなトマトパスタは、やはり最強。時として、私のソールフード的な逸品です。
以前は、私も缶詰で作ることが多かったのですが、イタリアだと、Passato、裏ごしなんですかね、その瓶詰があり、そちらの方がおいしいのです。日本でも売っているのかしら。
でも、生のトマトが出回るようになったら、これにかなうものはありません。私は、甘めが好きなので、ミニトマトをざく切りして、ハンドミキサーで粉砕して作ります。種を取らないという横着とすると、適度に酸味も残って、なかなかですよ、笑。日本は、生野菜が結構高かったりするので、逆に難易度が高いのかもしれませんが。
  1. 2020/06/07(日) 11:55:27 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

Re: 山上都市

ほあぐらさん
さすがですね、きっちりしっかり、押さえてらっしゃいますね、笑。
こういう都市は、車を得るまではなかなか行けなかったので、近年ちょこちょこ行けてる感じです。おっしゃる通り、被写体としての魅力は、群を抜いていますよね。
廃墟になりそうなギリギリのところで、「好き物」たちによって救われた村も多々あるようで、それはそういう人たちに感謝したいところです。また、北部ヨーロッパからの観光客や投資によって救われた土地も多いはず。
このCovid騒動で、しばらく大変な時代が続くとは思いますが、美しいものは、どんな分野であっても、生き延びてほしいものですよね。
  1. 2020/06/07(日) 11:58:38 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

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