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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

30年前の憧れが現実に(カルカータ)

2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その15

以前旅したときに振られて、今回もふられたのは、教会ではカステル・サンテリア、そして、遺跡系では、シュトリSutri。週末旅では、月曜日が入ることも多いわけで、そして、遺跡関係は、月曜休みが多いわけで、仕方ないなってとこですが、もうちょっと調べとこうよ、というのもありますな、笑。

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でもさ、観光地なんだから、せめて夏季くらいは、毎日開けてくれても、と思ってしまうけれど、そこは労働組合とか強い国だから、労働者の権利云々で、難しいってことなんだろうなぁ。ある意味、余裕がある国だよねぇ。

さて、次にご案内するのは、昔々にあこがれていた村です。

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それは、カルカータCalcataという、山あいの丘に張り付くように、崩れ落ちるように、しがみつくように、かろうじて存在しているといった風情の村です。
昔々、タルコフスキーという特異な映画監督がおりまして、ヨーロッパ系の映画好きなら、一度ははまるタイプの映画を作っておりまして、この辺りの土地を舞台にした映画があったのです。まだ、イタリアに長期滞在する前の時代でしたが、イタリアに純粋なあこがれをもって、日本でイタリア語を学んでいた時代だったもんですから、その映画に出てくる美しい風景にやられちゃって、いつか行きたいものだなぁ、と漠然と思っていたんです。
でも、実際は、この旅で実際に訪れるまで、長い間、すっかり忘れていました、笑。いくらでも訪問するチャンスはあったと思うのですが、イタリアの厳しい現実に紛れて、そういうはかない憧れって、ずいぶん昔に失ってしまったこともあるのかなぁ。

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村の入り口にある、猫額の小さな駐車場に掲げられた、プロポーション無視のでかい村表示に、なんだかそういう懐かしい憧れが、走馬灯のように…。

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ぶらぶらと散歩したんですが、人よりも猫の数の方が多いんじゃないか、というくらいたくさんの猫がのんびりと寝そべっていて、それだけで、印象アップです。

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首輪をつけた飼い猫だから、ちゃんと飼い主がいるんだろうけれど、人の姿はほとんど見えず。
ちょっと歩くと、すぐに村の端っこに出てしまいます。

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で、こんな断崖絶壁に、柵などあるってことは、ちゃんと人が住んでいてケアしているわけで、何ともすさまじい住まいです。

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こんな山奥で不便な立地の村、廃村となっても不思議じゃないですが、ちゃんと住人がいるのですよねぇ。ここでも、ピティリアーノのように、お住まいの方のお話を伺うことができたのは、ラッキーでした。
ピティリアーノ同様、地下室に降りる階段が目に留まったんですよ。

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入り口の扉に、「カルカータの典型的な倉庫」という張り紙があったので、見学ができるのかなぁ、とのぞいてみました。張り紙には、「中世時代、家を作るために、地下からTufoを掘り出し、その掘り出した石で住居を建設した。そのため、どの家の地下にもスペースができて、それらは、住居、家畜小屋、ワイン貯蔵庫などとして活用された。」とありました。
のぞき込むと、おやじが出てきて、どうぞ、見ていってください、と中に入れてくれました。

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ピティリアーノのおやじの工房よりも、こちらはかなりきれいに手を入れていて、床もツルツルの素材になっていました。ここのおやじも、オブジェなどを作っているようでした。で、この方のお話が、なかなか面白かったんですよ。
何でも、彼は、このカルカータとは縁もゆかりもない、シチリアはアグリジェント出身。成人してすぐに実家を飛び出して、ローマで20年、ナポリやミラノで4年、5年、と働きながら暮らし、その過程で、たまたまカルカータに出会ったそうです。いつかこの村に暮らすことを目標に、働き続け、20年ほど前に、チャンスがあって、不動産を入手できることになりましたが、当時、この村は、存続を危ぶまれていたそうです。住民はほとんどいなくなっている上に、立ち並んでいる建造物が古過ぎて、耐久性の問題があり、居住に適さないため、不動産は国の差し押さえのような状況になっていたんだそうです。要は、買ってもいいけど、場合によっては居住権を失う可能性がある、という問題物件。そういう中で、もともと住んでいた住民は、ほとんどが追い出されるようにして、他に移り住んでいったのだそうです。
それでも、昔からの夢は捨てがたく、ダメもとで買って、ダメもとでとにかく住み始めたら、意外にもそういう人が他にもいて、その流れから、10年ほど前から風向きが変わり、その微妙なステイタスはなくなり、今では70人ほども住人がいるのだそうですよ。
レストランも10軒ほどもあるということなので、観光地として再生しつつあるということなのでしょう。
すごく興味深いお話で、聞けて良かったです。

私のあこがれのもととなっている映画が撮影されたのは、80年代ですから、そういう政策が実施される前のこととなり、もともとの住民も含む村の姿が、撮影できたのだろうと想像します。

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今では、実際にここの出身の住民は非常に少ないのかもしれませんが、もしかすると、他に出ていた家族が、改めて戻って事業をしているなどということはありそうです。不便は相変わらずのロケーションと思いますが、旅人にとっては、とても魅力的な土地ですし、村が完全に死ぬ前に、このアグリジェントのおやじのような奇特な夢追い人がいてくれて、本当によかったと思います。

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夢を追いたくなるようなたたずまいですよね、確かに。

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  1. 2020/06/02(火) 23:40:02|
  2. 旅歩き
  3. | コメント:2
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コメント

地下室ができた由来が面白いですね。 地下室を作ったのではなく、できちゃったという感じですね。
チェコのチェスキー・クルムロフも地下が有名で、地下がずっとつながっていて、隣の家に行けるとかいうはなしでしたが、私が行った2001年はまだ公開されていませんでした。
  1. 2020/06/04(木) 02:29:34 |
  2. URL |
  3. yk #C8Q1CD3g
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

YKさん、地盤がしっかりしている欧州ならではの歴史ですよね。
チェコやポーランドのあたりも、そういう地下都市というのが、結構多いのだったと思います。
地下観光というのは、やはり遺跡絡みで、イタリアにも多く存在しているのですが、多すぎるし、整備するのに金がかかることから、常に見学できる場所は限られていると思うのですが、神秘性もあり、歴史の集積という興味もあり、今後も機会があれば、ローマなど、探索してみたいものだと思います。
  1. 2020/06/07(日) 12:01:18 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

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