2017年7月 エトルリアを巡りつつロマネスクもちょっぴり、トスカーナとラツィオの旅 その19
週末を前倒しで取って、こちらでいうところのロング・ウィークエンドにして、山に行ってました。泊りは友人の山の家でしたが、ロックダウン以降、4か月以上ご無沙汰のレストランでの食事も体験。当たり前のことが全く当たり前じゃないという体験で、いろいろと不思議な気持ちになりました。
さて、まだ続くエトルリア起源の土地をめぐる旅。今回は、その印象的な全体像から。
チヴィタ・ディ・バーニョレジョCivita di Bagnoregioです。
なんという印象的なお姿。ここも、近くを通過することは何度もあって、要は訪ねるチャンスは何度もあったのですが、ロマネスクに関係ないために、毎回行く時間を惜しんでしまって、これまで、アクセスすることがなかったのですが、このような姿を見たときは、もっと前に、一度は訪れる場所だったかも、と思いました。
なんだか、ありえないようなたたずまいですよねぇ。
もともとは、自然の土の道があったようなのですが、それが崩壊してしまったために、今は、こんな道が、崖に乗っかっているような状態の村とつながっています。
この道の入り口で、入場料を徴収されます。おなかがでっぷりしたおっさんが、暇つぶしにやっているように、橋のたもとでチケットをチェックしていたと思います。ランニングシャツとか着ているのに、先のとんがったやけにおしゃれなブーツを履いていてのが、妙に印象的な親父でした。
入場料徴収なんて、イタリア的には、ちょっとそぐわないんですが、ここは仕方ないかな、という気もします。孤島度が高すぎて、住むのも無理って状態だと思うんだけど、でも村として、そのたたずまいは是非に残してほしいと思うし。
この橋の部分だけでも、かなりの急坂です。それが、村に入ると、さらなる急こう配に。
そして、こういう村にはつきもの、といった様子で、にゃんこが複数、出迎えてくれます。
村の中心には、起源は古いけれど、改変著しくて、中世創建時とはほとんどかかわりない状態になってしまった教会がありますが、特段の観光施設があるわけでもありません。
確かに、起源が古かったんだろう、と納得の遺構が適当に転がっていました。
そんな村をぶらぶら歩いていると、入場1ユーロで、「エトルリア時代の地下洞窟、16世紀にはオリーブオイルの製造所となっていた」洞窟を見られる場所がありました。ピノキオの映画の撮影にも使われたとあった気がします。どのピノキオかわかりませんが。
何はともあれ、1ユーロなら、惜しくもないし、おじさんがおいでおいでをしているので、入ってみることにしました。
内部は工房風ととなっていて、ここに至るまでに訪問したカルカータやピティリアーノの洞窟と共通する雰囲気があります。
でも、お金を取るだけあって、地下に行く階段が、きちんとアクセス可能になっているわけで、そこは価値がありました。
この数段の階段が、エトルリア3000年の歴史をさかのぼるタイムマシンだと思うと、ちょっとわくわくします。
何があるというわけではありませんが、この洞窟を掘ったのは、確かにエトルリアの人たちだったのかと思うと、何かしら感慨深い。そして、数千年の時を経ても、大きくは変わっていないのではないか、と思われる風景を、この洞窟住居に暮らしていたエトルリアの人と同じ視線で眺めていると考えると、ちょっとこう、うれしいというのか、やはりタイムマシンだなぁ、と感じました。
洞窟内に、古い時代の写真がありました。
やはり、一度は行くべき場所でした。忘れずに、行くチャンスがあってよかったと思います。この姿を拝むだけでも、訪ねる価値はあると思います。
にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト
2020/07/13(月) 05:42:32 |
旅歩き
| コメント:0