2020.06.ロックダウン明け、ピエモンテ日帰り訪問 その4(最終回)
もう言い訳もしませんが、このさぼり癖のおかげで、ほとんど更新ができないまま、とうとう夏休みになってしまいました。昨日まで、怒涛のように仕事をして、実質的に本日より2週間と一日の夏休みです。そして、いろいろ悩みましたが、明日から、ちょこっとお出かけすることになりましたので、更新については、再開と同時に、また止まってしまいます、笑。
夏休みについては、後日のお楽しみ、ということにします。一応、インスタグラムでは、ちょこちょこのっける予定でいるので、良かったら、下記リンクから、覗いてみてくださいね。今回は、ロマネスクはちょっぴりになりそうですが。
さて、アスティの街。
前回までに中世サイトを紹介しましたが、最後は付け足しになりますけれど、各サイト訪問用の共通チケットを使い倒すということで、訪問可能な場所を紹介しておきます。

アルフィエーリ宮アルフィエーリ博物館Palazzo Alfieri - Museo Alfieriano、於ヴィットリオ・アルフィエーリ生家Casa Natale di Vittorio Alfieri(Via Vittorio Alfieri 375 Asti)。
アルフィエーリって、イタリアの主要な町には、結構この名前の通りがある気がします。特に、一時期、仕事でしょっちゅう通っていたトリノの仕事場が、まさにアルフィエーリ通りにあったので、印象が強いのですが、しかし、今までそれが誰なのかについては、まったく知らなかったし、考えたこともなかったんですよね。
ちなみに、イタリアは欧州他国同様、道に名前が付けられていて、それは驚くくらい小さな道でも、私道でも、ちゃんと名前がついています。これは非常に便利で、なぜ日本が欧州式じゃないのか、不思議になります。
ところで、道の名前は、他の町の名前だったり、特定の人物の名前だったりします。どこの都市でも、ほぼ必ずあるのが、ローマとつながっている場所の、ローマ通りとかローマ広場とかそういうやつ。
ローマ時代の道は、もちろん今でも当時の名前のまま、ちゃんと生きてます。サラリア街道とかエミリア街道などですね。多くの主要なローマの道は、今ではそれに沿って高速道路ができている場所が多いですが、ローマの道はそのまま今でも、国道や県道として現役で、エミリア街道などは、高速代を節約するとか、のんびりドライブしたい際、よく走ります、私。
人の名前は、歴史上の著名人とか、功成り名を遂げた人物とか、現代では商業的な命名もありますね。例えば、ローマのトヨタの社屋は、Via Kiichiro Toyotaという住所です。トヨタが新社屋を建てた際、当時のローマ市長が、命名したのを記憶しています。
で、このヴィットリオ・アルフィエーリさんは、つまり歴史上著名な方だったのですね。

アスティの名家の出身で、超お金持ちだったために、一生食べるために働く必要のなかった方。いわゆる高等遊民、懐かしい言葉を思い出してしまいましたよ。
でも、無駄に高等遊民していたわけではなく、劇作家及び詩人として、その世界でしっかりと名を残されたそうです。パリやロシアなど、欧州各国で暮らし、今ではなんとフィレンツェで眠っていらっしゃるということです。フィレンツェ市民以外には許されなかった墓が、なんとフィレンツェの由緒正しい格式高いサンタ・クローチェにあるというんですから、当時はぶいぶい言わせてたってことでしょう。それも、カノーヴァによるお墓らしいですよ。そんなすごい人だったなんてねぇ。
でここは、そんな彼の業績を語るような博物館になっており、さらりと見学するのは、発見気分もあり、面白かったです。
それから、意外とこんな場所もあります。

ヴァッローニのローマの家Domus Romana del Varroni(Via del Varrone 30 As
この、ちょっとかわいらしいモザイクは、共通チケットのポスターとかにも使われているので、結構期待したんですが、これはちょっとね、誇大でしたよ、笑。Varroneという地区の名前でしょうが、おそらくそのあたりに、ローマ時代の家屋が並んでいたのでしょう。前回に紹介した赤い塔の近くだったと思います。そんな中の一軒、その一部だけが発掘されて公開されているもので、本当にこの一面だけでびっくりしました。
発掘すれば、まだまだ出てくるのではないかと思いますが、現在の住宅事情の問題があったりして、なかなかこれ以上は無理だったとかそういう話かもしれませんね。
そういえば、割と最近、ワイン産地として有名なヴァルポリチェッラの、まさに有名ワイン用のブドウ栽培地、もしかしたら、アマローネかもしれませんが、その地下から、素晴らしい床モザイクが発掘されました。
そこにもともとあることはわかっていたものの、実際にここまで発掘されたのは初めてということだったと思います。細長く数十メートルが彫られて、ニュースでちらりと見ただけですが、素晴らしい保存状態でした。でも、まさに金の生る木がびっしりの畑を、今後、どれだけ掘り返すことができるものか…。悩ましいところですよね。
ローマ時代程度の遺跡は、おそらくまだまだあちこちに眠っているのでしょうが、地域開発で、もう手が付けられない場所もたくさんあるということなのでしょう。イタリアは特にそうなんでしょうね。惜しいけれど、ロマンもありますね。
もう一つは、共通券のチケットを販売している観光局の本拠地となっているマッツェッティ宮です。

マッツェッティ宮Palazzo Mazzetti(Corso Vittorio Alfieri 357 Asti)
ここは、1700とか1800年代の絵画などが並ぶ美術館となっていますが、そのあたりの絵画というのは、もう全く門外漢で興味もないので、さらりと見学しましたが、建物が素晴らしいですね。天井のびっくりするような高さとか、ベネチアグラスのシャンデリアとか。
この時代の金持ちの生活を、ちょっとしのぶことができるというか、いやはや、こんなお家での生活、想像もできません。

紋章付きの地域の地図の部屋があって、地図、大好きなので、そこは食いつきました。バチカンの地図の廊下、懐かしく行きたくなりました。地図って楽しいですよね。やはり全体を俯瞰する紙もの的なものが最高です。今の人はスマホやタブレットの小さい画面で、よく行動できるもんだなぁ、と、好き嫌い置いといても、実用的に、感心しますわ。
私は紙派で、ロマネスク修行の際は、必ず地域の紙ものを買います。でも、おそらく今は販売量も減っているんでしょうね、ナビのおかげで。
こんなところです。
大した内容じゃないのに、たくさん書いちゃいました。さぼっていますが、書くのは好きなんです。いろんなことを派生して思い出したり…。なら、もっと更新しろよ!と思いますが。ペコリ。
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- 2020/08/08(土) 19:38:17|
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