2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)2
チェッロレで、遅いランチを済ませて、次に向かったのは、これまた懐かしい教会です。
2010年の旅は、10年も前ではありますが、車での単独修行旅としては、初めての旅だったので、やはり印象が強かったのだと思います。そういえば、この旅のために、カーナビも初めて買ったのでした。
スマホが当たり前の世代には、想像できないことかもしれませんが、当時は、カーナビもGPS頼り、スマホはなし、Wi-Fiもなし。今のように、グーグルに教会名を入れれば、地図が出てくるなんてことはあり得ません。そして、教会にかかわる情報も、いくら検索してもなかなか出てこないし、問い合わせの電話番号すら探せない、ということも多かったと思います。まぁ、私が、そこまでやらなかった、というのもあるんですけれど。
カーナビは、紙の地図よりはずいぶんと役立つことも多かったですが、逆に変な場所に連れ込まれることも多く、最後は常に紙の地図が頼り、という感じだったなぁ。カーナビなしで動いた時代がある人は、個人的な印象ですが、今でも紙の地図がよりどころで、必ず、持っていますね。実際、ロマネスク旅だと、全体の俯瞰は欠かせないので、グーグルの地図では絶対に無理というのも現実ですが。
そんなわけで、次に向かう教会のロケーションは、鮮明に覚えていました。
この教会、残念ながら、今回の写真はないんです。過去の写真を使いますね。
キアンニのサンタ・マリア教会Pieve di Santa Maria di Chianni
Strada Provinciale Volterrana 33, Gambassi Terme (ガンバッシ・テルメの町を、北東方向に向かう県道沿い)
照会:イタリア0571639006(Gambassi Terme観光局)駐車場:教会前にあり。
事前に照会したところ、教会のわきにある宿泊施設(Ostello San Sigerico)がカギを持っており、その施設は毎日15時からオープンということでしたので、15時過ぎに訪ねました。
これも、10年前の記事がありますので、左のスレッドから、遡ってみてくださいね。
この訪問で、当時の焚火の意味が分かったと思います。
上の写真の、ファサード右側部分ですが、これは修道院時代の僧房などの部分だったと思うのです。ここが、なんと、巡礼宿となっていたわけなんです。それが、現在カギを管理しているサン・シジェリコ宿泊所というわけです。
おそらくですが、当時は、まさに、この部分の再開発の工事が始まったところではなかったかと思うのです。教会裏側で、大量の廃材を燃やしており、今宿泊所となっている場所が、まさに工事現場となっていましたので。ちなみに、宿泊所は、8年前から営業しているということでした。ピッタリ合致しますね。
宿泊所にアクセスするように、教会脇や後ろ側も整備されており、教会ファサード前には、駐車場もありました。訪ねた時も、次々と巡礼の方がやってきて、今日歩いてきた道のことなど、お互いに情報交換に余念がない様子でした。
そして、教会は、その宿泊所内部からアクセスするようになっています。
本来ならここで、内部の写真をアップするわけですが、涙、残念ながら、私の脳内にしか、今回は、その映像はないわけですね、笑。
宿泊所の朝食スペースらしい小部屋の、小さな扉からのアクセスで、教会の南側壁に当たります。宿泊所の方がカギを開けてくださあり、淡い明りをつけて回ってくださって、浮かび上がってくる柱頭たち。
薄暗い中にも、立派な柱頭が見え、大変に荘厳なたたずまいでした。
外から見ても、かなり大きい教会ですが、横幅はともかく、背の高さは想像以上でした。柱頭は、植物系のはっきりした大ぶりの彫り物が多かったと思います。
今は、あちこちネット上で、映像をお借りすることもできますが、あえてやりません。再訪の際、自分の目で切り取ってきたものを、いつか載せたいと思いますので、どうぞ、その時までお待ちくださいね。
幸いなのは、宿泊所がある以上、毎日カギはあるということですね。この辺りは、冬でも閉ざされることはなさそうですし。
そして、前回の記事で触れた教会のスタイルのこと。
この、ちょっと朽ちた様子が、魅力的なピサ様式。
遠くはないけど、いわゆるピサ様式バリバリの土地からはちょっとした距離があるから、へ?と思ったわけですが、巡礼の道で、ほぼ直結していることが、今回の訪問で、明らかになったわけで、なるほどな、と。
ピサ様式は、海を渡ってサルデーニャや、南イタリアにも伝播しているわけですが、一方巡礼の道をたどって、ローマへ向かう道筋に、時々現れるわけですな。
実は今回の旅で、念願の訪問がかなった超有名教会がありますが、そこもまさにピサ様式で、驚愕したんです。
あ、何度か言及していると思いますが、ピサ様式、大好きなんです。特に、こういった朽ちた感が加わると、諸行無常的な印象になって、続々します、笑。
ちょっと、チェッロレにも通じる感じの浮彫もありますね。
ちなみにですが、10年くらい前は、ブログは、最終的にはホームページにまとめるための覚書という位置づけでやっておりましたので、過去記事も、少ししか文がありません。今はなくなってしまったHPに書いた文面が、以下となります。当時回った際に、10世紀に巡礼の道の記録を残したシジェリコさんのことを知り、大変感銘を受けたこと、思い出します。
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街道に面して建つこの教会のファサードを見たとき、とってもピサだったのでびっくりしました。ピサ様式という のは、実際にピサにある教会中心に見ることで、トスカーナにおけるロマネスクの中でも非常に確立された様式であるということを認識しましたが、ピサから離れた地域でこれほどいかにも、という教会に であったのは初めてだったからです。
この教会もまた、10世紀のシジェリコさんの旅日記にしっかりと記されたものですが、現在の建物の起源は12世紀。まさに、ピサ様式がエルザ谷にまで波及した 大きな証拠としての存在価値を持ちます。ファサードは、上部に細かいブラインド・アーチ、下部には背の高い大きなアーチで、全体に垂直性が強調されるスタイルとなっています。加えて、 柱頭等の装飾はほとんどないと言えるのですが、アーチと柱だけで華やかなファサードになっていることに驚きます。
教会右側にはかつての司教館がくっついて建てられており、左側、および後ろ側は、 周囲の建物が迫っている上に大きな木があって、外観を全体として捉えることが難しい立地になっています。翼廊が突き出していて、どうやらバランス的にはかなり大きなものとなっているようです。 残念ながら、内部に入ることはかないませんでしたので、ますますつくりが分かりにくいですね。教会にくっつくようにして、かろうじて作られている細い道沿いに裏に回りました。翼廊にくっついている円柱 (下右端)がありますが、本来はこの円柱のトップが屋根になるような、そういう図面になっていたとか。結局そのプロジェクトが途中で変更されてしまったので、この円柱が、唐突な装飾として残された、 ということらしいです。詳細は不明ながら。いくつかみられる一連窓の装飾も、まさに最低限です。
一方で、内部には、おそらく再利用の結果としての、サイズの異なる円柱が並べられ、動物や植物 モチーフの、多様な装飾が彫り込まれた柱頭が見られるようです。今回、本来だったらオープンの時間だったにもかかわらず、残念ながら開いておらず、大変残念でした。
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2020/08/24(月) 18:06:03 |
トスカーナ・ロマネスク
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