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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

わくわくの地下探検、なんと二連発(キウジのエトルリア)

2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)10

今回の旅の、もう一つの目的、というより、メインの目的だったエトルリア遺構の訪問は、なかなか充実しました。
三年前に、同じような場所をうろうろして、わかっていたけど、それよりもずっと面白いな、と思ったので、どうしても、行けてない遺跡に行きたいと思っていたのです。
日本では、世界史でもほとんど習うことがないし、なんとなく先史時代と、ギリシャ・ローマのはざまで忘れ去られてしまっているような時代の人々の遺跡なんですけど、ロマネスク病の人にとっては、絶対にシンパシーを感じるものだと思っています。

まず、最初に訪ねたのは、キウジChiusi。
前回の旅の、ミラノへと戻る帰り道で立ち寄った町なんですが、事前に調べ切れていなかったので、時間が合わなかったりして、エトルリア博物館以外は訪ねることができなかったため、大変心残りがあったのです。
今回は、しっかりと事前に調べて、必要な予約もして、万全。
小さな町ですが、エトルリア関連のオーガナイズは、とてもしっかりしていて、興味のある方には、強くお勧めできます。

最低限見るべき訪問地を、四か所見学できるセットのチケットがあり、なんと10ユーロぽっきり。これはお得感すっごくあります。
そのセット券で可能な見学場所は、以下。
1. エトルリア博物館Museo Nazionale Etrusco(毎日9時半から20時)
2. エトルリアの墳墓(Tomba Pellegrina e Leone);今回、コロナのため、見学不可
3. ポルセーナの迷路(Labirinto di Porsena);30分ほどのガイド・ツアーで、予約必必至(ツアーは一日5回ほどあり)。
4. 地下探検(Citta' Sottoterranea);コロナ下では、予約必至。30分強のガイドツアー。

上記に加えて、2番の墳墓の近くには、サルの墳墓(Tomba di Scimmia)というのもあり、これは3ユーロの別料金となっていますが、これまたコロナのため見学不可でした。墓は密になってしまう狭い空間だから駄目だったんだと思いますが、特にサルの墳墓(内部にフレスコ画があり、そこにサルが描かれているから、こういう名称なんだと思います)は、写真で見ても内部が素晴らしく、最後まで期待はしていたのですが、やはりだめでした。
というわけで、キウジも、再訪必至、という町なんですよ。

予約した地下ツアーまで時間があったので、以前見学した博物館を再訪しました。

etruria romanica 053

ままごとセットみたいな、埋葬品。死後の世界があると考えていたエトルリア人は、墓にいろんなものを持ち込んでいたんですが、これは生活品をまとめたもので、さまざまなタイプがあり、本当にかわいらしいですよ。大きさもいろいろなんでしょうが、展示されていたものは、50X30センチとか、結構大きくて、インパクトあります。

etruria romanica 054

こういう骨壺は、もうきりなく並んでいました。
やはり、展示内容も変わっていると思いますし、意外と楽しめました。
時間があまりなかったのですが、係員の人から話を聞いたりして、エトルリアのことは知らないことだらけということもあり、面白かったです。ちゃんと勉強しないとなぁ。

骨壺、つまりエトルリア人は、基本火葬文化だったのですね。大きな石棺もあるので、私はすっかりそのまま埋葬するのが主体で、貧乏な人が主に火葬するもんだと思っていたんですが、どうやら時代に寄ったりするらしいんです。
そして、たくさん並んでいる骨壺、よく見ると、装飾彫り物が同じだったり、非常に似ているものがたくさんあるんです。それって、つまり工業製品なんだそうですよ。
この、キウジに、骨壺製造工場があり、似たようなモチーフっていうのは、出来合いの大量生産品なんだそうです。なるほど!
当時人気のあった人物増とか、そういうのがたくさん。庶民、といっても、装飾的な骨壺はそれなりのお値段もしたと思われますから、そこそこ身分のある人たちだったんでしょうけれど、そういう出来合いのものを買って、ちょっと名前を入れてみたりとか、そういうことはしたらしいです。

で、この博物館の後、予約をしていた地下ツアーのガイドツアーだったんですけれど、その地下にも、骨壺はいやになるくらい並んでいて、さらに面白いお話を聞けました。

etruria romanica 055

見るからに面白いものがたくさんありましたから、私は大量に撮影していましたが、同行者は、地下ツアーの地下での写真、一枚きりでした…。潔いなぁ。その分きっと、目に焼き付けて、説明もちゃんと聞いているのだと思います。私は撮影ばかりで、後付で、写真を見ながら説明を思い出すタイプなので、自分が撮ったものがないと、正直お手上げです。

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(ネットでお借りした画像です)

ただ、覚えているのは、エトルリアでは、女性の地位が高かったということ。
同時代の他の文明を考えたとき、これはなかなか画期的なことなのではないかと思います。女性も、誰それの娘とか、妻とかそういうのじゃなくて、自分の名前を子供に残すことができたとか、発言力があったとか、そういう文明だったそうなんですよ。ますます好きになっちゃいます。
そして、名前がね、それなりの地位の人だと、7つもずらずらと並んでいたんだそうです。
骨壺には、その中の一つ二つだけが彫られたそうですが、後代、ローマに押されてくると、その文字が、エトルリア文字からラテン語に変わってきて、名前だけがエトルリア風だけど、ラテン語で彫られるようになってきたのが、このあたりの骨壺、というのもたくさんありました。

地下水の水路の跡などもあり、今は通路として通れるようになっているんですけれど、表面を粘土質で固めて、相当深い溝となっているようでした。道路も水道も、ローマの遺構となっていますが、どちらも、オリジナルはエトルリア人が作ったもの。
ローマが台頭してきたころ、一気にエトルリアが破壊されたわけではなく、あちこち散らばっていた都市国家上のエトルリアの町それぞれが、違う対応で、ローマと交流したり、取引したり、しばらくは共存的な時代もあったみたいです。そういうところ、知らないんで、今後、本を読んでみたいと思っています。

この、市で企画運営している地下ツアーは、コロナ禍で、ツアー最高4名とか、最小限の最高で、我々の他は、ツアコンみたいな人が下見に来た、ということらしく、ガイドは、我々専属、という形でしたので、たくさんのお話を聞くことができて、充実しました。

そのあと、今度はポルセーナの迷路という、やはり地下ツアーに参加したのですが、こちらは、運営母体がまた違うようで、人数も15人ほどと膨れ上がり、人数が多い分内容は、若干薄いものでした。前置きがやたら長くて、見学するものは少ないっていうか…。

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地下ツアーは、地下が博物館となっていて、たくさんの骨壺などが展示されているという見ごたえもあるんですが、迷路の方は、地下水道の跡を歩く、というちょっと探検的な感じで、今でも水が溜まっている苔が美しい井戸とか、ローマから中世にかけて、ごみ捨てとなってしまったそういう穴の説明とか、あるものはあるんですが、これは、ツアーメンバーに下らない人がいると、一気につまらなくなる内容でもありますので(イタリア人て、驚くくらいつまらない質問とかして、勝手に盛り上がったりするんで。この時も、地下に生息する蝙蝠が死んでて云々、という話で、相当の時間を取られました)、その時によりそうです。
また行くとしたら、地下ツアーだけでいいかな。

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  1. 2020/09/15(火) 04:39:26|
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