2020.08 コロナ禍中、炊飯器持参の夏休み(エトルリアとロマネスク)12
(9月22日に、少し加筆しています。)
行ったり来たりになってしまいましたが、またエトルリアに戻ります。
今回は、有名遺跡の一つ、ポプロニアPopuloniaです。
ここも、写真が少ないので、ネットからお借りしながら、となります、ぐすん。
バラッティ・エ・ポプロニア考古学公園Parco Archeologico di Baratti e Populonia(月曜休み、9時半-19時半、総合チケット20ユーロ)
バラッティというのが、ネクロポリ、つまり死者の町で、ポプロニアは、今も存続する町の近くにあるアクロポリス、つまり当時のポプロニアの遺跡となります。
コロナで想定外のこともあろうし、今回、旅程はいつも以上にアバウトにしていました。ポプロニアは、かなり広大な土地に、ネクロポリとアクロポリががあったり、どの程度の時間がかかるのかがよくわからなかったので、事前予約をせず、その代わり、オープン前に到着して、可能なガイドツアーは現場で予約する方法を取りました。
ガイドなしで、勝手にふらふら歩く形の訪問も可能となっていたようですが、ガイドツアーにしても料金は同じだし、遺跡は、可能ならばガイドの話を聞いた方が面白いに決まっていますからね。
宿からは結構な距離がありましたが、頑張って早朝出発して、無事、オープン前の9時過ぎに到着しました。上の地図で、右上に駐車して、受付の建物まで、移動します。印のついているのがそうですが、その左の方に広がる茶色の平地っぽい部分が、ネクロポリのメインとなります。不自然なドーナツ型が、墳墓となります。
そして、下がアクロポリの場所。
一番右端に、ネクロポリのある場所の印を残してみました。
アクロポリは、一番左にあり、今のポプロニア(Rocca di Populoniaとあるところ)も、すぐ近くです。ネクロポリとアクロポリは、直線距離で、2キロ弱というところでしょうか。しかし、直通の車道はなく、林が広がっています。林の中に小道があり、歩きたい人は歩けるようになっていますが、かなりわかりにくいようでした(ネクロポリのガイドツアーで一緒だったイタリア人が、歩いてアクロポリに向かいましたが、車で移動した我々と、左下にある無料駐車場のあたりで再会しました。海岸沿いを走る車道に対して、歩く道は、林の中をひたすら突っ切るようになっているようですが、何度も迷ったと言っていました)。
エトルリア人は、死後の世界を信じて、死後も完全な生活ができるように、ネクロポリを作ったようですが、これほど離れているのも珍しいような気がします。ポプロニアの人口がかなりあったということかもしれません。
この遺跡の良い点は、ガイドさんが皆、考古学の専門家、つまり、考古学者なんです。そして、ガイドの数をこなしているからだと思いますが、話が旨いです。専門的になり過ぎず、それでいて、聞いていて興味がそそられるうんちくをちりばめ、またさり気に、発掘にはお金がかかるんで、皆さんよろしく的なお願いも盛り込んだりして、今回、ネクロポリもアクロポリもガイドツアーに参加して、他のツアーの様子も目にしましたが、どのツアーも盛り上がっていました。
考古学に興味を持つ人はたくさんいると思うけれど、食べていくのは大変な職業だと思うので、彼らの知識を役立てるこういうお仕事、もっと増えたらいいのに、と思いました。イタリアは遺跡がたっくさんありますが、どこでもが考古学者を雇っているわけではありません。いや、むしろ、通常の観光ガイドがやってるケースの方が多いのではないかと思います。考古学者の皆さんは、情熱をもって、現場で発掘にもかかわっているのに、その知識や経験を生かす場所がいかにも少ないというのは、勿体ないことですよねぇ。
さて、開店前に到着したおかげで、無事、チケット売り場にも二番に並ぶことができ、ネクロポリ二か所(サン・チェルボーネSan Cerbone、レ・グロッテLe Grotte)、及びアクロポリ、それぞれの予約もできました。
予約時間までは、ガイドツアーで行かない林の方を散策。そちらの方に残っているのは、ほぼ廃墟状態の墓やら、目的のわからない石積みなどですが、緑が生い茂り、夢の跡的な雰囲気は悪くなかったです。
さて、ネクロポリのサン・チェルボーネのガイド開始。思ったよりも多くの参加者で、総勢、20人はいたでしょうか。ガイドは男性考古学者。熱心な語りで始まりましたが、いきなりがっかりでした。
というのも、この墳墓、通常なら入場できるのに、今はコロナで閉鎖中で、今度いつ開けられるかわからない、ということだったんです。個人的には、これを一番楽しみにしていたのに。
これね、エトルリアのお墓なんですよ。それもかなり初期の方のスタイルで、紀元前7世紀とか8世紀の時代。こんもりと小山を作って、周りを石で補強して、お墓それぞれによるのですが、中には、数段、地下に降りる構造になっているタイプもありますが、それは、時代が進んでからのもので、ここのは、平地で、周りを取り囲む石壁に扉があり、そこから通路で内部に入るようになっています。
これは、内部から馬車が発見されたことから、馬車の墳墓と呼ばれているもので、かなりの大きさです。
内部は、空洞になっているわけではなくて、洞穴状態というのでしょうか。扉から通路で、墓用のスペースがお部屋のように作られる構造で、ここでは三つのお墓スペースがあるようです。これだけの大きさや、副葬品に馬車まであることから、おそらく高貴な身分の人のお墓。
この、石壁の切り石とかの技術が、なかなかすごいらしいです。確かにねぇ。それに、きっちり円形なのもすごいなって思います。
このネクロポリは、かなりの長きにわたって使われました。ポプロニアが、それだけ長命な土地だったということですね。墓のスタイルも、時代によって変わっていくので、その長命がゆえに、古いものから、新しいものまでが混在しています。
この、祭壇のようなタイプは、紀元前4世紀ごろとかそういう時代のものらしいです。
この、一番手前にあるやつは、中に入れるんですが、すごくきっちりとした切り石で、びっくりします。
考古学者もいろいろ話してくれましたが、要はね、エトルリアのことって、今もあまりよくわかってないことが多いんですよ。それで、遺跡のことだって、用途とか、不明だったりして、いろんな説があったりして。考古学者にとっては、結構面白い研究分野だと思います。だって、明日、自分の学説が有力になる可能性もあるわけですよね。
そうそう、エトルリアは文字があるし、墓に書かれていたり、それなりに発見はされているんですが、実は、エジプトのロゼッタストーンに当たるボリュームのある文章が見つかっていないため、いまだに部分的にしか解読できてないんです。ね。夢があるでしょう。
ンといっても、エトルリア文字は、右から書くんですよ。見た目はアルファベット的なスタイルで、結構単純な様子なんですが、右からって、不思議ですよね。書く対象が石しかなかったから、引っ掛かりとかそういうものもないし、右からでも左からでも同じ何でしょうけれど、人の多くは右利きのはずだから、アルファベット的な文字だったら、やはり左から右に書く、という方が自然な気がするし。
エトルリア人のほとんどの聞き手は左だった!とか、わかったら面白いですよねぇ、笑。
さて、あけっぴろげの土地に広がる墳墓遺跡サン・セルボーネのガイドツアーは、約1時間で終了し、今度は各自が徒歩で場所を移動して、もう一つのガイドツアーであるレ・グロッテの集合場所へと向かう必要があります。その時間が気になって、サン・チェルボーネのツアーの最後の方は、ちょっと端折り気味に失礼した我々ですが、レ・グロッテのツアーも、ほぼ同じメンバーだったので、端折ることもなかったのに、と後悔しました。
でも、ここへ向かう道、山道だったりしてわかりにくくて、比較的健脚な我々でも結構時間がかかったんですよね。他の人たち、来られるのか心配しましたが、どうやら道に二通りあり、我々は遠回りをしたのでした。
そのおかげで、ポプロニアの紹介写真にも使われる絶景を、独り占めできました。
遠くに海が見えて、緑の中にインディ・ジョーンズ的な遺跡が見えます。これはちょっと感動的な眺めでした。
ここまで登ってきて、そしてこの後、下に見える遺跡まで下って、結構なアップダウンで、遺跡はやはり身体が元気じゃないと来られませんね。
私たちの前のツアーが遂行中ですね。
林の中のこんな道で、時々迷いそうなくらいに、自然林をそのままにしていました。
岩壁に直接くりぬかれたような構造のここのお墓は、エトルリアの歴史上では、ほぼ最後の時期、ローマへの移行期間に使われたものだそうです。紀元前4世紀から2世紀ごろのこと。
中には入れないので、状態は不明ですが、見た感じが、考古学っぽくてかっこいい。
そして、脇の方に、不思議なものがあるんです。
壁に、こういうくりぬきというのか、宙に浮いたようになっている切り石があるんです。これ、ミステリーって感じで、ポプロニアのアイコンとして使われています。
どこにあるか、わかりますか?
すごく唐突な感じですよね。
ガイドさんが説明してくれたんですが、すっかり忘れちゃった…。でもね、実際、何か、ということはわからないということだったのは確かです。
帰りも林の中の道を行くのですが、地下に降りる階段があちこちにあって、それもお墓なんですね。中には、フレスコ画があるものもあったようですが、今は公開されていませんし、ほとんどの墓は整備もされていません。中に何もなくても、階段や坂道を下って、お墓にアクセスするのって、すごくわくわくするので、いつか予算が降りて、そういったところも整備してアクセスできるようになったら楽しいだろうなぁ、と思います。
墓は墓なので、失礼な話ではありますが、とっくの昔に盗掘されたりしているし、もう遺骨も何もありませんから、まぁ問題はないかと。いや、死後の世界を信じていたエトルリア人冒涜になるのかなぁ。
もし時間的な制約があるなら、サン・チェルボーネよりは、こちらグロッテの方がお勧めかな。
長くなってしまったので、アクロポリ、別記事にします。
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2020/09/20(日) 19:34:40 |
旅歩き
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