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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

100年って長いのか短いのか(トゥールーズ31、その1)


2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その1

プロローグとして頭出ししたのが、旅の直後、2017年の8月なので、プロローグからその1まで、なんと、丸三年以上かかったことになりますね。その間にホームページはなくなるし、ブログの住所も変わるし、三年、結構長いです。
この時の旅は、場所によるのかあったものによるのか、非常に印象が強くて、なかなか忘れない自信があったので、慌てずにほかの修行旅の記録をしていたんですが、さすがに丸三年たっていると思うと、ちょっと心もとないです。
最近、近郊への日帰り修行も多くしているので、そういうシンプルな記録を先にしたい気持ちもあるのですが、それをやっていると、あっという間に四年とかたっちゃいそうなんで、思い切って、重い腰を上げることにしました。どうなることやら、ですが、とりあえず、始めます。

まず、例によってですが、フランスの土地の名前とか、州の名前とか、いまだによくわかってなくて。おそらく、ミディ・ピレネーって、今は使わない名称なのかしらん。Occitanieとなるのかな。
だとしても、もう頭出しで、ミディ・ピレネーにしてしまったんで、書庫はそれで行きますね。数字は、県の数字となり、これだけは変わらず同じなので、場所の目安として記して置くようにします。

プロローグでも記したように、この時は、トゥールーズToulousの空港に入りました。Covidの今となっては、自由にどこにでも飛べたあの頃が夢のような気がします。

到着は夜で、まずは空港バスで町に入りました。すぐにレンタカーをしてもよかったのですが、トゥールーズの目的は街中の二か所だけ、半日コースであり、車で移動する必要がないどころか、車があると、駐車などかえって厄介なので、車なしでトゥールーズの見学をしてから、改めて空港に戻ってレンタカーするという作戦でした。

そのために、鉄道駅前のリーズナブルなホテルに投宿することにしたのですが、そこそこの規模の町の鉄道駅周辺って、おそらく総じて治安は良くないのですよね。空港バスを降りてから、小走りでホテルにアクセスし、荷物を部屋に放り込んで、22時ごろではありましたが、夜のカテドラルを見に行こうとホテルを出ました。
でも、道は暗いし、駅前から旧市街の中心にあるカテドラルは、どうやら結構な距離です。10分ほど歩きましたが、これは帰りもあるしやばいんじゃないか、と気付いて、あっさりと引き返すことにしました。
ホテル近くのコンビニみたいな店で、缶ビールを買って、缶のまま手にもって出ようとしたら、お店の人に、かばんに入れなさい!と強く言われました。何怒ってんのよ、と思いましたが、もしかすると駅前という場所がら、そういう缶ビールをめがけて襲ってくる人なんかがいるってことなのかも、と後から気付いて、ぞくっとしました。まったくもう。

さすが駅前ホテルで朝は早かったので、翌朝は、8時半過ぎにホテルを出て、まず向かったのは、もちろんこちらです。

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サン・セルナン聖堂Basilique Saint-Sernin(8:30-19:00)
壮大なバジリカです。
まさに、この後陣側からアクセスしたんですけどね、こんな感じ。

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これ、カテドラルだと思い込んでいました。この激しい壮大ぶりは、そう思いますよねぇ。
ちょうど朝日が当たって、きらきらと浮かび上がるような後陣の写真を撮りながら、私の目の前の集団に、目が釘付けになったこと、よく覚えています。

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軍なのか、警察組織なのかわかりませんが、この時は、ライフルみたいな銃を担いだ人たち、あちこちで警備していました。確か、テロが続いていたんですよね。テロ、巻き込まれたらもうどうしようもないけれど、ちょっと朝っぱらから気が引き締まる思いではありました。

せっかくだから、後陣から、見学ですが、すぐに、これはきりがないんじゃなかろうか、と思わされました。

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どこもかしこも、びっしりと彫り物です。時代もいろいろ、また再建部分も交じっているのではないかと思いますが、もう区別する気もなし。
鉋屑背負っているのは、オーヴェルニュですね。背負いぶりが、もう律儀ですごいです。

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ほらほら、どこもかしこもいろいろくっついちゃって。オペラグラスでも、しっかり見ていましたが、お疲れ様でーす、的な言葉がぐるぐるします。
ちょっと面白いな、と思いましたのが、そういえば、ここ、レンガですね。

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半円後陣の下の方に、こんなレンガ装飾がありました。これは再建とか修復されている場所なのかな、と思いましたが、今本で確認したら、石とレンガの組み合わせはオリジナルのようです。イタリアにはよくあるマテリアルですが、フランスでは珍しいような気がします。アーチと三角との組み合わせ、すっごくかわいらしいです。
そして、レンガが細くて、色も多様で、美しいです。

左側に回り込んで、ファサードへ向かいながら、古そうな扉口に気づきました。

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Porte des Comitesと呼ばれる門。伯爵の門?
頼りないフランス語ですが、貴族の墓所に通じる扉とでもいった位置付けのようです。
11世紀の装飾らしく、後陣の彫り物より、断然好みです。

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これは、ラザロの復活らしいです。
双子みたいにそっくりな天使の手が、でかくて、寛大な感じする。

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の気持ち送りの彫り物も、ライオンも、みんな好きな時代の好きなテイストだと思います。貴族のための装飾なのに、別に貴族なんか関係なく、やっぱりありがちなライオンだったり、得体のしれない動物の頭だったり、面白いですよねぇ、そういうとこ。

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しかし一歩進むごとに装飾があって、足が止まっちゃうって、困ったタイプの教会です。先に進めやしない。
特に古い時代のやつは、それがまたかわいかったりするんで、撮影も大変。
先日の、今年の夏休み旅と逆に、こっちは撮影枚数が多すぎて、整理が大変です、笑。

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先に進むと、といっても、まだ南壁面なんですけれど、もう一つ扉があって、たぶんこっちの方が有名なんですよね。

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Porte Miegeville。
どういう意味だろうと思って調べたんですが、辞書にない単語。なんか悔しいのでイタリア語で検索したら、何のことはない、造語みたいなもんですね。Ville、つまり町のMiege、真ん中、という意味になるそうです。この門の開いている先の通りが、かつてはトゥールーズの町の中心を横切る道だったことから、つけられた名前なんだそうです。イタリア語が分かってよかった。すっきりしました。

この門も、先ほどの伯爵の門と、さほど時代は変わらないみたいなんですよ、11世紀の終わりごろ。それなのに、ずいぶんと時代が下る印象です。彫り物担当石工さんの傾向なんでしょうね。
スタイルからいって、ここの装飾は、中の彫り物もしていると同じマエストロです。この人、モダンなセンスの石工さんだったと思われますね。

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ほぼ全員が横顔だったりして、スタイリッシュっていうのかな。あ、エジプトの影響受けてたりするのかな、笑。

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ほら、すごくデザイン的な表現で、びっくりしちゃいます。大きく彫られているキリストだって、横顔だよ。珍しいですよねぇ。

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もしかして横顔専門?と言われたら困るし、と思って、ちゃんと柱頭には三次元的な彫りもしときました、ってやつです。

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それにしても。
こういうの見ちゃうと、直観では絶対に、時代分かりませんね。このあたりの100年200年の違いって、あるのかないのかわからないところあって、不思議です。現代で考えると、100年の違いって、すっごくあるじゃないですか。
あ、でも、今でもゴッホいいね、とか言ってるってことは、100年くらいって、実は歴史の上では、大した時間じゃないってことなのか。

色々考えつつ、長くなり過ぎなので、続きます。
今のところ、やっぱりよく覚えていて、ほっとしてます、笑。

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  1. 2020/10/05(月) 01:35:36|
  2. ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
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