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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

まさか、浮かれポンチが終末を語るとは(ジュー・スー・モンジョー―15カンタル その2)

2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その44

ジュー・スー・モンジョーJou-sous-Monjouのノートルダム・ド・アソンプション教会Eglise Notre-Dame-de-Assomption(2017年夏季は、9/18時、ノンストップのオープンでした)、続きです。

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一見、こんな面白くもなさそうな外観だったりするくせに、実はかわいいやつら満載なことは、前回の記事でわかっていただけたと思いますが、今回は、扉口から、内部の紹介となります。
扉は、南側に、ちょっと引っ込んだ感じに開いています。これは、後代の付け足しがあるから、引っ込んだようになっちゃっていますが、本来は、実にシンプルなスタイルだったのです。

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上の、黒い部分がオリジナルで、翼廊みたいな場所は、後代の付け足しのようです。
小さな礼拝堂規模の教会だったのですね。もちろん今でもそういう感じですけれども。それでもね、斜面の街道沿いに人が集まって、自然発生的にできた程度の集落程度の小さな村に、これだけの礼拝堂が作られた、ということは、やっぱり驚きます。この時代って、そういう教会が実に多くて、信仰の力というのか、必要性というのか、こういうタイプの教会ほど、そういった思いの集積、というんでしょうか。いわゆるバチカンが作り出すことになる「教会宗教」と違うところにあるものだと思います。
教会宗教になるにつれ、余計な翼廊なんかをつけちゃったりしがち、笑。

さて、トップの写真に戻りますが、扉口は、木で、補強のような構造物が付けられていました。2017年のことですが、一時的な補強なのか、または補修などがなされて、今はないのか、どうなのでしょうか。かなりきちんとした構造物でしたから、やはり半永久的な状態なのかな。

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若干、この構造物に邪魔されるのですが、ここのアーキボルト、絶対に見逃してはいけません。

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分かるでしょうか。濃いグレーの石で、楽しいやつらがニコニコと散らばっているんです。何だろう、この幸福感。

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ビスケットのお人形のような感じ、または道祖神な感じ?思わず、嬉しくなってしまうこと必至のフィギュアが、パラパラと。この感覚、ないですよ、なかなか。
嬉しい気持ちで中に入れば、さらに嬉しくなっちゃうことも必至です!

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白い切り石積みが、経年劣化しているタイプで、フランス的な変な整然とした感じではあるんですが、もうここね、前回同様、たまらんやつらがいるんです。

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どうですか、これ。

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浮かれポンチ(なんか死語っぽい…)にしか見えない人。何ですかね、この人。顔や体に横線が入っているのは、この前の教会でもありましたが、やはりしわなのかなぁ。ボディペインティングということもないでしょうしねぇ。それにしてお、この腹は…。

この柱頭の副柱頭にはラテン語が刻まれています。「Estote ergo sancti quia ego sanctus sum dicit dominus」とあるそうです。

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「私は聖だから聖であると主は言った」というような意味になるようですが、ごめんなさい、聖書のお言葉ですかね。
文字のトップには、小さな人物フィギュアが彫られていて、右手は膝に置き、左手は、身体の下から突き出した、長いカールした物体を握りしめています。

前後する上に、暗い写真で申し訳ないのですが、上にアップした浮かれポンチの右側が、こういう絵になっています。

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浮かれポンチがあまりに浮いているので、別なものだと思っていたら、どうやら、こちらも含めての場面のようなのでした。浮かれポンチは、左手で角笛を持っていますが、右手には、槍を持っていて、裸の猟師とあります。で、こっち側は、アブラハムの犠牲。

浮かれポンチは、まったくそうではなくて、しわしわの線彫りは、どうやらあばらの浮いたやせさらばえた状態を表し、角笛は終末のシンボルであるということで、最後の審判や終末を暗示する図像ということでした!
ひえぇ、失礼しました!

向かいにある一対の柱頭は、非常に技巧的なものとなっています。

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いやはや、面倒ですが、やはり調べないと、まったくわからないなぁ。それにしても、世界の終末を、あんないかれポンチみたいに描くというのは、謎の時代ですなぁ。
ただただきゃわいい~、と見ていたので、なんというか、大いに心を入れ替えて、やはりもう一度行きたいものだと痛切に思います。

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