2017.08.ミディピレネー及びオーベルニュはカンタルの旅、その96
ボーリュー・シュル・ドルドーニュBeaulieru-sur-Dordogneのサン・ピエール修道院教会Abbaye Saint-Pierre、続きです。

扉口、行ってみましょう。
これまで見てきたタンパン同様、なんだかすごいことになっています。遠目で見ても、「なんだこりゃあ」と自然とつぶやきが漏れるようなやつ、笑。

前回の記事で紹介した軒持ち送りに見られる、かわいさとか、独創性とか、得体の知れなさとは対極な感のあるタンパンです。石工さん、全力投球で、とにかくこのスペースを埋め尽くそうとするそのエネルギーからして、すでに脱帽。
こういうのを見ると、デザイン力というか、空間構成能力っていうか、高度な技術
を持つ石工さんには、考えられないほど多くの能力及び技術が求められたのだろうなぁ、ということが、よくわかりますね。一つ一つの独立したフィギュアを彫る軒持ち送りなどとは、全然違うものです。
ざっと言うと、タンパンは三つの部分に分かれていて、巨大キリストのいる部分が天上。全能のスタイルのキリストが、数えきれないくらいの数の天使や聖人に囲まれている状況です。

でもキリストは、堂々と、周囲の大騒ぎをよそに、ただどっしりと手を広げて座っていますね。変に写実的で、正直ちょっと怖い。プロポーションとかもすごくちゃんとしているから、写実性を感じるのでしょうね。

ね、ね。
鎖骨からあばらのくっきり度合とか、装飾的な髭の形はともかく、鼻の穴も含めて造作が全体にすごくでかくてくっきりしていて、こういう人いるよ、いる!というような顔とか、腕の筋肉のつき方とか、いや、怖いですよ、これ。っていうか、もう時代が、先に進んでいると思います。本当に正確にこれが彫られた時代ということではなく、この石工さんたちが、すでに先に行っていると思います。
つまり、私の好物ではないと、笑。
脇で、終末のラッパを吹いているのは大天使たちでしょうか。これもまた、八頭身の完璧なスタイルで、遊びゼロ。いじれません、これでは。

無理やりいじる必要はないですけれど、無理やりいじるとすれば、やはり、あるsペースにはめ込む必要があるので、この辺はすごくロマネスク的ですが、どうしても、変な格好になっちゃうということでしょうか。
ラッパの持ち方辛そうだし、左手は置き場がなくて、ぶりっ子女子みたいになっているし、上半身と下半身のポーズが、なんか変ですよね。こんな格好続けてたら、ぎっくり腰になりそうですよ。

使徒たちにも、その傾向はみられますね。
全体にシュッとして、
プロポーションには無理がないんですが、はめ込みの無理がちょっとあって、大事にカギを抱えたピエトロさんなど、おばさん走りっていうのか、なんかこう歩幅狭く腕を振って走るやつみたいなポーズになってませんか。いじり過ぎでしょうか、笑。
下二段は、地上と地獄とされています。
地上では、審判を待つ多くの死者、そしてすでに審判を受けたものたちが、怖そうな動物にやられています。え、これも、地獄に見えるんですけど。

地獄には、ヤマタノオロチみたいな、七つ頭のドラゴンが火を噴いていたり。

幻獣たちも、いかにも顔つきが悪いやつばかりで、可愛さのあるやつは、一人としていないですね。愛嬌なし。
同じようなテーマの他のタンパンとの違いは、ここでは、魂を図る場面が、きちんと表されていないとありました。そういや、そうですね。
簡単ですが、タンパンはこの程度で許し下さいね。
一気にやりたかったですが、扉口のその他の部分は、次回。
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- 2021/05/22(土) 18:19:16|
- ミディ・ピレネー・ロマネスク 31-81-82-46-12-48
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