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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

歴史の重層とコズマさんのコラボに感心しました(ローマ、サン・ロレンツォ教会その3)

2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その3

シリーズ開始直後から、いきなり停滞しています。
昨日、ワクチン二回目接種完了、いよいよ夏休みが本格的に身近に迫ってきているんです。でもね、ここに来るまで、実際どうなるかは分からなかったところもあり、なかなか本気で夏休みの計画しにくかったんですよ。さすがに3週間前くらいから、ちょっと調べだしたりしていたんですが、ここにきてにわかに本格化していて、今週などは、平日も夜間はホテル探しとかしておりまして、せっかくネット接続していても、なかなかブログの時間もなく、という状況です。
去年も似たようなものでしたが、今回の計画よりは、目的地がもっとシンプルだったんで、計画スタートは遅くとも、チャンチャンとあっという間に決めることができたんですが、今回、イタリア内でもかなり遠方に遠征すること、そして、目的地と決めたものの多くが、訪問の状況を確認する電話番号を探すのも大変、という苦行になっておりまして、なかなかかなり大変なんですわ。
ま、いつもの言い訳です、笑。

サン・ロレンツォ教会Basilica di San Lorenzo fuori le Mura、続きです。

前回、もともとあった古い教会部分について、書きました。その古い部分は、現在内陣となっているということなわけですが、今の教会は、そこから鼻面を相当伸ばしていて、オリジナルのほぼ倍の長さとなっているようです。

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こちらの床も、コズマさん一家の仕事のようですが、時代は新しそうで、すり減り方も少ないですね。
こちらは、ファサード側からの中央身廊。

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ちなみに、柱については、前回でも触れましたっけ?再利用ということは書いた気がしますが、このバジリカに並ぶ22本の円柱は、この近所にあり、中世辞典ですでに廃墟となっていたらしいコンスタンティヌスのバジリカ、つまり遺跡ですよね、そこからぱちって来たものだ廊です。それぞれ大理石ということなので、大変高価なものですし、ここだけのために作ろうとしたら、大変な作業となりますから、再利用というのはなかなか賢い選択です。
写真でも、実際に見た感じでも、識別できなかったと思いますけれど、大理石でも、グレーから白、黒、赤、また、いくつかについては、チポッリーノと呼ばれる種類の、おそらくグラデーションが入っているような大理石だと思うんですが、そういう多色のものだということです。

再び外に出ます。

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このたたずまい、何を思い出したかというと、まずはサウンド・オブ・ミュージックの、トラップ一家が逃げる途中で立ち寄った修道院内にある墓の場面ですね。ハッピーエンドとわかっていても、何度見てもドキドキするし悲しくなる場面です。その次に思い出したのは、スポレートの駅と町の間にあったと思う教会。なんかやはりナルテックスとかあって、こんなようなたたずまいではなかったか。当時は、中世関係、まだ駆け出しで、なんだか、スポレート始め、ウンブリア、再訪したいなぁ、としみじみ。

おっと、お得意の脱線。

まずは、右奥に見える鐘楼。
ちょっととってつけた感がありませんか。
それもそのはず、これね、オリジナルな町の防護壁の一部だったものらしいんですよ。
12世紀から13世紀にかけて、この近辺が要塞化され、壁と塔が建設されたようなのですが、おそらく地域の政治が落ち着いたルネッサンス期に、壁のほとんどは取り払われたのですが、その名残として、この塔が鐘楼として生き延びたということです。これも、長い歴史所以の姿、ということになりますね。

ローマは、誰でもがローマの遺跡を訪ねるために行く人がほとんどなわけですが、中世という切り口でも、ローマの跡やその後が見え隠れして、歴史の重層というか、どの時代の名残も余さずあるというのか、何度言っても、絶対に何かしら発見がある町だと思います。そういう意味でも、永遠の都なんですよね、間違いなく。

ちなみに、この教会、名称に、Fuori le Mura、壁の外という風になっていて、もともとローマ市の外にあったもののはずなんで、時期によって、もしかして、市外だけと、東京都下みたいな位置づけだったりしたのかしら。単純に壁のすぐ外だったのかな。

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位置はこういう場所です。この一帯は、かなり道がまっすぐな様子で、近代に発達した地域だろうな、とわかりますよね。この教会ができたころは、本当に何もない場所だったと想像します。墓とか、教会とか、カタコンベとか、そんな場所です。

さて、この鉄柵の中、ナルテックスとなりますが、ここ、かなり装飾がされているんですよ。

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13世紀のフレスコ画が、かなりびっしりあります。保存状態も良好です。
ローマって、南だし、夏の気温はかなり暑いのですけれど、海も近いせいなのか、湿度はミラノより低くて、朝晩はしのぎやすいのです。そういう気候が、フレスコ画にも良いのではないかと考えます。

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理路整然と絵巻物感がすごいですね。フィルムみたい。
13世紀といっても、最後の四半世紀、ほとんど14世紀にかかるくらいの時期のものだそうです。教会がささげられたサン・ロレンツォ、そしてサント・ステファノのストーリー、そして、皇帝エンリコ2世のストーリーが描かれているようです。

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雰囲気が、同じローマの、サン・クアットロ・コロナ―ティでしたか、あそこの素晴らしく色鮮やかなフレスコ画を彷彿とするところがあります。あそこの絵も、確か13世紀だったと思います。

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いかにも漫画的でわかりやすいこういうタイプの描き方がはやった時代があったのかな。いずれにしても、これだけ残っているのはすごいです。特に、完全な室内ではないわけですしね。
とはいえ、ここね、第二次世界大戦で、被害を受けたらしいです。ローマ、爆撃しちゃったんですねぇ、なんという大胆な。何百年何千年と生きてきたモノたちを、平然と破壊するなんて、やはり戦争はいかん、としみじみ思ってしまいます。

しかし、そういうものを復元する執念、欧州の文化はすごいものがあると思います。ここも、おそらく破片を保管しておいて、じっくりと復元したのではないか、と想像します。アッシジのサン・フレンチェスコが地震で壊れたときのように、どの砕片も捨てられることなく、ジグソーパズルのように、根気よく復元されていった映像などをご覧になった方もいると思いますが、そういう気の遠くなるような作業、当たり前のようにやる人たちっていうか。
石の文化ってことになるんでしょうかね。

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ナルテックスには、回廊同様に、石の碑文とか、こういった石棺も置かれていました。これは、6世紀のものだそうで、ブドウ狩りがテーマの、すごく粘着質な感じの彫り物が施されています。石棺にブドウ農家テーマっていうのは珍しい気がしますね。財を成したブドウ農家が、特注したということなのかな。

なかなか充実して、リベンジ大成功だった、と改めてファサードを眺めます。

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立派な構造ですよね、このポルティコ構造。これは、ローマあちこちで活躍したVassallettoの作とされているようです。この方、または工房なのかな、当時もっとも著名な大理石職人の一人。ローマの、特に巨大教会系には、ほぼかかわっているのではないでしょうか。
でね、これ見てて、おや、と気付いたんです。アーキトレーブのところに、美しい帯が走っているじゃないですか。その中に。

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パッと見、ありがちなコズマさんモザイクなんですが、ちょっとだけ、なにこれ!と思わずハート目になってしまうモザイクが見えたんですよ。

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かなりサイズは小さくて、この時オペラグラスを持っていたと思いますが、ここまでは見えませんでしたし、写真でも撮影できたか自信がなかったのです。でも、結構よく撮れてましたね。
金色が残っている方は、かなりキラキラしていたので、もしかして新しいものかとも思ったのですが、この残り方から言えば、やはりオリジナルなんでしょうね。コズマさんのモザイクは後付なんだと思います。

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コズマさんは、幾何学系のモチーフですから、残っているものを再利用して、うまくフリーズに仕上げたのかと思われます。にくいですね。これは、感激しました。

ということで、なんとなくこれ!という大物はないのですが、どのアイテムにも歴史の重層があるという、実にローマらしいという言える教会でした。

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  1. 2021/07/09(金) 18:35:39|
  2. ローマの中世
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