2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その5
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta di Anagni続きです。

上は、最初にアクセスした広場から教会を望んだ写真となります。手前に、今インフォメーションセンターとなっている建物があり、邪魔ですが、その後ろに後陣があることとなる位置関係です。
解説を読んでいて、この面について、「南西部分」とあり、あれ?となりました。上の写真で、左側に後陣があるとすると、この壁は北となるからです。改めて地図を確かめると、この教会、東後陣ではないのでしたよ。後陣はほぼ北向きで、ファサードは南、で、ここは南西向きとなっているようです。ローマ市内の教会などは、向きがかなりバラバラになっていますから、起原の問題、創建後の町の成り立ちの問題など、様々な理由で、後陣が東向きではないケースは結構あるように思います。とか言いながら、普段はあまり考えることもなく、自動的に東と思い込んでいるんですけどね。
方向感覚のある人なら、お日様の位置とか時間で、なんとなく方向が分かるんだと思いますが、私の場合、自信をもって堂々と宣言できる方向音痴ですから、解説を読んでなければ、ここだって完全に東後陣と思い込んでおりましたよ、笑。
さて、ということで、南西壁ですが、ここは、後代の手が最も入っていて、複雑な構造となっています。

上の写真で、白い構造物に囲まれて、鎮座している像が見えると思います。この像の下のあたりに、本来は、入り口があったようです。後陣側にも階段があったように、この広場と教会の関係は、緩やかな上り坂になっているため、この扉口前にも優美な階段があったようですが、19世紀になって壊されたとか。蛮行…。
さて、上の方に鎮座されているのは、法王ボニファチオ8世。14世紀の法王です。なぜ法皇様がアナーニに?と思いますよね。
ちょっと歴史を紐解きますと、アナーニは、一時、歴代法王が好んで滞在する保養地だったそうなんですよ。
もともと、先史時代から定住があったというアナーニは、気候的に優れていたことが、まず第一の理由だったらしいです。また、異教時代から、神聖な土地とされていたことで、ローマ帝国も、またその後のキリスト教も、その神聖さを尊重していたことも理由みたいですね。
そういうことから、往時のセレブの多くが、別荘を構える土地の筆頭でした。東京でいえば軽井沢的な?いや、那須御用邸的な?
そういう前提の中、1062年アナーニの司教に選ばれた同地出身のピエトロ・ディ・プリンチピ・ディ・サレルノが、それまでの古い教会を壊して、20年かけて、今あるカテドラルを建設しました。小さな町なのに、立派な教会を建設したのは、立地や気候の良さから、そこに至るまで、ローマ以降も、ゴート、ビザンチン、ロンゴバルド、フランクなど、多くの民族の支配を受け続けてきたことから、いざというときには住民が逃げ込めるだけの規模のものを作るという意図からだそうです。
ピエトロさんの話は、追って続けますが、ここで触れたかったのは、法王のことです。そんなわけで、12世紀から13世紀にかけて、歴代法王の多くが、ここで時間を過ごしたのですが、この、今鎮座されているボニファチオ8世が、どうやら襲われるとか事件に巻き込まれたそうなんですね。そのために、ここで滞在した最後の法王が、このボニファチオさんだった、ということらしいんです。
実際、どういう構造だったか、よくわかりませんが、上の写真で、右側にある後陣のような円筒形の部分の下には、当時のメイン扉の装飾らしきものが。

朽ちちゃって、見る影もないやつらですが、こんな人たちがファサードまもっていたということは、チャーミングアイテム満載だった可能性ありますね、オリジナルは。そういや、後陣の上の方にも、愛らしいやつら並んでたしね。だとしたら、失われてしまったのは、残念ですが、法王たちが次々来たということは、それだけお金も落ちて、だから色々手を入れてしまったんでしょうねぇ。痛しかゆし。っていうか、ロマネスク的には、どうなんだろう?
そして、回り込むと、この何とも地味なファサードに出会います。

建材には、これ以前の教会のものなども使われているようです。まぁ、おなじみなことですね。石というのは、本当に劣化しないんですね。
真ん中の扉に注目です。地味ですけどね。

これは、マトローナの扉と呼ばれていて、でも意味不明なんですが、笑、アーチへの装飾的帯、平面化した浮彫技術で実現されたもの。古典的な芸術的モチーフ及びビザンチンの影響を受けた要素が使われている、と。拡大すると、意味がちょっと分かるかな。

アーキボルト、二重に美しい浮彫が施されていますね。そして、内側の色違いの石によるアーチも、かなり好みです。
で、右側の下にね、私もみんなも大好きな人たち…。

めっちゃいいですよね、このお二方。これ、先ほど出てきたピエトロさん絡みのものなんですって。
カテドラル建設中のピエトロ司教。馬車、いや、牛車で移動中に、オオカミに襲われて、牛がピエトロを守るために、八つ裂きにされちゃったんだそうです。ピエトロさんは、怒って、その後オオカミに車を引かせたということになっているんだそうです。

これら浅彫りって、過去のものなんでしょうけれど、組紐とか、お干菓子系のやつ、すごくきれいにされていて、うっとりです。
それにしても、牛車って、優雅な感じ。一方で、八つ裂きとか、オオカミ車とか、なんかこういう伝説って、激しくて面白いんだよねぇ。何て言っては不謹慎ですけれども。

ファサードの前には、完全に離れて、でっかい鐘楼が堂々と建っています。

壮大だけど、ロマネスクの典型的な開口部の工夫によって、優美です。五層で、一番下の開口部が一連、そして二連、上部は三連。三連は、微妙に幅が違うんですよね、それで、塔全体が軽快に、ほっそりと見えるようになるんですね。本当に繊細ですごいもんだと思います。

カオルレの円筒の鐘楼と同じような位置関係かと思いました。こういうのが、なんでこういう位置関係なのか、よくわからないんですが、結構あるような印象。イタリアは、鐘楼と本堂は一体化しないことの方が多いし、置かれる場所が結構フリーダムですね。
外だけで2回もやるとは。脱線多すぎなせいですね…。
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- 2021/07/16(金) 18:18:58|
- ラツィオ・ロマネスク
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