2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その7
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta di Anagni続きです。
待ちに待ったクリプタの見学です。が、その前に、ひと悶着。というか、大失敗。というか、やっちゃいました。
本堂から地下に降りると、左にクリプタがあるのですが、まだ私の予約時間になっていないため、待ち時間に、右側にあるスペースを見学します。

サン・トマーソ・ベケット礼拝堂La cappella di San Tommaso Becketです。
地味なスペースですが、読みやすい解説があったので、うんちくを。
このトーマス・ベケットという聖人、結構あちこちで目にしますし、なんせ名前が明らかに英人なもので、ラテン系の名前の中では目立つので、目に留まりやすいです。当初は、ベケットって、なんか作家がいたなぁ、なんで聖人?とか思っていたくらい、私の頭の中では、なんか浮いている名前でした。
お名前通り英人で、ロンドン生まれの方で、カンタベリーの司教でした。
カンタベリーは、若かりし頃に英語学校に3か月通った思い出深い場所で、カンタベリー大聖堂も、毎日その脇を通っていたこともあり、なんとなくその名前を聞くと、ノスタルジックなふわふわに包まれます。
その時の滞在は短かったのですが、カンタベリーで仲良くなったイタリア人女子との縁が、今のイタリア暮らしにつながっているとも言えるので、そりゃまぁ、ノスタルジーというか、思い出にくらくらしてしまうような町なんですよね。そういえば、カンタベリー大聖堂を訪ねてきたダイアナ妃にも遭遇しました。っていうか、聖堂の出待ちをしたんですけどね。当時からミーハーだった、しみじみ。
でも当時は中世なんて、まったく興味がなかったので、実質4か月くらい暮らしたのに、ちゃんと聖堂を訪ねたのは1回だけ。なんと勿体ないことをしたものか。その後、一度は再訪したいと思いながら、いまだに果たせていない自分だけのお約束です。
おっと、思い出路線の脱線。年寄りくせ~。
そのトマス・ベケット、そのカンタベリー大聖堂で、頭を剣でかち割られるという非常に激しい殉教をした方なんですが、その死からたったの二年後の1173年2月2日、アナーニ近くのSegniという町で、時の法王アレッサンドロ3世が列聖したのだそうです。そしてまた、1174年4月に、同法王による正式な献納を受けるために、新しいカンタベリー司教がこの地を訪問。その際に司教は、殉教者サン・トマスのレリックを持参し、それは、現在宝物館に収められているそうです。
そういう地域的な偶然もあり、この辺りでは、この聖人信仰が根強いそうです。
で、やっと話がもとに戻るんですが、その時も、おそらくこの礼拝堂が、何らかの儀式に使われたのではないか、ということらしいんです。
で、さらに先に戻って、オレが何をやっちゃたかと言いますと、撮影ですね。
博物館入場の際に、地下はすべて撮影禁止ですからね、よろしくね、と念押しされたんですよ、確かに。でも、ここに至るまでは禁止じゃなかったんで、この礼拝堂に入った時、何も考えず、いとも自然に撮影を始めてしまいました。
で、数枚撮った後に、おそらくどこかに撮影禁止と書いてあったか、または、その念押しを思い出したか、あ、もしかすると、礼拝堂内に、カメラがあったかもしれません。それで、もしかしてやばいかも、と慌ててカメラをカバンに閉まったところで、係員が、文字通り駆け付けてきました…!
これにはたまげましたね。
撮影禁止に気付かず撮影して、怒られたことは北部で一回ありますが、それ以来の激しい対応でした。いや、駆け付けてきた方は、非常に穏やかに、撮影禁止と言いましたよね、と、怒鳴られるような状態ではありませんでしたが、かなり怒っている様子はあらわでした。ちょうどカメラも閉まったところだったし、そうだそうだ、礼拝堂内には撮影禁止の表示もなかったんですね、で、いや、禁止ってうっかり忘れてて、今、カメラ封印したところで、とかなんとかへどもどしながら、大汗で言い訳して、恥ずかしかったです。
お兄さん、ぷりぷりした様子で戻っていきましたけど、カメラでちゃんと見てること、そして、秒速で走ってきたこと、驚きました。でもカメラで監視しているなら、撮影くらい許してくれてもいいんじゃないか、このソーシャルの時代に、とは思います。今もまだ禁止なのかなぁ。
また、話を戻します。
この礼拝堂、非常に縦長、ウナギの寝床状態の4x14メートル。異教時代の寺院、おそらく、ローマ時代の古代寺院が起源と考えられています。ドーム型ヴォルトでおおわれ、内陣エリアの中央部にはプリミティブな祭壇があり、その周囲は石の腰掛となっています。床は入り口に向かって斜めになっている、とあるんですが、もしかして、祭壇で生贄とかそういう儀式をやってた名残だったりするのかしら。
上の写真でも分かると思いますが、壁や天井の全面を覆うフレスコ画は、かなり傷んでおり、それは、このスペースが長年にわたり、聖職者の墓地として使われていたことによるようです。単なる地下室扱いで、ケアされなかったということなんですね、きっと。まぁ、とんでもない派手なクリプタが目の前にありますから、どうでもよかったのかな。とはいえ、1999年にフレスコ画が修復され。一部はそれなりの美しさとなっています。でも、傷み具合を考えると、修復なのか、限りなく再建に近いのか、若干疑問は残ります。

祭壇後ろの壁は、中央部に、玉座に座ったキリスト、その右手に聖母と二人の聖人、左手にサン・トマーソ・ベケットと他二人の司教。
お顔が、一筆書きみたいにシンプルでかわいいので、ちょっとアップしてみますね、キリストと聖母。

右壁の、一並びは、一連のベネディクト派の聖人たち、サン・シルベストロ、サン・グレゴリオ、サン・レミージョ、サン・レオナルド、サン・ベネデット、サン・マウロ、サン・ドメニコ・ディ・コクッロ。これらの近くに、サン・クリストフォロの巨大な姿。
サン・クリストフォロは、大抵縮尺が他のフィギュアと違うので、見た目でわかりますが、他は、名前が記してるのかな。

同じ壁だと思うのですが、これは十二使徒と思われます。

おそらく傷みが相当激しかったと思うのですが、天上のヴォルト部分には、創世記のストーリー。闇から光が生まれるシーンから始まり、アダムとイブの創造、原罪、楽園追放、カインとアベルなどが描かれている。そして、父祖アブラハム、イサクの犠牲、そしてヤコブのストーリー。このヴォルトは、すべて一人のマエストロの手によるものと考えられているそうです。
左壁には、新約聖書の場面。受胎告知、お誕生、マギ、教会献納などがみられる。入り口のわきには、信者が礼拝堂を出る際に正面に見るところだが、左側に最後の審判、右側に謙譲と傲慢を表す寓意画。

これはどこにあったものか、不明。やけにはっきりしていて、ここだけは漆喰のおおわれていて無事とかそういうのなのか、または確信犯的に上塗り再建か。
正面のすっとしたマリアちゃんたちとは違って、ねっとり系の再建くささがあります、笑。
「ここのフレスコ画は、クリプタとさほど変わらない時代のものだが、作者の手はかなり劣る。しかしながら、その芸術的な教育の高さを語るものはあり、純粋かつ民衆の想像力を物語るものがある」とか言っちゃってる研究者もいるそうです。確かにね、若干いい加減感はあふれているけど、そして時代は下る感もあふれているけど。
ハプニングもあり、なかなかクリプタにたどり着けませんねぇ。
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- 2021/07/20(火) 22:15:15|
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