2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その8
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta di Anagni続きです。
係の人に怒られたりして、ちょっと情けない気持ちで待っていたら、やっと自分の予約時間となりましたので、クリプタに入りました。前回記事を見ていただくと分かりますが、こちら、撮影厳禁ということで、とても残念です。
本からの写真なので、あまりよくないですけど、クリプタ、こういう状態です。すべての壁面、ヴォルトはフレスコ画でおおわれ、床面はコズマさん大活躍のモザイク。「贅を尽くした」という形容がぴったりくるクリプタです。
もともと、秘密の場所にアクセスがあったと考えられているようです。というのも、往時、教会の宝物を置く場所でもあったため。ということは、限られた人しか入ることができなかったということになりますから、地下礼拝堂、という位置づけではなかったのかな。
サイズは8x19メートル。普通のクリプタを想像すると、ちょっと違うな、という広々感です。天上も高いし、クリプタらしさが薄いです。
三身廊に分割され、二列の円柱で分割されており、それら円柱はアーチを支え、21のヴォルトを支えています。すべてのスペースにびっしり、というのがなんかすごいですよね。空間恐怖なアラブ的勢いです。
これら写真は、古色蒼然な雰囲気ですが、実際は、色もかなりはっきりしていて、正直うるさいくらいですが、クリプタだけあって、うすぼんやりとしているので、うるさいながらも、ある程度の落ち着きは得られるかな。いや、私には、かなり過剰でした。
建築的な構造から、このクリプタと上の教会は、同時期に建設されたものとわかっているそうです。実際、教会建設の指揮をしたピエトロ司教が、このクリプタに、多くの聖人のレリックを祭ったとされています。サン・マーニョのレリックを中央祭壇に、サンタ・セコンディーナ、アウレリア、ネオミシアのを左祭壇に、そして、多くの殉教者のレリックを右祭壇。それだけのレリックを集めたということは、やはり力のある司教だったということなんでしょう。
床モザイクは、創建に遅れて1231年に、当時の司教アルベルトが、なされたということで、ピエトロさんの時代にはなかったようです。
ローマ地域には、このコズマさんモザイクが実に多いのですが、特に床の幾何学装飾は、かなり好きです。最近は、ハンコのモチーフとして、色々な図案を研究しているのですが、実際の図案をコピーしたりアレンジしてみると、その優れた装飾性がますます魅力的に感じられます。
壁面を覆うフレスコ画はこんなことになっています。
正確な年代を特定するのは難しいとされているようです。フレスコ画って、実際、どの時代のものでも、碑文や文書への記載など、明確な手掛かりがない以上、年代特定は難しい、いや、ほとんど不可能であるということは、聞いたことがあります。また、古いものであればあるほど、かなり修復だったり加筆だったりということも施されているために、さらに難しくなるのだと思います。
ここでは、研究者によって、二つの説があるのだそうです。どちらの説にも共通するのは、三人のマエストロがかかわっているということ。上の図の三色は、その三人の作品を色分けで表しているのです。
説1は、すべて1250年代ごろ。往時の司教が、ベネディクト派の三人のフレスコ画職人を呼び寄せたという記録があることに基づいた説。
説2は、そうじゃなくて、絵画装飾は、少なくとも二段階、二つの異なる時期に行われたもので、それぞれの隔たりは130年ほどあるという説。最初の時期、つまり、教会創建当時にされたものと、その後1230年ごろになされたものがあるということです(説1が有力らしいです)。
これは、入ってすぐの場所、上の図でいえば左下にあるもので、最初のマエストロによる作品です。
他のマエストロの作品と比べると、なんとなく時代が遡るような、ビザンチンとかの影響とかもあるような、なんかそんなことから、素人目には、説2押しとなります。これだけの規模のクリプタで、レリックまでかき集めたピエトロさんが、創建時に、何らの壁面装飾もしなかった、というのは、なんとなく違うような気がするんですよね。こういった装飾についても、きちんと段取りして、最初から決めていたのじゃないかと。
実際、この絵のテーマが、ピエトロさんを反映したものとされているので、その方が矛盾ないように思えますしね。
これね、ヒポクラテスとガレーノが宇宙の四要素について対話している図。なんかいきなり、来た~って感じしませんか。
この周辺に、ヒポクラテスによってあらわされて創世の理論の絵があります、この上のやつがそうだと思います。そりゃそうだ。宗教と、理論的な科学的な哲学っていうか、なんか相反するようなものの融合?
このマエストロ、宇宙というマクロコスモス、そして、人というミクロコスモ(上の写真)を表現するのに、プラトンの文Timeoティマイオス(宇宙創造から人類の誕生までを物語る壮大な書作)を使ったとされています。その本は、4世紀にカルキディウスCalcidioによってなされたラテン語翻訳によって、中世期にかなり広範囲に読まれており、非常に有名な著作だったんだそうですよ。
もうこの辺りの解説で、普段めったに解説なんか読まない私はぶっ飛んじゃいました。普通にクリプタでフレスコ画見て、プラトンとかヒポクラテスとか出てくると思わないじゃないですか。ディオマイオスなんて本、人生で初めて聞きましたよ、情けないですけど。そんでもって、すでに4世紀に、ギリシャ語からラテン語に訳す人がいて、当時から多くの知識人が読んでいた、という事実に愕然とするとともに、日本語でネット検索したところ、この翻訳本がきちんと日本語に翻訳されていたり、カルキディウス研究している人がいたりする事実に、さらにたまげた次第です。学問の世界とは、すごいものですねぇ。
ちなみに、なんでこんなテーマのフレスコ画があるかというと、もともとサレルノの学校で医師であったピエトロ司教が発注したのでは、ということなんですが、だとすると、やはり時代が遡るんじゃないのか?よくわかりませんね。
ちょっと脱線しますと、このピエトロさんってね、なかなかの人物。
将来法王グレゴリオ7世になるイルデブランド・ディ・ソアナIldebrando di soana付きの司祭だったのですが、その将来の法王が、その総務担当として、ローマに帯同したがったらしいです。つまり、切れ者だったのですね。
その後、前の記事でも書いたかもですが、アレッサンドロ2世により、1062にアナーニ司教に任命されます。それで、カテドラル建設をすぐに決めたわけですね。その資金調達のために、オリエントへの旅も辞さない勢いだったとあります。
どういうことかというと、1071年、法王の代理として、コンスタンティノープルへ最初のミッション。その際、医療の勉強経験を生かして、皇帝ミケーレ7世の病気を治したんだそうですわ。その翌年アナーニに戻った時には、皇帝から多額のお金を受け取り、それをカテドラル建設に生かすことができたということらしいんです。金儲けのために行ったわけではないのかもしれませんが、バチカンに尽くすことで、多くの予算を分捕ろうとしていたかもしれませんよね。
1097年には、十字軍にも参加しているようです。戦う司教ですな。精力的ですごいし、そのくらいの人じゃないと、カテドラル建設なんてできないのかもね。
長い脱線でした。
マエストロの話に戻りましょう。
最初のマエストロは、フレスコ画の大部分を描いたとされています。色分け図で、水色になっている部分が、彼の作品とされています。後陣、そして対面にある身廊のヴォルト、さらに中央身廊のヴォルトなど。12世紀のローマの絵画との関係性が顕著で、中世初期の傾向が見られるということです。
上は後陣の黙示録です。
おなじみの24人の老人軍団。羊に向かってかぐわしいグラスを高々とかかげています。
これは左の祭壇になります。聖母子、ビザンチン入ってます、風です。
二番目のマエストロは、装飾専門絵師、と呼ばれているとか。装飾的な内容は素晴らしいが、人物像はどうかというタイプ。1200年代初頭のローマ絵画に造詣があり、ほぼ間違いなく、サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラのモザイク作業を行った折、ビザンチン文化のあるベネチアの職人と働いた経験があるとされているそうです。
下は、この人の作とされている聖櫃のストーリーです。
ヴォルトに丸く描かれていますので、もう半分はこちら。
確かに装飾アイテムがすごくて、きらびやかな絵です。人物像はいまいち、ということですが、どうですか。視線が泳いでたり、どの人も同じような様子だったり、定型的すぎるとかそういうことなのかしらん。ヘタとは思いませんけどねぇ。
三番目のマエストロは1200年代前半の人で、自然派的なテイストを持つ方。すでに、ルネサンス期初期のチマブエやジョットにも通じる新しい技術や表現力を発揮していると。1228年に、スビアコのサクロスペコで働いたと同人物であることは間違いないということですから、かなり特定できているのですね。
ほんの見開きの写真なんで、ちょっと変ですが、四人の聖人。
確かに、相当時代が来てるなって様子がありますよね。
まとめると、フレスコ画のテーマは、四つ。
世界と人の創生、サムエレ記にある聖櫃のストーリー、黙示録(主祭壇の周囲)。
四つ目のテーマは、地域の聖人伝説に割かれ、その犠牲をいとわない姿を描いています。地域の聖人に触れるというのは、なかなか憎い選択ですよね。
こんなところで、許されたし、自分。もうちょっと写真あるんですけど、どのマエストロで、内容はどうで、という解読が結構大変な作業で、もう無理…です、笑。
このくらいの知識を、訪問前に持てると、見ることがもっと楽しく奥深くなるだろうと思いながら、書いてきましたが、一方で、事前にあまり知識を持ちすぎて、そういう前提で見てしまうつまならさもあると思うので、やっぱり現場主義に徹して、できれば後付で少し勉強して、かなうならば再訪をするのが、わたし的には理想の楽しみ方となるかと思います。
それにしてもこのクリプタ、一回入ると、確か20分だったか30分だったか時間くれるんですけど、撮影もできないし、知識もないですし、そんなにいられるものじゃなく、確か10分強でさっさと出てしまった気がします。
出る前に、少し展示があります。
コズマさんのモザイク。ほんと、図案の参考になります。
このロンゴバルドらしい彫り物は、かつてあった説教壇の一部というようなことだったと思います。素晴らしいものだったんでしょうねぇ。
でも、下のは、ちょっとヘタじゃないかい?
そんなわけで、かなり長くなってしまいましたが、アナーニ大聖堂、これでやっと終了。やはり見所の多い教会だったということですね。時間をやりくりして、頑張って行った甲斐があります。
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2021/07/23(金) 14:11:50 |
ラツィオ・ロマネスク
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