2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その21
サンタ・サビーナ教会Basilica di Santa Sabina、続きです。

前回の記事にも書きましたけれど、到着した時、おそらく結婚式が終わって、新郎新婦が出てくるのを待つ人々で、入り口には人だかりがしていて、とても仲に入れる状態ではありませんでした。
しばらく待っても、簡単には人がはけそうになかったので、人込みをかき分けて、木製扉の装飾を見に行ったうえ、周囲の教会、この界隈、狭い範囲に、いくつも教会があるんで、そちらの方もぶらぶらしたんですが、なんとなんと、どの教会も結婚式ラッシュ。
以前来たときは、人っ子一人おらず、警備の人に半分強要される状態でのぞいた、バチカンのクーポラが見えるという鍵穴も、なんとなんと、長蛇の列ができています。
どこもダメなんで、仕方なくサンタ・サビーナに戻りましたが、相変わらずの人込み。どうやら、前の結婚式は終了した模様ですが、すでに次の結婚式の準備中という様相です。
もうこれは仕方ない!と入り口前の人込みを強行突破しました。

各種ミサがあると、見学が厳しくなることもままあるわけですが、唯一ありがたいのは、明りが煌々とともされていることですね。
ここは壮大なバジリカ式なので、窓からそれなりに光が入る構造にはなっていますが、それでも、冬でお天気が悪いとなると、本来なら真っ暗状態ですが、この日は、結婚式ラッシュですから、明りはつけっぱでしょうね。隅々までよく見えます。
それにしても、これだけのラッシュだと、お花は同じだろうと思うので、教会にとってはありがたいことでしょうね?下世話な視点…、すみません。
さて、どうしても入っときたかったのは、再会したい方々がいるからです。

内陣を取り囲むスコラ・カントラムSchola Cantorumです。
次の結婚式の準備に余念のないパードレが祭壇におり、多少のためらいはあり、一応撮影良いかどうかだけ聞いたら、どうぞどうぞ、ということで、安心。でも、次の結婚式が始まりつつある様子はひしひしと感じていましたので、あわただしく見学せざるを得ませんでした。

非常に装飾的な彫りものがずらりで、再会とはいえ、興奮します。この十字架に波的モチーフは、ベネチアはムラノ島の教会外壁にはめ込まれたやつと似ていますね。ニョロニョロみたいのが、かわいいなぁ。
十字架バリエ、たくさんの組紐とかお干菓子文様とか、好きすぎて悶絶状態です。

保存状態は、ものによるのですが、良いものはかなりよいです。
実はこのスコラ・カントラム、16世紀に取り払われてしまったもの。その際、本来置かれていたチボリオも、同じ運命をたどったとか。

結構近代と思いますが、中世に戻そう運動というのがイタリアでは結構あったようで、内装ではバロック期のキラキラをはがした場所が多いのですが、ここでは、あちこちからオリジナルを探し出してきて、一部再建を交えて、今ある状態に戻したということです。

保存状態の良いものは、どこか屋内に置かれていたりしたのでしょうし、悪いのは、普通におにわとかに置かれていたのかもしれませんね。16世紀あたりは、ブイブイ言わせて立派なお屋敷を立てた一族も多いでしょうから、こういうマテリアルは、それなりに人気があったのでは、とか勝手に思ったりしています。個人的には、こんなものをお部屋の区切りとかに置ければ、素敵よねぇ、とうっとりしちゃいますね。

かがんで撮影しつつ、上を見上げると、開口部も素敵なんですよ。これって、起原とかよく覚えてないですが、ちょっとオリエントテイストも感じて、好きなやつです。

急ぐとなると、必要以上にアワアワして、あっちこっちに目線が泳いじゃって。
最初に入った時は、あまりに壮大でがらんとした空洞感ばかりに気を取られちゃうところあるんですが、こうやってディテールに注目すると、その壮大さを忘れて、また戻ってきたい教会の一つになったりするんですよね。

でもこういう教会は、維持も大変だと思うし、なんせ、近所にたくさん教会がある以上、信者獲得競争みたいのもありそうだし、笑、生き延びているのは、やはりバチカンのおひざ元、ということも大きいのかもしれないですね。どうなんだろうな、その辺。
いずれにしても、10年足らずの間に、扉が立派に扱われるように変貌したことは、有難い措置だったと思います。
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- 2021/09/19(日) 12:36:02|
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