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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

お初のクリプタ(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)

2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その23

アヴェンティーノAventinoの丘を、斜面に作られた遊歩道で一気に降りて、テヴェレ川のほとりに出ます。昼時でもあったので、川向うのトラステヴェレでランチをしようと思ったのですが、ここに来たなら、やはりあそこは寄りたいな、とテヴェレを渡る前に寄り道。

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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会Chiesa di Santa Maria in Cosmedinです。この特徴的な優美な鐘楼が目印。
あ、多くの方にとっては、真実の口の方が有名だと思います。ナルテックスに、あの真実の口がある教会です。

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ローマを訪れる旅行者のほとんどは、ローマ遺跡とか、ローマの休日ツアーで、教会は、観光スケジュールに組み込まれているから来る程度のことだと思うので、別にいいんですけども、この教会はおそらくその最たる例というか、目の前まで来ても、教会に入る人はほとんどいないという。
あ、それでも、真実の口まで来る人の数が半端ないから、そうはいっても、他の教会に比べると、いつでも人がいるのは確かですね。ブックショップもにぎわっています。
中世的には、とても良い教会なので、真実の口のついでに入るような人には、正直入ってきてほしくないと感じてしまいます。うるさいし、良い写真も撮れなくなっちゃうし、明らかに何にも興味ない人が多いし。
とはいえ、もしかすると、昔の私がそうだったように、ここにきて、「教会なんて辛気臭いし、観光的ルーティンとして来ただけだけど、あれ?ここは何か好きな気がする」、とか思う人が、いる可能性もあるし、そうやって中世ファンが増えるかもしれない、と思うと、来るな、とも言えないというか。
いや、どういう立場の発言か不明ですが、笑、とにかく、教会に来ようと思ってきたわけじゃない訪問者が多いということが言いたかったのです。

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スコラ・カントラムがかなり本堂にせり出している古いタイプの教会で、随所に古い構造の遺構がいられて、なかなか見所が多い教会です。

で、これはちょっと記憶になかったんですが、クリプタがあったのですね。勘違いかもしれないので、念のため2009年のローマの写真を確認したところ、やはり写真はありませんでしたので、当時はアクセスできなかったんだと思います。
やはり、訪ねるもんですよね。もうけた気分になりました、笑。

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アドリアーノのクリプタCripta di Adriano

暗いし狭いし、見学者が次々と来るし、撮影には向かない場所でした。古いのだけが取り柄的な状態でもありましたしね。その上、係員がいたので、ちょっと尋ねたいのですが、と声を掛けたら、「うるさい」と言わんばかりの態度で、すべて説明版に書いてあるからそれを読め、と邪険な対応でした。うーん、さすがローマ。黙ってても観光客来るから、ダメですねぇ。

そういえば、いつだったか、姉と旅行した時にも、トレヴィの泉とかに近いかなりの街中で、こういうクリプタに遭遇したことがありました。そのかなり前に、おそらく2009年の旅の時でしょうかね、博物館で見たフレスコ画が本来あったという教会だったと思います。ここだったんだ、と感動したことを覚えています。
こういう、現場の担当者の態度は旧態依然感が強いとはいえ、ローマ市としては、地道に発掘して地道に開放して、ということを連綿と続けているのだろうなぁ、と思うと、それはやはり大変なことだし、こうやって見せていただけることに関しては、感謝以外ありません。

それにしても、古い都というのは大変なものですね。二千年だっても、まだ色々出てきちゃうわけで。ここを掘れば絶対に何かが出てくるけれど、色々な都合で発掘できない場所も、きっといっぱいあるはずで。ローマって、やはり魅力的だなぁ。

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さて、このクリプタ、法王アドリアーノI世(772-795)の時代に作られたもので、凝灰岩の岩盤をくりぬいて作られた、いわゆる洞窟教会みたいなものだったようです。良い写真がないのですが、その凝灰岩Tufoの岩肌が、いくつかの部分で今でも確認することができるようです。
この凝灰岩は、昨年回ったラツィオ一帯に多くあり、非常に丈夫なので、その岩盤の上に立つ多くの町村では、くりぬいた地下都市を作った過去があったことを勉強しました。ローマでも、そうだったとは知りませんでした。

クリプタは小さな教会の体をなしており、再利用の6本の小円柱が、左右に三本ずつ並べられて区切られた三身廊となっています。円柱には、基部がなく床に直接、かなり深く刺さっている構造ということです。上部に置かれた柱頭は、トラバーチンという石灰質の石だそうです。トラバーチンとは、ローマ郊外のティボリ、この夏に訪ねましたが、ティボリ産の石灰石というのが名前の由来だそうで、ということは、あのあたりに石切り場があるのでしょうね。

クリプタの最深部には、ローマ時代の石柱を再利用した祭壇が置かれた後陣となっており、ここにはサンタ・チリッラSanta Cirillaのレリックが収められているそうです。チリッラさんは殉教聖人みたいですが、彼女以外にも、多くの殉教者のレリックが収められていたようです。というか、どうやらそのために作られた構造らしいです。

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壁の、こういうニッチ構造が、それだったのかも。よくわからないけども。

クリプタは長年放置されていましたが、1717年にふたたび開けられ、その際、今使われている内陣向かって左側のアクセスが作られました。伝説によれば、クリプタの後陣後ろに秘密のトンネルがあり、それがアッピア街道にあるカタコンベのある古い教会にまで通じていたということ。ううん、そういうのはロマン。
ローマの地下には水道も流れているはずだし、地下通路、あっても不思議じゃないですよね。他の町村の状況からいっても、実はかなり広い範囲で地下都市があるのではないでしょうか。

では、本堂に戻り、古い構造との再会。

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新しい壁に覆われて、古いものがチラ見えしてます。
これね、ファサードの裏側なんで、実際どういう風になっていたものか、ちょっと想像つかないんですが、すっごく素敵なもの。

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でも実は、後陣にある開口部もおそろいの装飾。

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ということは、ファサード側にも開口部があって、あそこからうっすらと日が差すような構造?ファサードに開口部あることあるけど、こういう装飾っていうのは珍しいですよね。

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古色蒼然とした雰囲気の後陣フレスコ画。もともとこういう感じだったかもしれないけど、今ある絵はかなり新しい感じです。

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脇の後陣もね、こういうの。とにかく開口部装飾押し!
そして、全体の古び感が、とても落ち着く。

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大好きな、ファサード扉周りの浮彫にも再会してきましたが、写真はなし。前回、馬鹿みたいに撮影したし、真実の口の順番待ちで、いつも大混雑なんで、この時はうんざりしちゃったんだよね。
でも、クリプタ見られたし、ラッキーでした。

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