2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その24
ローマって、犬も歩けば遺跡&教会にあたる状態の町なんですよね。こんな面倒なところが、よくぞ途中で放棄されずに、現代まで続いてきたなって感心します。
石造遺跡は壊すのも大変だし、いっそちょっとずれたとこに新市街作ってこうよ、となっても不思議はなかったと思うんですが…。
考えると、イタリアは、そうやって、古い町の中心を動かすことなく、現代の町になっているケースが多いです。旧市街が山の上とか特殊な状況であれば、ふもとに新市街ができるケースはありますが、そうでない場合は、中心部から離れる形、つまり郊外に広がりこそすれ、町の中心はあくまで古い町の中心と一致しています。
それが例えばスペインだと、結構旧市街と新市街が分割して発展したりしているケースが多いように思うんです。
旧市街は旧市街で残っているけれど、新市街は独立して発展して、普段の生活の中心になっているような感じっていうんでしょうか。バルセロナとか想起すると、旧市街はほとんどツーリストの町で、住人のほとんどは新市街で生活しているイメージ。
あ、いきなり脱線しています。
何が言いたかったかというと、笑、アヴェンティーノの丘を下りて、本来はランチのためにトラステヴェレに向かうつもりだったわけですが、まずサンタ・マリア・イン・コスメディンにつかまり、そしてここまで来て、ふと目を上げると、また見えちゃうわけですよ。

遺跡と教会のセットですなぁ。
わたしの目的、というか、ついふらふらと脚を向けてしまう先は、後ろにある鐘楼の方です。なんせ徒歩で5分もかからない距離ですからね。別に寄り道する理由はなくとも、やはりつい寄りたくなっちゃうわけです。

サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会San Giorgio in Valabroです。
そういえば、前に来たときは、結婚式で入れなかったように思い出し、今は亡きホームページの内容を探してみました。せっかくなので、そのまま掲載します。
「4世紀のジャーノ門の向こう側に見える鐘楼が、この教会です。12世紀ごろ建てられた美しい五層の塔で、このジャーノ門と、時代を超えてマッチしています。
Velabroとは、沼を表すエトルリア起源の言葉なので、沼地に建つサン・ジョルジョ教会ということになります。昔はこのあたりまで、テヴェレ川の水辺になっていたのでしょうか。氾濫も度重なり起こり、そのために、床が何度が持ち上げられたと言うことです。
オリジナルは、5世紀ごろに遡りますが、数世紀にわたって、度重なる改築修復が
なされてきましたが、20世紀にはいってからの修復で、近現代になされた無駄な付け足しなどがすべて取り払われて、中世およびオリジナルに戻されたようです。
内部には、7世紀ごろの壁、シンプルな円柱、フレスコ画、また、12世紀の祭壇、13世紀の後陣半球部分のフレスコ画(当初ジョット作と感がられていたものですが、今ではカヴァッリーニ作とされているもの)などがあり、長い歴史を物語るものとなっているようですが、残念ながら、訪問時は結婚式の真っ最中で、入り口に近寄ることすらできませんでした。」
やはり、入れていませんでした。あ、でも、その後にローマ行ったときに、無事入っていて、結構細かく撮影しています。左の項目から2014年5月にアップしたものを選択してくださると、過去記事が出てきます。2014年のイースターに旅をして、なんと当時は、それを翌月アップできていたのですね。我ながらめちゃくちゃ感心しました…。
それにしても、ブログ初期はきちんと調べたことを、きちんとホームページにしていて、えらかったな、オレ、と感心しました。他の教会についても、なるほど、とうなずいてしまうためになる文がつづられていて、全部ブログに掲載しなおしたらよかった、と後悔しました…。その方が簡単だったし、笑。
ブログは、見たいものだけをピックアップするのが面倒なので、本当はホームページに再チャレンジしたいんですけどね~。
というわけで、外はおいといて、さっそく内部に突撃です。

古そうな様子は分かりますが、上塗りとかすごくて、面白さの薄い状態になっていますね。
とりあえず、有名なカヴァッリーニのフレスコ画を。

ジョットとかシモーネ・マルティ二はギリ、いいなと思うこともあるんですが、もうこの時代くらいからは、基本的に苦手なテイストになってきますので、適当に見ておしまいです、
それよりは、こういうコズマ―ティのキラキラが美しい祭壇とか。

これは、サン・ジョルジョのレリックが収められているようです。
それから、こんな彫り物の破片の方に、つい魅力を感じてしまいます。病気ですよね。

よく見ると、こんなかわいい彫り物が。

でも、なんか製作中、という感じの出来ですけど、これはちゃんと完成形なんでしょうねぇ。受胎告知に見えますが、違いますよね。

破片過ぎて、どこにどう置かれていたのか見当もつきませんが、それにしても、教会の長い歴史を感じさせる石の数々です。

こんな姿もありました。一旦埋めてしまったけれど、あとからまた掘り出したんでしょうね。それにしても当時の工事の大胆なこと。柱ごと他のマテリアルで覆ってしまって、バロックギラギラにするなど、あちこちでやられていますけれど、ある意味、そういう手抜き工事っていうか、わざわざ破壊しなかったおかげで、リカバーできた遺構も多くあるのは、有難いというのかなんというのか…。
過去記事も無事発見したことだし、詳細は上と、2014年のブログ記事もご参照ください。おお、なんという手抜き記事…。
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- 2021/09/26(日) 12:24:10|
- ローマの中世
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