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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ローマの映えスポットとマフィア考(サン・バルトロメオ、クレシェンツィ邸、サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会)

2017年12月の週末旅行、ローマの古代から現代まで、その26

昔々、イタリアに来た当初は、ご多分に漏れず、ローマといえば帝国であり遺跡であったのは右に同じ、というところだったわけですが、そのころは、遺跡とか、いわゆる一般的な観光地を回るような散歩道を持っていたんです。ローマに行けば、大体その散歩道に沿って、ぶらぶらする、みたいな感じで。

中世を求めてローマに行くようになってからは、散歩道、というより今では修行道といった方が近い気がしますが、常々歩く道がずいぶんとかわりました。
そのうちの一つが、この辺りになります。

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左端の上の方にあるのが、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会で、そこからかなり鋭角に右下に下がった橋の向かいが、アヴェンティーノの丘となります。結婚式ラッシュの教会群が並ぶところですね。
そして、すぐ右、テヴェレ川の中州が、テベリーナ島。

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この時の旅、12月でしたが、12月でこの青空。このところ曇天の続くミラノにいると、思わずうっとりです。冬の日差しにきらきらするローマもまた良いですねぇ。
この島、とても小さいけれど、ちゃんと建物が立ち並んでいて、そういえば、有名な産院などもあるはず。ローマっこの友人と散歩した時、彼女はそこで生まれたと言っていた気がします。グーグルで確認したら、今も健在でした。

で、ロマネスク的に見逃せない教会もあるんです。

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サン・バルトロメオ・アッリソラ教会Basilica si San Bartolomeo all’Isolaです。見た目は、例によってなんですが、そして唯一中世の遺構となっている鐘楼は引っ込んでいるし近寄れないなんですが、ここ、中に素敵な彫り物があるのですよ。必見。なので、ファサードに騙されず、絶対に入場して、ためらわずにずいずい後陣まで行ってくださいね。
と言いつつ、この時は時間の制約もあり、私は泣く泣く端折りました。時間に加えて、体力も結構きつくなっていて、橋から続くメインの道から、この小さな広場を横切って教会に入り、後陣まで行って、同じルートを戻る、というのが、とてつもなくきつい気がしちゃって。

ローマは、ミラノに比べると圧倒的に大きいですけれど、中心部は、意外と近いんですよ、どこも。教会も結構密集しているので、歩くのが一番効率よかったりするんです。でも、密集している地域ごとの間は、なるべく交通機関で移動していかないと、体力やられるんですよね、知らないうちに。
この時は、旅の終わりも近くて、ちょっとランナーズハイみたいな変なものが出ていたのもありつつ、体力すでに限界みたいな、あまり考える余裕もなく、ただ目的を目指して歩いていた感じですかね。

テヴェレ川に沿って南下して、そのまま行くと、真実の口に戻っちゃうよ、というあたりの右手、古そうな建物の残骸が。残骸って失礼ね、遺構が。

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クレシェンツィ邸Casa dei Crescenziです。

どうやら、中世に遡るお家のようです。この界隈は何度もかすっていますが、ついテヴェレ川沿いの道とか、または、この邸宅前の広い車道の反対側を通ったりしていたのかと思います。このお隣に神殿が立っていたり、その先は真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディンですから、どうしても、そっちに目が行ってしまっていたのかと思います。

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12世紀の塔をベースにして建てられたお家だそうです。2階建て、日本でいうところの3階建てですが、今は地上階とその上の一部が残っているのみ。

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12世紀に建てられたといっても、多くの装飾的なディテールは、ローマ時代などの他の建物からの転用だったりするらしく、上のなども、ビザンチン時代のものとされているようです。

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この、レンガの遊びのような柱頭とか、のこぎり文様でもなく、なんか花弁を無作為に突っ込んで並べました、みたいなフリーズとか、ある意味洗練されていないけど独創的な装飾は、面白いと思います。

さらに驚くことに、いや、イタリアでは普通なことだったりするわけですが、この建物、建築史研究所Centro di Studi per la Storia dell’Architetturaという施設になっているようで、現役です。

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建築史を形作る一端となっている建物の中で建築史を研究するって、なんかすごいな~。

それにしても、ここの写真でも気付きました。トップにあげたのは、グーグルさんからお借りした全体写真。ディテールは撮影していましたが、全体像撮影してなかった。ここも、全体を撮影できるまで、離れることがいやだったんだと思います。どんだけ体力削られていたんだろうか、と苦笑いです。
それなら、交通機関使えばいいのに、もう思考能力ゼロで、ただ、いつもの散歩道を行くことしか考えてません、笑。

せっせと歩いて、ここまで来た。ここも、中世を探すようになってから知った場所。

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クリヴォ・ディ・スカウロClivo di Scauro。
かっこいいですよね。今ならさしずめ、映えスポット、というところかな、笑。

この道、ローマ起源でとっても古いもので、ローマ時代には、すでにこのレンガのアーチがあったらしいです。

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ローマの建築技術って、ほんとすごいよね、感心します。
このアーチの連なりは、なんだかゾクゾクする。

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算数できないんで、ほんと分からないんだけどね、アーチ構造発見した人ってすごいよね。理論聞けば、ふーんって思うけど、それでもやっぱり、なんで崩れないの?としか思えないもんな~。

ここは、ローマのお家があって、今はCase Romane del Celioという博物館になっています。起源2世紀から4世紀の終わりまで、住居として使われていたもので、今はほとんどの部分が発掘されていて、立派な博物館のようです。入場料は8ユーロだったかな。先述と同じ理由で、入りませんでしたけど、笑。
写真で見ると、保存状態というか州風状態もよさそうなフレスコ画が結構残されているようで、構造的にもなかなか面白そうなドムスとなっていますね。12世紀のフレスコ画も一つでかめのがあるようだし、今後のいつか、是非訪ねてみたいと思います。

ローマは、中世に関しても、情報量が圧倒的に多いんですよね。腐ってもローマみたいなところがあって、ちょっとどうよ、と思うこともしばしば…。

この、ローマのお家の上に、今はどかん!と教会が建っております。

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サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会Basilica di Santi Giovanni e Paoloです。

あら、今気付いたけど、ジョバンニとパオロって珍しくないですか。
1992年、マフィアに、立て続けに殺されたシチリアの判事二人のお名前ですね。お二人仲良しで、お二人そろってマフィアに恨まれており、すごい殺され方をしました。もうイタリアに住んでおりましたから、本当にショッキングな事件でした。考えたら、あれでマフィアは終わったというか、あの事件がきっけかとなって、一般市民の多くが立ち上がったんですよね。
それにしても、ジョヴァンニとパオロって。これまで考えたこともなかったけれど、お二人が、同時期にパレルモの同じ地域で生まれ育って、同じ職業について…という人生を考えると、兄弟聖人が彼の地に舞い降りたのか、とか思ってしまいました。お二人のことは、映画にもなっていますので、ご興味がある方は、是非見てみてください。

また得意の脱線…。笑。

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教会は4世紀終わりの創建。伝説では、聖人兄弟の住まいがあったところとされています(遺骸もここに埋葬されているようです)。起源が古いとそうなりがちではありますが、それにしても特についてない教会って感じの歴史で、まずは、410年アラリックのローマ略奪の際、破壊され、さらに442年の地震で打撃を受け、のちに1084年ノルマン人により略奪。次々と壊されて行って、きっと教会としては廃墟化していったのかもね。
12世紀になって、往時の法王パスクワーレ1世が、修復作業を指示し、その際にこの鐘楼及び、それまでにあったナルテックスに代わって、このポルティコが付けられたということです。重要な聖人が祭られているわけだから、崩壊はさえたくないよねー。
その後も多くの手が入りますけれど、時として、昔の姿を取り戻す修復なども行われた結果、今の外観となっているようです。全体に新しい感も漂うのですが、レンガ造りって、古くなっても結構そう見えなかったりするから、そういうこともあるのかと思います。

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でも、内部はもうすごいことになっていて、ローマが大好きなバロックキラキラで、これはもう戻しようもなかったんだろうな。
シャンデリアなんかもどかどか付けられちゃっていますね。このシャンデリアこれでもか状態って、ローマの他の教会(アラチェリが一番印象深い)でも見ましたが、なんでしょうね?
この教会、サイトがありましたが、このシャンデリアを点灯して、キラキラな内装が自慢、みたいな様子で、「結婚式どうでっしゃろ?やりまへんか?(なぜか関西弁風)」と強く勧めておりました。そういうことなんですかね。教会も冠婚葬祭は、商売の基本ですからね。

4世紀と起源も古いし、この立派さですから、もしかしたら、後陣とか、勝利のアーチに、素敵なモザイクがあったとしても不思議ではないですね。まぁ、地震でも崩落した可能性がありますけれど。

中世の遺構は、建物構造以外には、扉脇のこいつらくらいかな。

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入場者をチェックするというより、獲物をガシガシ食べるのを中断して、なんか呼んだ?みたいなホンワカムードの方、笑。

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こっちの方は、たてがみがすごい。

意識飛びつつ、修行ロード(散歩道からロードへ、笑)、続きます。

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  1. 2021/10/03(日) 12:04:15|
  2. ローマの中世
  3. | コメント:0
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