アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その16
前回の記事で詳細を記した、恐ろしいドライブを経て、無事、目的地に着きました。村を通過して、まだ?と心配になるくらい、山に分け入った行き止まりの場所にあります。
セッラモナチェスカSerramonacescaの、サン・リベラトーレ・ア・マイエッラ教会Basilica di San Liberatore a Maiellaです(オープンは、今調べたところ、以下となります。イースターの月曜、4月25日、5月1日、五月と六月の土日及び祝日、七月と八月の月曜を除く毎日、九月と十月の土日及び祝日、11月1日、各機関の10時から13時半及び15時半から19時半)。
わたしが訪ねた時とは、ちょっとだけ変わっているようですが、比較的よく開いている方だと思います。
というのも行かれた方は分かると思うのですが、何もない場所なんですよ。セッラモナチェスカの村から、ちょっと山に分け入る場所で、周囲には緑しかないです。
たどり着くと、一応こんな鉄扉があるんですよね。背は低いから、閉まっていても乗り越えることはできそうですが、でもここまで来て鉄扉が閉まっていたら、結構ショックな感じ。
でね、ここで一番印象的だったのは、実はこいつです。
鉄扉の近くに駐車して、車を降りた途端、近寄ってきた子猫ちゃん。
遊んでほしかったようで、最初から最後まで、私の順路を先導してくれて、本当にかわいい子でした。
教会の中も堂々と歩きまわるし、とにかくずっとついて回ってくれて、ガイドさん状態。おそらく、近所、といっても、すぐ近くに民家はないのですけれど、飼い猫に違いないとは思いますが、それにしても、一人で自由に、大胆な性格でびっくりです。
余計なことばかり書いていて、あきれられそうですね、笑。まじめに行きましょう。
この教会、もともとは修道院の教会となります。
伝説では、修道院の起源は、カール大帝、つまりシャルル・マーニュ、にあるとされているようです。781年、この場所で、ロンゴバルドとフランク族の戦いがあり、フランクが勝利したことから、カール大帝はこの地に教会の建設を決めたらしいです。カール大帝自らが、聖人リベラトーレに捧げることを決めたとありますが、あまり著名な聖人ではないような。ざっと調べると、この地域での信仰が強かった聖人のようです。修道院を地域に根付かせる戦略とかですかね。
この起源伝説の信ぴょう性が高いとされているようです。なぜなら、884年の記録に、同修道院の豊かに関する記録があるみたいです。創設から百年たっても豊かだということは、それは本当に豊かで、権威も保ち続けたということになりそう。
最初の建物は、990年に地震で倒壊したようです。リピートの期間は長めとはいえ、やはりこの辺りの土地、地震地域ではあるんですね。
その後、1007年から1019年に、当時の修道院長テオバルドTeobaldoにより、より大きな建物が、さらに1080年にはデジデリオDesiderioによる建築がなされたようです。
それらにつき、13世紀に、修復だったり、また床面にコスマーティ・モザイクが導入されたりということがあり、16世紀に、ルネサンス様式の改築などが行われました。
19世紀初頭に、修道院は閉ざされ、それから徐々に見捨てられていきます。1958年には、再び地震や土砂崩れに見舞われて、さらに倒壊などが進んでしまいますが、1967年から1996年まで、様々な修復工事が施され、過去の美しい姿が取り戻されたもの。
とは言え、オリジナルの修道院の建設基礎部分について残されているのは、ファサード左側の壁の一部に過ぎないということです。
では、見ていきましょう。
もともとは、こんな構造だったようですね。
今は、赤線で囲った教会部分しかないですが。
回廊があったあたりは、こんな状態です。
壁の下の方とかは、先述のように、オリジナルの回廊の構造物だったのかな。地面にも、基礎的な部分があるのかもしれないですね。
そのまま、後陣側に回り込みます。
土地が、斜面になっているようです。正面の方はまっすぐに水平に見えるので、そちらは整えたけど、こっち側は外側はそのまま、ということ。
三つの円筒形後陣は、結果として純粋な高さは異なるものの、水平線は揃えていますね。
後陣に開けられた窓なんですが、プレロマネスク様式とありました。柱のある隅切りでもなく、こういう構造を日本語でなんというのか不明なのですが、三重縁取りで引っ込められているような構造で、これは、より光を取り入れやすく、また、開口部の広さを強調するという構造とありました。
山側、つまり、ファサード側から見たら右側、回廊のあった反対側ですが、そちら側は斜面が迫っており、狭いスペースに支え構造があります。
これは、脇の盛り上がった丘の部分の土砂崩れなどを防ぐために作られた構造物のようです。
現地でちゃんと説明に目を通せばいいのですが、いつだって後付でしか詳細は見ないので、適切な写真がないのですが、こんな感じで、支え構造になってます。
この垂直の壁それぞれが、内部の側廊にある柱と呼応しているのだそうです。
先に、鐘楼が見えますが、ファサードの右側に、ほんのわずか、20センチということですが、それだけの距離というか、不思議に微妙な離れ具合で建っています。
定石通り、上に行くに従い、開口部が広くされるタイプですが、あまりに背が低くてずんぐりむっくりしているので、このような形であっても、なんというか、普通だったら感じられるような優美さや装飾性というのものが、ほとんど感じられないように思うんですが、どうでしょうか。
一部、繊細な装飾もされているんですけれど。
それにしても、これだけ接近しながら自立して建築するのって、結構面倒なことではないかと想像するのですが、そんなことないのでしょうか。珍しいですよね。
やはり久しぶりのせいか、なかなか筆がのらない、というところで、やたら時間かかっております。つまらなそうで申し訳ないのですが、にゃんこでごまかしつつ、次回に続きます。
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2022/02/14(月) 18:27:22 |
アブルッツォ・ロマネスク
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