fc2ブログ

イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

また素敵な(人間の)ガイドさん(マノッペッロ・スカロ)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その18

以前の記事にもちょっと書いたかと思うのですが、この時、連休を利用してアブルッツォに行こうと思ったのは、インスタグラムで知り合った人の写真に触発されたところ大なのでした。

過去に、ホームページやブログを通じて、多くの日本人ロマネスクラバーと知り合う光栄を得てきたのですが、一度くらいは、欧州向けの発信をしてみようと思い、インスタグラムは、英語とイタリア語に限定したんです。そういう環境で、知り合った中に、アブルッツォ出身在住のLさんがいらっしゃいました。

中世全般の研究を趣味でされていることから、アブルッツォの中世教会の写真も多数アップされていました。そのため、何度か情報の提供をいただき、もし、私のアブルッツォ訪問が実現したら、お会いしましょう、ということになっていました。

以前言及したように、旅した期間、天候がかなり不順だったこともあり、私もざっくりとしか行程が決められず、実際、毎日毎時、プランB発動という有様。Lさんの方も、連休だったことから外出予定などもあり、事前にどこでどのようにランデブーするか、ということが決められない状況でした。

彼の方は、前回のセッラモナチェスカをランデブー場所と考えていたようですが、この日も、行程はかなり行き当たりばったり。同地見学直前にやっと連絡が取れたことから、次の目的地で会いましょう、ということになりました。

そこは見学先としてはピックアップはしていたものの、どちらかと言えばすでにゴシックなので、どっちでもよい場所ではあったのですが、Lさんはゴシック推しの方で、ぜひご案内したいと言ってくださるし、時間的にも場所的にもはまったので、向かうこととしました。

abruzzo 232

マノッペッロ・スカロManoppello Scaloのサンタ・マリア・ダラボーナ教会Chiesa di Santa Maria di Arabona(毎日7時半-12時、および16時-18時)です。

確か丘の上の住宅街のような場所にあったと思いますが、目の前の駐車場で車を降りると、ここでは前回のちびくろにゃんこに代わって、小型のワンコが駆け寄って歓待してくれました。
わたし、ワンコは非常に苦手なんですが、ここアブルッツォの旅では、とにかくどこでもここでも人懐っこい方々が、愛情全開の様子で寄ってくるので、ワンコ苦手なことを一時棚上げの日々でした。ワンコにしても、飼い犬だと思うんですが、首輪してなかったりもするし、それでいて親近感この上なしで、田舎ということなんでしょうけれど、ほのぼのする土地です。

で、ほんの5分足らずで、件のLさんが来まして、感動ってんでもないですが、初めてのリアル・ランデブーとなりました。彼は、インスタで顔見世もしているし、やっていることからわかるお人柄みたいなものが、実際にお会いしてもそのまんまだったので、初めて会ったような気がしませんでした。

で、いきなり中世ガイドという、なんだか不思議な世の中ですよねぇ、笑。

abruzzo 233

ちょっと不思議な構造となります。
上の図で、上部のBとある方が祭壇、つまり内陣となるのですが、反対側、つまり本来ファサードまで続くはずの身廊が、ほぼないも同然。これは、ありがちですが、資金が尽きた、ということらしいです。

そういう点に関して、Lさんが説明してくれて、それは面白かったので、記しておきますね。と言っても、真面目でよゐこの方々は、そんなこと知っとるわい、という知識になるかと思いますので、っていうか、ここまじゴシックで、写真もそそられないと思いますので、ロマネスクだけ興味がある方は、読まないでもいいかもね。

・修道院は、まず修道士の居住空間である僧房部分から作られるため、ここでも、僧房及びそこへ続く部分が、最も古い部分となる。

なるほど!
上の図でいうと、右側の階段の先が僧房となっているようです。

abruzzo 234

確かに、この辺りに、ちょっとロマネスク・テイスト?的なものがありました。

abruzzo 235

・僧房ができたら、次は祈りの場が必要になり、それは僧房とダイレクトでつながっていなければならない。祈りは、朝から晩まであるため。

なるほど!
だから、階段でつながっているんですね。
そういえば、昔の僧房をホテルにしている場所って、いくつかありますが、イタリアでは、教会もそのまま残っているというのは記憶にないなぁ。
スペインだと、パラドールに転用して、というのはあるけれど、数は少ないですね。レイレとかカルドナ。あ、再訪したいですねぇ。

・フレスコ画は、13/14世紀の、地元画家によるもので、もともとここにあったもの。聖母子図で、子犬を膝にのせているが、当時は小動物をカイロ代わりに実用品扱いしていた習慣が、表されている。

え~、カイロ代わりって、知りませんでしたわ。全然タイプでもない絵ですが、私には衝撃的事実だったので、あえて載せるわけなんです。

abruzzo 236

本当にそういう色々なことをお話しするのが楽しそうで、こっちもゴシックなので本来の趣旨とは違うんですが、そういうお話って面白いから熱心に聞くでしょ、で、ますます熱が…。って感じで、沢山興味深い話を伺ったのですが、私の呪われし海馬のおかげで、後刻思い出せたのはその程度でした。すまん~。

せっかくなので、おそらくその時聞いた話にもあったと思う説明を読みました。
で、いきなり、「教会は、ぺスカラの谷に、13世紀初めに創建された。」とありまして、え、丘の上だったよね?と、自分の海馬機能への疑惑がさらに…。
でも、間違いなかったわ。

abruzzo 237

全体として谷地形なんだろうけど、ここは、ちょっと上がっている場所。修道院だから、人里離れているもんね。
ローマ時代にもローマ神に捧げられた寺院があった場所らしいので、水があるとか神聖な場所だったらしいです。水がないと修道院は難しいもんね。

修道院は、1200年代初頭に、シトー派修道士によって創建されたそうです。
シトー派がここで出てくるとは思いませんでしたが、この修道院、シトー派の建築をイタリアで実践したということでは、大変重要な意味を持つようです。
シトー派って知ってるけど、あんまり興味ないから、ちゃんと読んだりしたことはなくて、なんとなく知ってるベースでとどまっています。多分読んでもすぐ忘れちゃう。
なので、もしかすると過去記事でも同じようなことを調べて書いてるかもしれないんだけど、お許しあれ。

シトー派の立役者は、クレヴォーClairvauxの司教ベルナルドさん。11世紀から13世紀にかけて、フランスのブルゴーニュ地域で、その規則に従って実践されたのが、シトー派建築というやつなんですね。ベルナルドさんは、「教会における豪奢さを非難して、生き様や信仰、そして、宗教建築までも、清貧思想への方向転換擁護者となる。その新しい思想が、修道院においても、修道士が農地で働き、祈り、写本を作成し、音楽や芸術品その他を作り出すことができる理想的な共同体である居住地であるという考え方をもたらしたのだ。」そうです。
箱は清貧でよし、美は自分たちで作りだすんだ、的な?
思想的なことは、どうせわかりませんので、深入りしたくはないですが、清貧思想に基づいて、建築まで決めるというのは、なかなかわかりにくいことです。

いずれにしても、このアブルッツォの教会は、完璧とはいえないまでも、そのシトー派建築様式を実現した建物だったそうです。

abruzzo 238

この開口部の感じって、確かにシトー派っぽさ全開ですよね?
隅切り部分っていうのかな、壁の厚みに、本来施されていた装飾要素一切なしで簡素な厚みだけですっきり。
でも、バラ窓だけには装飾的要素を残したのですね。これは、何か意味がありそうです。

abruzzo 239

天井のリブ構造や、円柱を角柱を囲むような束にするのも、シトー派様式らしいです。

abruzzo 240

シトー派というよりも、フランスっぽいなぁ、と単純に思ったりします。
あ、とんがりアーチもそうですよね。
そういう細かい部分すべてが、きっちりとシトー派建築規則で作られているんだそうですよ。
やっぱ、シトー派って、つまらないなぁ、って思ってましたが、なんか歴史的なそういうこと読んだら、今面白く記事を書けています。
聖人辞典に、シンボルが白ワンコ、という言及があったので、もしかして、カイロ代わりのワンコには、裏の意味があったのかな、とかうがった見方もできたりして?

abruzzo 241

本来、先に延びるはずだった身廊部分は、こんな様子で、当初から壁で終わっていたみたい。
13世紀後半にはかなりの権勢を誇り繁栄しまくったそうなんですが、没落もあっという間で、1400年代早々に修道院がいなくなって、16世紀には活動完全停止ということ。繁栄した時代には、教会を完成させるという計画もあったのだろうに、なぜそれがなく終わってしまったのかも興味深いところです。

僧房方面は、20世紀に一般家屋になって、売り出されたようです。今もそっち側は建物あるから、普通に住んでる人いるんだろうな。かなり田舎で不便そうな感じ、ありますけどね。

御退屈様でした。次はロマネスクに戻ります。


ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。

にほんブログ村 美術ブログ 建築鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村

インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica

日々の生活をつづる別ブログです。
イタリアぼっち日記
スポンサーサイト



  1. 2022/02/22(火) 17:12:32|
  2. アブルッツォ・ロマネスク
  3. | コメント:2
<<臭かったりする話(ホテルと食事) | ホーム | 最後までガイドさん推し(セッラモナチェスカ、その2)>>

コメント

シトー派

色々面白いですねえ。
シトー派のそっけなさには私もブルゴーニュで経験があります。意気込んで辿り着きはしたものの「なんじゃこりゃ?」状態でありました。でもそれからずいぶん経って、プレロマネスクに出会ったりするようになって、ホアグラさんのおっしゃる『プリミティブな祈りの場』も認めないといけないなあと思うようになりました。
  1. 2022/02/23(水) 00:40:03 |
  2. URL |
  3. ote #TQU6yXy2
  4. [ 編集 ]

Re: シトー派

otenboxさん
一見、すがすがしいなぁ、と思ったりするんですけどね、でも、すぐ飽きちゃいますよね、笑。
でも、思想を建築に持ち込むって、改めてハッとするところがあります。建築と美術は、現代でも密接な位置にあり、学際的には交わる部分も多いと思うのですが、この辺りから、意識的な建築学というものが始まったのかもしれないなど、考えたりして、たまにはちゃんと解説を紐解くものだと思ったものでした。
時間があるって、いいことですねぇ。
  1. 2022/02/23(水) 12:51:59 |
  2. URL |
  3. Notaromanica #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する