アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その31
前回のブッシを北上したカペストラーノが次の目的地だったのですが、ここは、場所の特定にすっごく苦労しました。カペストラーノの郊外の別の村であることは分かっていたのですが、道沿いに目視で見えるものがなく、らしいところで脇道に入るのですが、教会の表示がないんですよね、まったく。
国道を、何度も何度も行ったり来たりして、最後にやっと、林の中の駐車場を発見して、そこから歩いたら、見つかった、というような立地でした。
教会は、やはり鍵番さんと事前にアポを取らないといけないので、ちゃんと事前に電話をかけて、「見学の前に電話をくれれば、15分で行く」、と言われていたので、15分、最悪30分くらいは待つ覚悟で、ちゃんと現地についてから電話したんですよ。そんな林の中の何もない場所の教会なわけだから、鍵番さんも他から来るに決まってるわけで、こっちが遅刻したら申し訳ないですからね。
ランチも済ませて14時頃で、ちょうどいいんじゃないか、完璧だわ、と悦に入って電話したところ、「午後は15時半から」とにべもないお言葉…。
最初から言ってくれよ~。
他に選択肢はないので15時半にお願いしたものの、そこで1時間半はさすがに待てないので、多分行くことはないけど、何かの時のためにピックアップしていた、地域のマイナーな教会をチェックして、最寄りの一つに行ってみることにしました。
前置き長いですが、というわけで、今回は、めっちゃマイナーな教会を訪ねます。

片道15分程度だったので、ちょうどお手頃のオフェーナOfenaという村です。
クルマを適当に停めて、歩き出しましたが、教会の名前しか知らないので、どこに向かったらいいのか分かりません。
会った数人に訪ねまくり、なんとか教会がささげられた聖人の名前となっている小路にたどり着きました。
で、これかいな、という中世っぽいい開口部のある壁に気付きました。

どうやらこれが、オフェーナOfenaのサン・ピエトロ・イン・クリプティス教会Chiesa di San Pietro in Criptysです。
壁をなめるように見て、一つの扉口のアーキトレーブ部分に、古そうな彫り物発見。

これは違いない、と思って、でも、修復工事中なのか、とにかく取りつく島のない状態なんですよね。仕方なく、手前にある塀に登って、そこから、開口部越しに、内部を除きました。決死の行動、笑。

そしたら、予想外に面白そうなものが見えたんです。

これが、多分ファサードの扉じゃないんでしょうかね。
アーキトレーブに、やはり文字で、脇の柱には細かい植物系の帯彫り物がありそうです。柱頭も、プリミティブな様子ですが、しっかり装飾的。
これは面白そうじゃんか、と思ったのですが、できることはこれだけ。

場所がね、村はずれで、たどり着くまではちょこちょこ人に会ったのだけど、ここでは人っ子一人いなかったんです。車は駐車されているから、住人はいたんでしょうけど、昼の直後だしねえ。
せめてうろうろしているにゃんこと遊んだりして、だれか来ないかなぁ、と時間をつぶしたんですけども。
ちょっと、このにゃんこがね、ふさふさしていて、態度も堂々としていて、私にはラファエル(綿の国星)にしか見えませんでした。

ラファエルの割には人懐こさもあって、近寄られてまたびっくり。

左右の眼の色が違う子でした。
ま、それはともかく、当初の目的、時間つぶしにはなりましたけれど、残念な見学で終わってしまったわけです。
今更調べてみると、しかしこの教会、実は見るべきものがあるようなんで、別のびっくりです。
修復工事が2019年に終わったということなので、私が訪ねたときは、その直前だったのでしょうね。前回の記事のブッシも似たような状況だったので、あの時期、おそらく地震の影響もあったのか、あちこちに予算がついて、修復が行われていた、ということかもしれません。
以下、簡単な解説を見つけました。
「サン・ピエトロは、その名前に、洞窟とか、クリプタとかを付けられることもあるように、地下構造がある。
創建当初は、村からは離れ、孤立した場所に立っていたが、現在は、サン・ピエトロ地区という村の一部となり、村からカプチン派の修道院へと続く道沿いにあることとなる。」
「一身廊で、円筒の後陣。教会は二層構造になっていて、下部が、いわゆる地下、洞窟のようなものとなっていいて、上部が本来の教会となっている。
教会は、13世紀に開けられたロマネスク様式の開口部を持つ壁のプロナオス構造を持ち、床面には白黒の幾何学モチーフのモザイクが施されている。
扉は、オフェーナのシルベストロの作品ということが、記されており、同時に1196年という年代も記されている。これが、教会創建の年と考えられている。」
「内部後陣には、1400年代のフレスコ画が保存されている。
2019年、フレスコ画及び祭壇、また各扉口の修復作業が終了した。」
床の白黒モザイクとか、洞窟と呼ばれる地下構造は、ちょっと見てみたいもので、検索したのですが、修復されたフレスコ画の写真しか出て来ませんでした。
今は、きっと公開しているのではないでしょうか。
一つ、ユーチューブに、最近あったらしいグループ見学の映像をあげている人がいて、素人のものですが、ちょっとだけ雰囲気が分かりました。内部は真っ白の漆喰塗になっているので、ロマネスク的に面白いものはありません。
唯一分かったのは、ロマネスク様式の開口部のあるところが地上レベルで、下の方は地下部分となること。
坂になっている土地に合わせた構造だったということですね。
地下を彫ったというよりは、一部外に面している構造で、ただの倉庫だったのかもね。
わたしの時は、そういうわけで、見るものもなく、早々に引き上げることとなったのですが、なぜか村の上の方に行ってしまって、段々畑になっているオリーブ畑を抜け出すのに、えらい苦労しました。

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イタリアぼっち日記
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- 2022/03/21(月) 13:15:17|
- アブルッツォ・ロマネスク
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