アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その35
さて、カペストラーノCapestranoのサン・ピエトロ・アド・オラトリウム修道院教会Abbazia di San Pietro ad Oratorium、続きです。
お待たせしました。やっと入場です。

おおって、声出ちゃう感じです。鍵開けてもらって、最初の一目は、電気がない状態だけど、お!ってなる。そして、明りつけてもらうと、おお!ってなる。しつこいけど、そういうイメージです。言いたいのは、ここはほんと、鍵に来てもらってなんぼ、の教会です。
後陣で分かるように、内部は後陣に呼応する三身廊。身廊は堂々としたサイズの角柱で区切られ、それぞれにロマネスクの彫り物が施された柱頭。以前は、オリジナルの教会のものだと考えられていた柱頭もあるそうなんですが、今は、すべてロマネスク時代のものだとされているそうです。

内陣側からのこれだと、角柱の堂々感が、より分かりやすいかも。
ちなみに柱頭は、かご型のおなじみのスタイルではなく、よくあるスタイルからいえば、副柱頭みたいな様子で、縦に狭い帯みたいなスタイルになっています。
そのスタイルのためと、損傷が結構あるので、それで、ぱっと見は、アイテムとしては地味この上なしという状態ですが、見ていきましょう。

唯一といってよいくらい、珍しく完全な様子で残っているやつ。端正な植物モチーフで、技術力ある職人さんの作だと想像します。
ちなみに、前回の記事でも言及したように、この教会にかかわった職人さんは、カザウリアと同じであると考えられているようですから、確かに技術のある方々です。ということは、本当は、もっと色々アイテムもあったのかもしれませんよね。ここは、チボリオはあるんですが、説教壇はないのです。もしかすると、というか、逆に、ここにも説教壇があったと考える方が、しっくりくるようにも思いますね。

このような彫りを見ると、確かに、ロンゴバルドの時代にモノではないかと考える方がありと思います。解説では、カザウリアとの共通性に言及していますが、カザウリアも、クリプタなど見ると、起原は古い教会と思いつつ、でも、転用っぽいアイテムを多く使っていて、本堂の柱頭などは、もっとゴシック寄りのロマネスク風味で、こういった7,8世紀のテイストのものはないんですよね。
うーむ。研究者に反論するわけではないけれど、私は、こういう一部のアイテムは、デジデリオ王の時代に作られたもの、と考える派です。

これなど、深彫りすることによって、影ができて、彫りのアイテムが強調されることなどが、やはりカザウリアと共通するとあり、それはそうなのかもしれないんですが、アイテムそのものが、プリミティブ、決してヘタウマという意味のプリミティブじゃなくて、技術というよりデザイン的な部分で、古いのではないか、と思うわけです。
で、こんなのまで出て来ちゃうと、もうお手上げ。

これはひどくロマネスクっぽい得体の知れなさ…。
なんでしょうか?
左には射手が弓を張っていますがそれが、右隣の、オケツなのかおっぱいなのか、ぶら下げた人に刺さっているのか、それとも止められているのか…。
カペストラーノをキーワードで探してみたんですが、この教会、他に注目すべきアイテムが多すぎて、柱頭に言及しているものが全く出てこなくて、お手上げです。
お分かりになる方いたら、ご教示よろしくお願いします。

しつこいですが、絶対ロンゴバルド。ですよね。
残念なのは、ほとんどが、こんな様子で、壊れちゃってること。

これら見ていると、ロンゴバルド、要は、古い時代の教会との兼ね合いが、もう少し深く考察されてもいいのにな、と思います。外壁にも、ロンゴバルド時代とされる彫り物の破片がいくつもはめ込まれている事実があるわけですしね~。
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イタリアぼっち日記
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- 2022/03/28(月) 14:31:24|
- アブルッツォ・ロマネスク
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