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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

エルサレムから直輸入!(ピアネッラ その1)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その38

カペストラーノ、かなりゆっくり書いたのですが、実際の見学時間は半時間強です。それでも、若干押せ押せになっていて、冬でしたから、そろそろ日暮れが近づいてきて、辛かったのを記憶しています。

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グーグルで見ると、高速か国道か選択肢が出て来ますけれど、確か、どんどん暗くなっていく中、やばいやばいとつぶやきながら山道を走った記憶があるので、国道を選んだのかなぁ。または、高速を出た場所がちがったのか。

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ピアネッラPianellaのサンタンジェロ教会またはサンタ・マリア・マッジョーレ教会Chiesa di Sant’Angelo or Chiesa di Santa Maria Maggioreです。
(事前に調べていたのは、市の観光局の番号でしたが、そこで鍵番さんの番号を教えてくれました。当時の鍵番さんは、ご近所にお住いのPucaご夫妻で、その電話番号は、現地にも記してありました。)

確か、カペストラーノで観光局に電話して、そしたらPucaさんの電話を教えてくれて、近所に来たら改めて連絡ください、ということだったので、村の駐車場から電話をしました。
到着は17時ごろで、辛うじて日が残っている状態でしたけど、ファサード前で、待てど暮らせど、鍵が来ません。すわ!と思うと、ただの旅行者だったりして…。いつ来るか分からないので、後陣の方に回るのもはばかられ、非常にストレスフルな待ち時間となりました。

それでも、写真の撮影記録を見ると、待っていたのは20分強というところみたいで、正直大したことないですよね。でも日暮れが迫っていたので、宿へ戻る道も考えて、焦っていたので、長く感じられたんでしょう。催促の電話までしちゃったのを覚えています。
わたしの後から来た旅行者ご夫婦はすっごくラッキーだったと思います。なんとなく来て、なんとなくぶらぶらしてたら鍵が来ましたって感じですもんね。でも、逆のこともあり得るから、逆恨みはしない、笑。

でも、ここはファサード部分の装飾が一番重要だと思うので、待ってることで、そこは堪能できました。
日が暮れちゃったらダメなんで、後陣の方も行っときました。

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レンガ積みで、ちょっとロンバルディアとか北部の教会みたいです。レンガの色目が色々で、とてもきれい。修復もかなり入っているようです。

レンガ積みについては、この後で訪ねる、場所的にはかなりご近所のこの教会、サンタ・マリア・デル・ラーゴ・ディ・モスクーフォとの比較や共通性が語られることが多いということですが、そちらの教会は、外側の装飾的アイテムがほとんど失われてしまっていて、それはやはりレンガという素材の弱さによるものとされているようです。そういう意味で、このピアネッラは、保存状態がかなり良いと言えるようです。

教会の創建は、アブルッツォ地域におけるベネディクト派修道院が普及した時代、紀元千年直後の世紀。ベネディクト派は、8-9世紀にこの地域にやってきて、12世紀になって本格的に普及したそうです。その頃、中世期初期に生まれた町村の周りに、大規模修道院の建設や再建を多数行い、ここピアネッラの教会も、その時代のものとなるようです。
今残されている建物は、12世紀終わりごろに作られたものですが、オリジナルはもっとずっと古いもの。

教会だけを見ていると分かりにくいですが、現地に行くとね、村の中にある丘上に建っているんですよ。

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坂道の下が、村のメインストリートなんですが、結構な傾斜の坂だとわかるでしょうか。そして、周りはちょっとこんもりしていて、往時の雰囲気そのまま、というか、ここだけポコっと丘になっているので、教会周りはどうにもできず、村が大きくなっても、ここだけ残ったみたいな様子なんだと思います。つまり、場所として、おそらく神聖な場所だった可能性が高く、居住が始まった頃から、神殿などが建てられていたのかな、と想像します。

今ある建物は、そういうわけで、アブルッツォ地域における、最も古いロマネスク建築の例となっています。アブルッツォ地域ロマネスクに典型的な三身廊のバジリカ様式で、地域の他の教会(Santa Maria del Lago a Moscufo, San Pietro ad Oratorium a Capestrano, Santa Maria delle Grazie a Civitaquana, San Clemente al Vomanoなど)と共通するものです。

ファサードを見ていきます。ちょっとトップの全体写真に戻ってください。
唐突な様子で鐘楼がありますが、こちらは12世紀に建てられたようですが、本堂よりちょっと後の時代で、その際に本堂に手が加えられたとあります。最終的な完成は、15世紀から18世紀とされています。

ちょっと不思議に感じたのは、側廊に当たる部分というのかな。脇の部分に、斜めにブラインド・アーチがありますよね。これは通常、トップの屋根の傾斜に伴っておかれる装飾だと思うので、当初は、スタンダードな形、つまり、真ん中部分が高くて、脇の側廊に当たる部分は屋根も低いスタイルだったのを、鐘楼をファサードに組み込むために、持ち上げちゃったのかな、と想像します。オリジナルのスタイルだったら、今よりずいぶんロマネスク的で、かわいらしいファサードだったのではないかなぁ。

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とんがりアーチの扉装飾は、おそらく棟梁Acutoという職人さんの作。
アーキトレーブには、8名の人物が置かれており、それぞれ碑文のおかげで、誰だか分かるようになっている。中央には、手に本を持った聖母が腰かけており、その左には洗礼者ヨハネ、そして右には福音書家ヨハネ。

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両ヨハネさんが、スペースに合わせて、飛んでいるような不思議なポーズしているのがとてもロマネスク的で、かわいらしいです。洗礼者ヨハネさんの方は、なぜかマスクをしているように見えちゃって…。

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四角い二つのバラ模様に分割されて、って、バラらしいし、実際そういう図像ですが、四角ってちょっと不思議。この棟梁、なんか不思議な表現力ですね。
向かって左にいる二人は、サン・ピエトロとサン・パオロということですが、ピエトロさんはおなじみの鍵ではなくて法王杖を持っているのですね。そして、彼もまたマスク派、笑。

向かって右側には三名。

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ヨハネさんすぐお隣の人は見分けできず、それに続いてサン・ニコラとダヴィデ王。
より、真ん中に近い場所に置かれているのですから、重要人物のはずなのに、なぜ見分けができないのか。名前を刻んだ部分が消えちゃっているようですね。誰でしょうか。金持ちの発注者?その後何らかのことで非難があったりして、名前が消されたとか、毀誉褒貶的な歴史があったのかな。

すごく技術力が高くは見えないのですが、一人一人の人物が、違うポーズを取っていたりするところに、この職人さんの思想っていうか、そういうものはあるのかな、と思ったり。

そういえば、カザウリアでもカペストラーノでも、そしてここでもしっかりと文字を刻み付けるのって、そうそうどこでもあるものではないから、アブルッツォの特徴とは言えるのかな。時代的には、ビザンチンの影響ということはあり得るのかしら。確かあの人たちは、フレスコ画に必ず奉納者を記したりする習慣がありましたよね。聖人の名前を書くのは、また別だけど、なんかさ、趣味の妄想中…、笑。

アーキトレーブを支える側柱の彫り物は、古い時代の伝統的な図像な様子です。
さらにその右わきにも、これは12世紀よりも古い時代の教会にあったものでは。

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めっちゃチャーミング!

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アーカンサスの葉っぱモチーフ、すごくうまいし、縁取りの装飾的な帯は、ロンゴバルド風で、カペストラーノのものと似ていますよね。絶対古い。

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絶対に、Acuto棟梁よりも、技術力あるよね?
っていうのも失礼だけどさ。

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って思ったら、なんかね、アーカンサスのめっちゃうまいやつは、Vincavaleという名の石工の作品となってるんだそうだ。
この石工さんは、旅する職人さんだったらしく、自身がエルサレムから輸入した“tralcio bombato”(凸型、中央が膨れたつる枝文様)という革命的なモチーフを、この地域のあっちこっちで彫ってるらしい(サン・クレメンテ・ディ・カザウリアや、ペンネPenne、コルヴァラCorvaraなど)。
この人がアブルッツォ出身でないことは確からしく、その名前から、出身はフランク族系と考えられてるそうです。ってことで、当時、この地域と、遠方の他の国や地域との間に、芸術的文化的な交流が盛んだったことの証拠にもなる、ってことで、興奮してる研究者もいるらしい。

「エルサレムから直輸入の凸型つる草文様」。わたしはこっちに興奮した!これは受けます!まさにブック抱えて、売り込みかけてる様子じゃないですか。

ここの多くの装飾を手掛けたとされるAcuto棟梁とコラボしたらしいんだけど、どういう関係だったんだろうね。Acutoさんは、内部の装飾もやってるし、ここのまとめ役的な立場にいた中で、この凸型が殴りこんできて、発注者とかが、「もう是非ここでも採用しましょうよ~、棟梁~、なんとかそこをご理解いただいて、ねね、他はもうどうぞ自由にやっていただいて結構ですし~」みたいな説得があったんでしょうか。
Acutoさんのアーキトレーブとの整合性はあんまりないし、なんか葛藤みたいなものを感じないでもないです。妄想とまらん。

というわけで、続きます。


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