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イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ニコデモさんの彩色(モスクーフォ その4)

アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その43

モスクーフォMoscufoのサンタ・マリア・デル・ラーゴ教会Chiesa di Santa Maria del Lago、続きです。

今回は、この教会で最も注目すべきアイテム、説教壇です。

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まず、あれ?と思うのは、彩色ではないでしょうか。そもそも、説教壇というアイテムへの彩色は、説教壇目白押しの、このアブルッツォにおいてのみならず、イタリア全体でもめったに見られないため、このようにオリジナルの色が残っているケースは、大変貴重だということです。
実際、彩色が全くないわけではないようであり、この地域には数多くの説教壇が存在することから、ここだけに彩色されていたという方が不思議なことにもなるかもしれないので、もしかすると他でも彩色があった可能性はありそうなんですが、ただ、アブルッツォに限らず、どうしても時間とともに退色するものなので、残っているケースがまれ、ということらしいです。
柱頭と同様ということですよね。

フランスには、彩色柱頭が非常に多いわけですが、すべてにオリジナルがそのまま残されているわけではないと思います。「ペンキ塗り立て」みたいのもありますし、明らかに定期的に上塗りしているだろうケースも散見されます。イタリアでは、彩色柱頭は、フランスに比較すれば、数的には圧倒的に少ないと思うのですが、時々かすかに色が認められたりすることはあるし、彩色してなかったわけではないんだと思うんです。ただ、時代とともに退色していく色を上塗りする習慣が薄いとかそういうことはあったのかと思ったり。それは、その時々の美的感覚とか習慣とかそんなところによるのかと思ったり。
彩色に関しては、おそらくまだ絶対的にこうだった、という証拠みたいなものはないと思うので、想像妄想の余地が沢山あり、研究者じゃない好き者が勝手なことを言える楽しい領域です、笑。

さて、ここの説教壇のスタイルは、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会にあるものと似通っています。
覚えているでしょうか、これです。

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壇上へと昇るための階段の手すりの外側には、旧約聖書のストーリー(クマに対峙するダヴィデ、魚に飲まれたヨナ、そして吐き出されたヨナ)、聖人のストーリー(ドラゴンを殺すサン・ジョルジョ)、寓意的なフィギュア、想像上の動物、男像柱のようなデフォルメされた人のフィギュアなどがみられます。

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ヨナが魚に飲み込まれているところ。
全体が色づいていたら、なんかすっごく派手な様子だったかもね。

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そして吐き出されてから。
うっすら思い出すでしょうか、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会にあったやつ。図像的には、まったく同じですよね。そちらの記事で、かなり詳しく解説をしたので、良ければ、改めて参照ください。
怪魚のおなかに、丸いのがあるけど、こちらでは神の手が見えません。くっついてたのが取れちゃったのか、単に光背だけシンボル的に置いたのかどうか、こちらの説教壇については、あまり詳しい解説が見つからないので、不明です、あしからず。

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ドラゴンをいじめるサン・ジョルジョ。これは向こうにはなかったかな。

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これはあったよね、同じような感じで。あ、でも確か、動物と戦うやつは一枚で、サムソンかダビデかどっちかとなっていたのを、イケメン度が低いのでダビデ、と勝手に決めました。こっちでは、きっちり、対ライオン及び対クマがあるので、図像的に、上がサムソン、下がダビデとしておきたいと思います。が!どちらも、イケメンとはいいがたいのが、残念です。
サムソンも、ライオンと戦っているという迫真さよりも、ライオンっぽいワンコをからかっているような…。ふくらはぎだけは、やけに迫真の筋肉隆々な様子なのが、何とも…。

この教会で、主に活躍したのが、サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会の解説でも言及された棟梁ニコデモNicodemo da Guardiagrele(正確には、グアルディアグレレ出身のニコデモ)さんということなんです。
Guardiagreleは、キエーティにも近い村ですが、でも、今の研究では、そこの出身ということはあり得ないということになっているようなので、なぜ、そこ出身ということになっているのか不明です。

言い忘れましたが、これらは、漆喰に施されたもので、つまりこの方、石工というより漆喰専門の職人さんとなるようですね。サンタ・マリア・イン・ヴァッレ・ポルクラネータ教会で、ルッジェーロの息子である彫刻家ロベルトと一緒にデビューした、ということが、1150年に文書で記されているそうです。

ニコデモさんの出身地は、今でも特定されていないようですが、少なくとも、この地域でしか明確な作品は残していないようです。結構狭い地域にある、あちこちの教会で作品を残していることから、それがグアルディアグレレ地域であることから、そこ出身とされたのでしょうかね。
残念ながら、いくつかの教会は消失しています。また、おそらく彼が残した最後の作品は、クニョーリCugnoliという村にあるサント・ステファノ教会chiesa di Santo Stefano a Cugnoliの説教壇で、1166年のものとされており、それは、このモスクーフォの教会のものと大変似ているようです。
このクニョーリという村は、この旅の際ノーチェックだったのですが、検索したところ、しっかり存在していました。教会外側は全く新しい様子ながら、説教壇はしっかりと残っているようです。大失敗です。もちろん、このモスクーフォからも遠くない場所です。

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それだけ、多くの仕事をしているということは、それなりに人気の職人さんだったということですよね。でも、分かりますよね、言いたいこと…。

かわいくないよね…?

そして、うまいのもあるけど、なんか彩色も変な作用しているっていうか、ちょっと、なんていうのかなぁ、素人っぽいっていうか、なんか魅力がはかれないっていうか。

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柱頭にも、彼の作品があるはず、となっているんですが、そしてそれを否定するものではないけれど、ニコデモ、それほどもてはやされる何を持っていたのか?みたいな疑問が…。

ああ、でも引いて全体を見ると、これだけ飾り立てといてもなお、構成力とか、バランスみたいなものは非常に感じるので、棟梁的な力がある人だったということなのかな。
解説に、「ニコデモは、様式的には、遅れた人と言えるのかもしれないが、地域文化に合わせて、ロマネスクのアイテムを適合させる表現力にたけていた人だろう。彼のもたらしたものからは、アラブの影響が感じられる、抽象的な装飾の、細かく非装飾的な彫りの技術、装飾についても、三つ葉状アーチの採用についても。影響は、プーリア、シチリア、スペイン、アフリカ北部などを通じたものがあり、それらが肯定的に融合したことで、成功していると言え、それはまた、起原が異なるモチーフをつなぎ合わせる自発的なエネルギーのためとも言えよう。」とありました。
旅をしたのか、巡礼をしたのか、ドサ回り的に各地で仕事を重ねたのか、はたまた研究熱心で、各種知識のある人を通じて技術を仕入れたのか、いずれにしても、持っている技術や装飾アイテムを惜しみなくつかいこなし組み合わせる技術は、確かに感じられます。

細かい個別の彫り、特に人のフィギュアとかは、工房の若手の作品とかそういうことかもね。

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でも、全体よくても、ディテールにかわいさとか愛嬌がないとねぇ、ダメよね。ミラノが誇るサンタンブロージョの説教壇を見てほしいくらいだわ(先日、久しぶりに訪ねたもんだから…)。
それにしても、これだけの装飾的な状態で、さらに彩色って、あまりに神々しくて、なんだか目がくらみそうな代物だったかもしれませんわねぇ、当時は。

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この後に訪ねるヴォマノの教会にも関わっているそうですから、それもお楽しみに。


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