アブルッツォ週末ロマネスク修行(2018年11月)、その44
モスクーフォMoscufoのサンタ・マリア・デル・ラーゴ教会Chiesa di Santa Maria del Lago、続きです。

13世紀後半とされているフレスコ画があるのですが、劣化や剥落が多く、また、後代の上描きも結構見られて、若干残念なことになっています。
上は中央後陣で、テーマは最後の審判。玉座に座った巨大キリストですよねぇ。でも、足先だけしか残ってないのは、かなり寂しいですね。

絵のタッチとか、人物の表情とか、ビザンチン風となるのかな。13世紀後半とされているものの、テイストはかなり12世紀に近いというか、とても魅力的で、だからこそ、キリストの肝心のお姿がないのは、残念です。
上は、キリストの右わきの方の絵なんですが、長いラッパを持つ天使が、死者に復活を呼びかけているそうです。

ビザンチンっぽいのもそうなんですけど、あれ?なんかに似てるって思いませんか?
復活を待つ死者の方も…。

ね、棟方志功ですよね。
彼の絵って、輪郭がはっきりしてて、色が明確で、なんか好きなんですけど、ビザンチン、つまりイコンと共通する何かがあるのかも、っていうのは初めて感じたわ。考えたら、宗教芸術って、西と東でつながっていたりするから、何かどこかで影響を受けたりということはあり得るわけだ。そして、芸術史は宗教芸術抜きには語れないわけだし。
西洋の近代芸術家がアフリカのプリミティブアートとかに走ったのは、そういうしがらみっていうか、どうしても抜け出せない何かがうっとうしかったりとかいうこともあったかもしれないし、日本の芸術家が逆にそこに面白みを見出したとかもあったかもしれない。
ちゃんと勉強してない強みで、また妄想が膨らむ~、笑。

キリストのお足元にも多数の死者がお祈りしてる様子。
それにしても、みんな、いい身体してるな。腹筋割れてる的な様子なんですけど~。またはお人形できな。
この当時の人たち、裸を描くモデルって、やはり遺骸かな。絵描きも聖職者だったりするから、死者の清拭とか裸を見るチャンスってあったのかな。いや、それよりもまずは自分の身体か?!だとしたら、このフレスコ画の作者は、筋トレ系…、笑。
下の段には、12使徒が6人ずつ並んでいます。

うりざね顔で、眉毛がスーッとしていて、ビザンチンというよりもっと東方な雰囲気もありますね。

基本、皆さん美しい。ビザンチンの特色ですね。モザイクなどで表される聖人は、大抵すっごく美しいですよね。まぁ、今の基準における美しさなわけですが、宗教的なものですから、やはり豪華さとかこの世のものではない的な表現をしたいわけで、とすると、往時の美の基準が、こういうことだったんだ、となるわけですよね、多分。

日本だと鎌倉から室町とかそういう時代、引き目鉤鼻よりはもうちょっと濃い感じになってるのかな。日本は、絵画がデフォルメ系で、実際のところどうだったのか分かりにくいよね。ってか、イケメン美女の基準が、現代とは相当違う感じするから、このビザンチン系の現代との共通性って、すごくびっくりする。
日本人は、すごく変わったってことなのかな?
妄想にレヴィ・ストロースまで入ってきたぞ…、笑。
この後陣以外の場所にも、残されたフレスコ画はいくつかあります。

でも、テイストが、13世紀とか14世紀とかそれ以降とかで、私の好みではないものばかり。
でもね、後陣それぞれのみならず、壁とか、円柱とかにもフレスコ画があった様子なので、オリジナルは、本当に豪華絢爛な教会だったと想像できます。

当時は日中でも薄暗かったし、信者は後陣には近づけなかったはずなので、よくは見えなかったと思うけど、あ、だから巨大キリストだったのかな。うっすらと最後の審判の図が見えるっていうのも、なんかインパクトが逆にあったかもしれない。
ということで、また長々となってしまった上に、最後のしめは妄想全開となりました。次に移動します。
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イタリアぼっち日記
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- 2022/04/23(土) 11:41:15|
- アブルッツォ・ロマネスク
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| コメント:4
おみ足だけと言うのがさびしいですが、12使徒たちのお顔、いいですねえ。気に入りました。ここも行きたかったです。
でも今はきっぱり宗旨替えしてテーマは日本の古代です。
その影響関係でカルチャーで韓国の古墳のことを習いました。5世紀初めにもう玄室の壁にちゃんとしっかりしたした人物画があるのですよ。ちなみに高松塚は8世紀初めです。
- 2022/04/24(日) 10:05:50 |
- URL |
- yk #C8Q1CD3g
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YKさん
愛らしいお顔立ちの方々ですよね。
日本にかかわらず、古代は面白いですよね。なんかカルチャー的には、古い方古い方に行きがちです。
韓国にも古墳があるのですか。というより、とすると、古墳文化は、韓国の方から来たということになるんですね。5世紀だと、百済や新羅よりももっと古いのかしら。
そちら辺のことで、独立したブログなどを作っていただくと、楽しくなりそうです。
- 2022/04/24(日) 15:48:17 |
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- Notaromanica #-
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古墳ってつまり墳墓ですから、古くからあったみたいです。
前方後円墳なんていうのができたのは3世紀頃らしいですがこれは日本。
朝鮮半島にもあるそうですが、それはあちらに渡った倭人のもの。
竪穴式と横穴式がありアイルランドとかトルコ(マイダス王の墓とやらを見たことがあります)でも太古から横穴式(横から羨道をへて石室にいたる)ですが、東アジアではこの横穴式は 朝鮮(高句麗)から日本に5世紀末くらいに伝わってきたそうです。日本はそれまでは 竪穴式(お棺を埋めてからその上に土を盛る)でした。
最近埼玉・群馬に古墳を見に行きました(緑の風に書きました)。その時知ったのですが、四角く石をつみあげたのもあり、それは渡来人のお墓、ということでした。高句麗など4世紀頃は四角い積石塚だったのですが、5世紀に円墳になったのです。円墳になって石室に絵が描かれるようになったそうです。
- 2022/04/30(土) 14:00:01 |
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- yk #i3bnT8TU
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YKさん
古墳は面白いし、今では美しい景観も作っていますね。
ずいぶん前ですが、東京から大阪に飛行機で行ったとき、上空から古墳の緑が点在しており、とても面白く感じたことを思い出しました。
関東では、いかにものものは少ないですが、古墳はあるのですよね。これもずいぶん前ですが、タモリ倶楽部で、ご自宅に石室のある古墳をお持ちの方を訪ねられたのを見たことがあります。
古墳の後を残すように道が作られていたりとか、そういうのも面白いと思いました。
ブログの方、お邪魔することにします。楽しみ!
- 2022/05/01(日) 12:18:35 |
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