ベネチア島巡り(2018年12月)、その2
サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂Cattedrale di Santa Maria Assunta、続きです。といっても、前回は、ほぼ歴史のうんちくに終始してしまいました。
ふと、これより前に行ったのはいつだったろう、と過去の記録を見たところ、2008年、ちょうど10年前でした。その時はまさに島巡りで、ムラノ島と合わせて、一人で突撃したんですけれど、その記録は、当時メインで今は亡きホームページに記していましたね。内容は、過去の自分をちゃんとほめてやりたいくらい、結構ちゃんとしたものでした(ホームページのコピーが手元にありますので、時々資料として見に行きます、笑)。今はブログですけれど、自分の頼りない記憶のよすがとして、大変役に立っているのは、ホームページとご同様、有難いことです。
ちなみに、トルチェッロは、当時から内部撮影禁止だったようですが、一方でムラノは、数年前に訪ねた際、写真撮影自由になっていました。
このSNSのご時世、撮影禁止の意味がどれだけあるのか分かりませんし、特にこのトルチェッロのカテドラルは、入場料も徴収される博物館状態になっているため、さらに納得しにくいです。
こういった不便な場所って、正直、入場料を徴収したところで、訪問者の数は相当限られているはずなので、収入としてはほとんど意味ないと思うんですよね。でも、鍵番さんも置けないだろうから、そのためだけの入場料は、ありだと思うですけど、それなら、撮影開放して、どんどん映え写真を普及させた方が、絶対に集客とか意味あると思います。
毎回記事の下の方に、インスタグラムのギャラリーリンクもいれているんですけれど、最近フォロワーさんも増えてきて、自分では何が違うのかよく分からないのですが、中世ファンの枠を超えて一般人に映える写真ってあって、時々すごく驚くんです。それが近所だったら、そういう映え写真に触発されて、本来中世なんて興味ない人が、行ってみようか、となることもあると思うんですよねぇ。特にインスタグラムって、写真を映えさせるアプリがよくて、実際よりも鮮明に見せたりできるで、インパクトもあるんですよね。
トルチェッロのカテドラルなども、とってもインスタ映えするアイテム満載なんで、ちょっと考えてほしいなぁ。

例えば、後陣で、金色の中優雅にたたずむ聖母子。
これは、ムラノと同じ意匠なんですが、トルチェッロでは、その土地とも結びつけてしまうのか、より孤高な印象が強くて、オーラを感じます。
こんなのを、こそこそじゃなく、記憶にとどめられるようにしてほしい(こそこそ、やってたということです、ハイ、涙)。

聖母に負けじと、脇後陣では、息子も頑張って祝福してるし、天使たちも、素敵なビザンチンを、バリバリ体現中なんですけどねぇ。
ここから、ちょっと脱線しますので、興味なさそうな方は、以下、飛ばして、次の写真まで、進んでくださいね。
先日、みうらじゅんと山田五郎さんの対談聞いていて、みうらじゅんさんの仏像鑑賞の原点っていうかね、スタンスっていうか、そういう話に、心底うなずけたもんで、書いときたくなっちゃって。彼はフェノロサ視点、といっていましたが、要はそれまで日本になかった、「宗教を離れた、純粋に美術観点からの鑑賞」ということだと思うんですけれどね。仏像を宗教から切り離してみる視点がなかった日本に、フェノロサが初めて体系的に仏教美術という視点を作ったという考え方。
それって、まさに自分がロマネスクでやっていることで、思わず膝をたたいたっていうか。言ってしまえば簡単単純なことなんだけど、それほど簡潔に表せなくて、もぞもぞ落ち着き悪かったこと。
宗教美術って、どうしても、宗教的な教えだったり、逸話だったり、そんなことと結びつく内容がベースになっているから、ロマネスクだったら、やはりキリスト教の知識って、いやでも知ることになるし、知ることで面白さが増したりもするし、切り離せない部分というのはあるんですよ。でも、実は、キリスト教が好きなわけでもなく、信者であるわけでもなく、信仰もないという私のような人間は、割り切っているつもりでも、時として、なんだかもやもやすることがあったりしてね。教会行っては、つい献金を一所懸命したりしてごまかす、みたいなこともあったわけです。
それが、フェノロサかぁ、と。
当時のお雇い外国人と逆の立場の私は、つまり、キリスト教から自由でいられるから、すっと美術として接することが出来て、そこだけ取り出して楽しめることに違和感がなかったのかな。ここでは、日本のロマネスクファンに比較すると、なかなか自由にキリスト教美術を語る人が少ないと感じることも多くあるのですが、そういう何かしらの縛りの中にいるからかなぁ、とかね、思ったりして。
いや、最近の動画の充実ぶりよ。もうユーチューブなしには生きられないわたくし、笑。
脱線終わりです。

ここ、実はファサードの裏側のモザイクも、全面に施されており、すごいのですが、訪問時は、こんな有様でした。足場の隙間から、ちらちら見えるのが、逆に憎い、みたいなフラストレーション。
話をちょっと戻すと、後陣には、祝福するキリストを抱いた聖母マリアが、黄金の背景にたたずむ大変印象的なモザイク。その下には、十二使徒が並んでいる図です。この意匠は、ムラノ島の教会と同じなのですが、潔さがすごいですよね。どうしても、ごちゃごちゃと書き込みたくなるもんだと思うんですが、黄金、聖母子、すっきりくっきり。ミニマリストな職人さん。
その反対側は、しかし書き込みまくりの最後の審判の図となっているのです。
時代も同じようなので、同じビザンチン系の職人さん作と思われますが、共通項は黄金バックというところで、表現のコントラスト、面白いですね。
好物なアイテムとしては、イコノスタシスがあります。

こそこそしているので、ひどいものですが、このライオンちゃんコンビ、初めてお会いしたとき、あまりの可愛さに、スケッチしたくらいです。
スケッチのおかげか、図像の記憶は残った割に場所を忘れまして、ローマのサンタ・サビーナと思い込んで、確かにあそこも素敵なイコノスタシスがあるんですけどね、再訪した時に、ライオンちゃんいないから落胆したというか、自分の記憶力、やっぱ信用できないって再確認したっていうか。
そういうわけで、この愛らしい、ちょっとお爺さん、いや、おばあさんかな?そんなテイストが入っているようなライオンちゃん健在で、再会が一番うれしいアイテムでした。

内陣の床モザイクも素晴らしいです。
これはコスマーティじゃないと思います。ベネチアは、やはりビザンチン起源の装飾として、床モザイクもあるのだと思います。これは、内陣にあることもあるのでしょうが、保存状態がすごくよろしいですね。千年からの長期間、踏みつけられて、すり減ったり凸凹ったりしている床モザイクも、味があって対好きなんですけれど。

モザイクは、しかしラベンナが近い割には、驚くようなものではなかったりします。技術にしても意匠にしても、残っているものとしては、ローマの方が圧倒的に迫力も数もあります。
これらはすでに12/13世紀のもので、ビザンチンの名残といった時期になると思うので、要は職人さんの技術力とか、継承が途切れつつあるみたいなことになるのかな。やはり、モザイクはラベンナに限るかもね。
イタリアにおけるモザイクは、個人的には、ラベンナ、そしてローマに価値があると思っています。
この教会、入場料を徴収しますが、それが、本堂、鐘楼、そして近所の博物館の共通チケットになっていたと思います。そのため、珍しく鐘楼にもアクセスしました。

修復も施されており、一見結構新し目にも見えますが、11世紀建造ということです。内部はかなりきれいになっているし、正直大したことないのですが、この鐘楼に上る意義は、眺めだと思います。

カテドラルの屋根と、お隣のサンタ・フォスカの様子がばっちり見えます。お天気が良かったら、潟の風景もオツなんでしょうねぇ。

すっごく夢の跡的な風景で、ちょっと良くないですが。
どう見ても沼地になってしまっている先の方も、おそらく繁栄していた時期は、ちゃんと陸地で、建物がびっしり並んでいたりしたのかもしれません。そして、船が行きかって…。

今なら、ドローンで、こういった鳥目線の眺めも簡単に撮影できてしまえるわけですが、私の場合は、いまだ人力ドローンというわけで、登る途中の一枚。
でも、実際に教会が稼働していたころには、鐘楼っておそらく関係者以外は登れなかったでしょうね?
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- 2022/05/27(金) 17:05:26|
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