fc2ブログ

イタリア徒然

イタリアに暮らしながら、各地のロマネスクを訪ねた記録

ちょん切れてるとは(ミュルバック)

最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その3

alsace 011

ミュルバックMurbachの、サン・レジェ修道院教会Ancienne Eglise Abbatiale Saint Legerです。

ここで、一番印象的だったのは、お花でした。
イースター休暇で訪問したのですが、この年は、4月半ば。一気に春が訪れた北国のような様子で、あらゆる種類のお花が咲き乱れている上に、新緑の緑がまぶしくて、まさに眼福。
この修道院教会は、見ての通り、緑のただなかにあるので、排気ガスで空気の濁ったバーゼル駅前経由で、やってきた身には、印象が強烈でした。

alsace 012

アルザスは、情報収集にうってつけのサイトがあって、非常にコンパクトにロマネスクを網羅してくれているので、そこに掲載されている教会をピックアップして、フランス・ロマネスクに詳しい友人お勧めの場所中心に回った感じで、実は、事前の勉強にあまり時間がかけられませんでした。その割に、幅広く網羅だけできたのは、そのサイトに負うところが大きいと思います。

検索すれば、必ず出てくるので、ご存じの方も多いと思いますが、一応貼っておきますね。

L'art roman en Asace
L'art roman en Asace

そんなわけで、実はこの教会についても、こんな、途中で断ち切られたような、変な状態になっていることを知りませんでしたので、全体像が分かった時は、純粋にびっくりしました。

alsace 013

ファサード、立派だわぁ、と回り込むと、その続きがないんですもんね。一瞬だまされたっていうか、目的地、本当にここなんだっけ?と思いました、笑。

というわけで、ちょっとだけ歴史を紐解きます。

「伝説によれば、727年、西ゴート出身のサン・ピルミンが、最初にこの地に定住していたアイルランド出身の修道士たちに、ベネディクト派を持ち込んだのが始まりとなっている。アルザス公アルデリコAldericoの甥または孫のEberardoが、その人生の最後を過ごしたことにより、多くの資産を、修道院に寄贈した。」

この辺り、ちょっと国際的じゃないですか。西ゴートの聖人、手持ちの中世辞典には出てこないし、どういう人かまったく分からないのですが、西ゴートのイメージって、スペインなので、この辺りにも定住地があったのか、というのが、新鮮というか。中世地図で確かめて、確かに東の方から侵攻してきた通り道上にアルザスがあるのかな、という感じではありますけれどもねぇ。
しかし、そこにアイルランド出身の修道士がいたと?
北から聖地方面の途中で、定住しちゃったとかそういうことなのかな。
当時のフランスは、メロビングからカロリングに代わるあたりということになりそうなので、蛮族の侵攻とともに、不安定な時代となるのでしょうか。
アルザス公は、すでにカロリングみたいだから、すでに落ち着いた頃となるのかな。

「その後12世紀の間に、ロマネスク様式で再建されている。その後、一時的な繁栄などはあったものの、宗教的求心力を徐々に失っていく。」
「1738年、修道士たちは、修道院の再建を決心し、本堂の古い身廊部分を壊し始めた。1759年、彼らは、Guebwillerへの移転の権利を獲得した。1765年、翼廊及び合唱席部分が、ミュルバックの教区教会となった。」

驚いたのですが、なんと18世紀になって、本堂の身廊部分が壊されたのですね。12世紀から綿々と守ってきたものを、なぜ?
バロック様式で再建する、という意図があったとされているので、「こんな古臭い建物だから駄目なんだ!はやりのバロックで一発かまそうぜ!」みたいな、形から入るタイプの修道士が、たまたま多数派でいたんですかねぇ。
それにしても、実際に、既存の建物を壊すところまでやったわけですから、資金があったかまたは入手できる目途が立ったということで、政治力もある修道士だったのですかねぇ。または、だまされたとかそういう可能性もありますね。壊した後、他にうつっていっちゃうとこ見ると…。
形から入るのはダメってことですよ、多分、笑。ってか、ファサードそのままに、身廊部分だけ変えてもどうなの?ですよね。

こんな変な様子になっているのは、そのためだったわけですね。ただ残念です。そのまま残っていれば、相当規模のでかい後陣だったようですね。ただ、土地的には、修道院のあった時代とは様変わりで、ただの田舎になっていますから、もし、そのまま残っていたとしても、無用の長物になっていた可能性もゼロではないですかね。

alsace 014

これは、1745年に描かれたもののようです。すでに屋根が落ちていますね。

alsace 015

ファサードに、面白い彫り物が散らばっていますけれど、なんせ、遠い…。唯一、至近で楽しめるのが、翼廊の南側にある「ライオンの扉」と呼ばれる扉のタンパンなんですが、実は、思いっきり見逃しました、涙。
一応、メモに、タンパン、と記しておいたのに、見当たらず不思議だなぁ、と思っていたんですが、普通にアクセスする反対側にあったらしいです。あほです。

alsace 016

肉眼では、とても見ることのできないディテールを、望遠で撮影はしましたけれど、こうしてみると、12世紀の再建以前の建物に使われていただろう古い装飾彫り物も、多く残っているような様子ですね。ドローン飛ばして、正面から見てみたいやつ。

alsace 017

19世紀及び20世紀に、かなり修復されているようなので、新しい部分もあると思いますが、装飾的には、結構手が込んだものだったように思われます。ロマネスク様式で再建された時代、修道院はかなりブイブイ言わせていたようなので、至近も豊富にあったのでしょうね。
内部にも、凝った柱頭など多数あったようで、18世紀の蛮行が残念でなりません。でも、修道士が行ったのだから、仕方ないですね。

alsace 018

でも、ここの美しさは、やはり、今ある、このたたずまいでしょうか。緑の中、この赤の入った石色が、独特の映えです。
ドイツっぽいこの二本の塔、全体に背が高くて小さい開口部。
前回の教会は、イタリアにもありがちなスタイルで、ここにきて、アルザスのイメージらしい教会に会った、と思いました。

この、全体像を見たくて、丘の上に上る方に夢中になり、タンパンなどのディテール見学が疎かになった、というのも、確かにあります。
中も、もちろん入りましたけれど、なんか、これはいいやってなっちゃったしね。
よくぞ、ここだけ残した、ということで、蛮行も許されるのかな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日々の生活をつづる別ブログです。ご興味あれば、以下に飛んでくださいね。
イタリアぼっち日記

ブログランキングに参加しています。よろしかったら、ポチっとお願いします。
にほんブログ村 美術ブログ 建築鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
にほんブログ村

インスタグラムに、これまでのロマネスク写真を徐々にアップしています。
Instagram, Notaromanica
スポンサーサイト



  1. 2022/07/10(日) 16:44:24|
  2. アルザス・ロマネスク 67-68
  3. | コメント:0
<<夏の暑さにもめげず… | ホーム | 涙の初っ端大工事(フェルドバック)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する