最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その10
さて、次に目指した場所は…、困惑の連続でした。

行けども行けども、何もない土地で、この辺り?という場所で、やたら進入禁止、とか私有地、とか、びくびくするような看板多数。

やっとそれらしき看板もあったので、そろそろと農道のような田舎道に入ります。これから芽を出すだろうブドウの畑なんかがのどかな、農道ドライブですが…。

またかよ~の侵入禁止。
それも、注意書きは、フランス語、ドイツ語、そしてアルザス語なのかな?英語なしですからねぇ、こういうのは、とってもおフランス~、笑。
クルマをそこに停めるのはいいんですよ、もちろん。でも、ここまで明確に「私有地、進入禁止」、とかあると、人だって、入っちゃいけないのでは、と悩みませんか?
クルマが入れないように柵は置かれていましたけれど、移動式の柵だったんで、人は普通に入れます。それでもしばらくたたずんで悩みました。まぁ、ここはアメリカではないので、たとえ不法侵入したところで、いきなりズドン!なんてことはないにしても、でも不審者に思われるのって嫌ですよね。
5分ほど悩んでいたら、幸い、自転車でぶらぶらとやってきた二人組の男性がいました。尋ねてみると、自動車はダメだけど、人は入っていいんだよ、ということで、安心して入場。

マルバック修道院Abbaye de Marbachです。
この説明版を見ると、今でも色々あるように思えますが、実はほぼほぼ夢の跡状態の修道院なんです。

外側とあまり変わらない敷地内の、美しい緑の風景を愛でながら散策していくと、唯一、中世往時のものが残されている建物があります。
赤い屋根の小さいやつです。

反対側に、昔のナルテックスの跡が残されているようなんです。

でも、実は、事前の調査がいい加減で、修道院の廃墟、ということは分かっていたものの、具体的に何が見られるのかまでは調べてなかったので、現場にいても、これ?これだけ?みたいな疑心暗鬼もありまして、見学が若干上の空だし、写真も、あまりちゃんと撮影していませんでした…。
外側のアーチの間は、ガラスがはめられていて、内部には入れませんが、ガラス越しに、内部の様子は見られます。

中にも、柱とアーチは残っていますが、本当にそれだけです。正直、これだけかよ!感は半端ない…。

考古学系の人なら、こういった石積みだけでも、想像がぶわ~っと広がって、目の前に再現図が繰り広げられたりするのかもしれないけれど、中世辺りまでの人は、そこまでの想像力、なくないですか?私はないどす…、涙。

慰めも少しはありましたけどね、なんか、いつものように、「ちょっと小指たってそうな様子で十字架持ってるのが魅力的ですよね」なんてくだらないことを、調子よい文で書くような気力もなく…。でも、立ってそうですよね、笑。
縄目だったり、下の組紐だったり、古いアイテムが使われているのは興味深いですけどね。でもこれだけじゃぁ…。

だからってわけでもないけど、ちょいと歴史を紐解きました。
そもそもは、もちろん修道院の歴史です。
創建は1089年で、地域のある男爵によるもの。すぐに信仰のよりどころとしても、また文化の発信基地としても繁栄をして行きます。多くの学校や、地方拠点みたいなネットワークを、アルザス以外も含む、かなり広範な地域も含めて構築したようなんです。
学校としては、いわゆる写本工房みたいなのが主だったようです。現存する最も古いものは1153年のCodex Guta Sintramという、Gutaさん、Sintramuさん二人の修道士による作品。今でもストラスブールに保管されているということですよ。
それほど繁栄した修道院ですけど、火事があったこと、そしてフランス革命において、かなり決定的に破壊されてしまって、結局残ったのは、ナルテックスだけだったということらしいです。
フランス革命ってさ、なんだったんだろうね?私はそのあたりの歴史はよく知らないけど、とにかくフランス各地の教会の多くで、彫り物が壊されたのを見てるから、フランスの民度って低かったのね、とあきれてしまいますわ。どの国でもそういう市民革命的なことが起こって、近代の幕開け、ということになるわけでしょうけども、なぜにして文化財破壊をしなければならなかったのか!!?許せん。
おっと、それは置いといて、歴史を紐解くと、出てくるのが、修道院を繁栄させた立役者としてのマネゴルトさんという修道士。この人は知らなかったな、って知らなくても当たり前な局所的な人物ではあるんだろうけどね。でも、叙任権闘争を研究している日本人研究家の本には、引用されているくらい、叙任権闘争史においては、それなりに重要な人らしいのです。ちょっと読んだけど、あまりに長い引用続きの結果出てきたんで、むずかった~。でもね、ちゃんと読んだら面白そうだったので、お時間と興味のある方にお願いしたいです。叙任権闘争、マネゴルト、で検索すると出て来ます。
このマネゴルトさんは、1084年に起こった、カノッサの屈辱にまつわる教皇グレゴリオ7世とハインリヒ4世の確執について、どうやらグレゴリオ7世を擁護する内容について、彼なりの真実に基づいた記述を残した人だそうです。それがハインリヒの逆鱗に触れて、結果マネゴルトさんはバイエルン地方にある修道院に逃れて、そこでキャリアを積んでいたそうなんだけど、どうしても彼が欲しかった、このマルバック修道院創設者の男爵が、マルバックに招へいしたらしい。
で、このマネゴルトさんが来てから、先述した繁栄を遂げるということらしいんだわ。
考えたら、この事実も、叙任権闘争に関連するところがあるのも、面白いですね。世俗の男爵が、要は修道院の人事権持っちゃってるわけだしね。
結局宗教は金になるということで、この辺りから、教皇の腐敗も激しく始まってくるということになるわけだな。
歴史はやはり面白いですね。
そして、お休みだと、時間気にせず、色々紐解けちゃったりするのが幸せ。
アルザスは、先述の通り、情報が少ないので、ロマネスク以外の記述が増えてますが、ご容赦ください。
あ、ちなみに、今回の記述、多くはウィキを見ているので、あまり信用しない方がよろしいかもね。私は面白いからよし、だけど、そこんところよろしくね。
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- 2022/08/24(水) 11:25:41|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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