最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その24
マームティエMarmoutierのベネディクト派修道院サンテティエンヌ教会L'église abbatiale Saint-Etienne、続きです。

ナルテックスの下にある扉口だと思いますが、地味なりに、ちょっとした装飾はありますね。

柱頭は筋彫りだし、柱やアーキボルトには、超浅浮き彫りレベルのぐるぐる。再建と言われても、まったく違和感のない、ある意味スタイリッシュでデザイン的なミニマル装飾ですね。
そして、内部はというと。

全体は完全にゴチック以降の建築となっていますが、手前の部分だけ、古いものが残っているという形です。
上の本堂の手前部分が、こんな様子。

この様子で全体が残っていたら、味のあるロマネスクでしたけど、残念です。
本堂の大部分は、12世紀に再建され、内陣は18世紀後半ということです。
古い部分には、扉口にも見られた筋彫り的な柱頭が見られます。

柱頭の形が、縦割りの四つ割になっていて、独特です。モチーフが、ケルトぽいのかもしれないですね。四隅のはシャムロック的なものにも見えますし。
縦割りの溝部分にある、縄文土器みたいな、ぐるぐるうねうねしたらせんが、他の筋彫りのシャープさと比べると、やけに粘土細工っぽい質感なのが、興味深いです。
片隅に、こんなものがありました。8世紀、プレロマネスク時代の教会のタンパンの遺構のようです。

のこり方が、かなり寂しいです。保存状態もいまいちですしね。
でも、ひとつひとつのフィギュアが独立したものには見えず、この三体が一緒になっているようなんですが、とすると、なに?みたいな。
あまり統一感がないというか、三人がバラバラしてるっていうか。
現場の解説では以下と書かれていました。
「タンパンの一部:中央の人は、右手で十字架、左手で本を持っている様子。その左、つまり向かって右側の人は、髭を触っていて、それは基本、賢さや思慮深さを表す仕草。そしてもう一人は、トンスラで、本を持ってい(本は、神の言葉を表すシンボル)。その教会が建てられたときは、ピエールとポールに捧げられていたことから、おそらく、中央の人物は、修道院の創設者で、左右がピエールとポールではないか、と考えられる。おそらく、724年に創建された教会の遺構であり、一連の遺構が、考古学的調査で発掘されたクリプタにあるのではないかとされてはいるが、見つけられてはいない。」
1972年に、考古学的な調査の一環で、発掘が行われて、現在ある建物の基部を明らかにしたそうで、本来のクリプタではないのですけれど、クリプタとしてアクセスすることが出来るようになっています。

こういう発掘は、結構されていて、本来のクリプタとは違う面白さもありますよね。わが町ミラノのドゥオモでも、ファサード側と後陣側両方に、地下の遺構があり、それぞれ訪ねたことがありますが、まさにタイムマシンなんですよねぇ。歴史の重層を目の当たりにできるのが、石文化のすごいところで。

撮影があまりよろしくないですが、ここは結構説明版が置かれていて、博物館状態になっていて、好感持てました。
この、黒い線で表されているのが、おそらく8世紀の教会なのでしょう。今の教会に比べると、とても小さかったのですね。上の写真にある円筒形の構造物が、この古い教会の後陣だったようです。
この規模の教会だったとすると、修道院の規模もこじんまりだったのでしょうし、村も、門前町ということで成り立ったということになるのかもね。
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- 2022/10/13(木) 21:25:59|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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