最初で最後のアルザス中世、多分…(2019年4月)、その32
バーゼルから始めた旅、北上しつつ、あちこちを見て、最後は一気に南下してきました。と言っても、アルザス地方は、さほどの大きさではないので、距離は大したことなくて、これは意外でした。
そして、最後の見学地は、バーゼル近くのこちらとなります。到着時は、時間の関係で、あえて立ち寄らずに、最後に残しておいた場所です。

オットマールスハイムOttmarsheimのサン・ピエール・エ・ポール教会Eglise Saint-Pierre-et-Saint-Paulです。
クルマでアクセスすると、最初に見える教会の様子は、こういう感じで、何とも不思議な様子に見えます。この、手前に見える長方形の箱みたいな塔は、後付だと思うんですけども、正直、実際に見る姿よりも、こうやって写真で見ると、無粋さが際立ちます、笑。
では、反対側からだとどうか、というと。

これまた、後から色々付け足しがされちゃっている様子で、あきれるほどのごっちゃごちゃです。本来の姿、ほぼ分からないじゃないですかね。
これが、一番分かりやすいのかな。

ここ、アルザスでは非常に珍しい、円形スタイルということなんです。解説によれば、カロリング朝スタイルが、ロマネスクまたはオットー朝的に解釈された独特のもの、となっていますから、要は古いスタイルで、珍しい、ということらしく、それぞれの様式と言われてもどうなのか、私など浅学で分かりません。
ただ、円形スタイルというと、イタリアなどでは、間違いなくエルサレムを発祥としているのですけれど、ここではカロリングということで、ほぉ、となりました。エルサレム基本の円形スタイルだと、外観も、完全に円形になっていますから、その辺、違うんかな、というところですね。
カロリングは、勉強不足で、なかなかねぇ。中世の大きな基盤となっている文化なので、本当はもっと勉強しないといけないんだけども。

中に入ると、円形なのが分かりますけれど、サイズが大きいと、写真ではなかなか。
それにしても、明るいですよね。外光がよく取り入れられているし、中の、石灰岩らしいですけど、白い石も、明るさに一役買っているようです。
八角形のクーポラの、外から見るとお飾りみたいにミクロな窓が、意外とちゃんと窓として機能しているのですね。
もともとは修道院教会であり、1050年、アルザス出身の法王レオーネ9世によって奉納されたもの。この法王、他の地でも活躍していました。地方でブイブイ言わせた後に、国政に打って出て、地元にインフラ事業を引っ張って、地元潤す政治屋さんみたいなやつですかね、笑。
まぁさ、教皇庁の長い歴史の中でも、やはり現代になってすらイタリア人以外の法王は少ないわけで、そういう中でおらが村からが、おらが国からとなったら、本人にしても、出身地の人にしても、期待感、半端ないとこあるだろうし、あったんだろうとは想像します。
日本は、近代ではキリスト教の普及が全然進まなかった国だから、バチカンにもあまり興味のない国で、だから法王のことって、私は全然知らなかったしあまりニュースにもならなかったと思うんですけどね、それでも、ジョバンニ・パオロ2世の長いお勤めと政治が、結構いろんな印象を変えたかもね、と思ったりします。
私がイタリアに住み始めてからずっと、法王は彼だったから、なんかなじんだし、政治力がすごかったし、何かにつけて、法王の存在感というのが出てくる国にいるから、驚くことも多かったっていうか。誰もが信心深いわけではなく、むしろ定期的にミサに通う信者の方が少数派ではあるのが現実だけど、それでも、生活の根底にキリスト教があるから、そこはもう日本とは大いに違うところではあります。
バチカンは、大金持ちだし、ペドフィリアだったり闇経済だったり、色々なブラックな部分もあるし。そういう世界のトップなんだから、法王ってやはりすごい人なんですよね。そもそも、大抵のケースで、かなり高齢者、後期高齢者は当たり前っていう人だったりするのに、元気だし、それだけでも、神がかりな気もしますわ。
それにしても、人生で二回も、法王選出をテレビ中継で見るとは、夢にも思わないことでした。もしかすると三回目もあるかもだしなぁ。いかにジョバンニ・パオロが長かったか、ということなんだよねぇ。
おっと、長い脱線すみません。

全体に、やけに白くて、ピカピカしていて、中世的な魅力は、建築的には限定的です。一応、見所として、15世紀のフレスコ画があげられていますが、15世紀ですからねぇ…。

15世紀と言えど、それほど保存状態が良いわけではなく、多くは色あせています。

残されているのも、一部だけなので、おお1というインパクトにも欠けます。いや、別にそういうインパクト求めてないですけれど、なんか、これだけでかくて、変にピカピカしているとね、どこを見てどう感じればいいのか、戸惑うということで、せめて、フレスコ画でも結構残っていれば、15世紀の絵はうざいな、みたいなネガティブ・インパクトもあるんでしょうけれど、それすらないと、引っ掛かりどころがなくて。
とはいえ、アルザス最後の訪問教会なので、記憶には結構残っております。ただ、残念だったのが、これ。

アルザスのロマネスク・ルート、あまり詳しくはないけれど、簡潔に分かりやすいサイトがあり、この旅の時もまずはそこにお世話になったのですが、もしかしてそういうことをやっている本拠地が、ここだったのかもね。
この日は、残念ながらクローズでした。これは、今回の旅で一番残念だったかもねぇ。
ちなみに、教会裏には、とても広くて整備された無料駐車場と併設トイレがあって、大変ありがたい教会となっております。
最後にしては、若干しょぼい内容になってしまいましたが、これで、今回のアルザス・ロマネスク終了となります。最初で最後の、とタイトルにつけたように、今後のイタリア滞在の残り時間を考えても、まず間違いなく最後の、ということになりそうです。
全体として、好物感は少なかったのですが、でも、ロマネスク的にも、また一般的な土地としても興味があったので、行けたことはよかったと思っています。あ、ごはん的にも、もういいや、というのはありますね。
若干文句が多かったと思いますし、アルザスの良さをお伝えするためにも、もう一つ、番外編つけますけど、好意的な記事になりますかどうか、笑。
お付き合い、ありがとうございました。
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- 2022/11/11(金) 17:47:21|
- アルザス・ロマネスク 67-68
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